「スープ~生まれ変わりの物語」、この間は新宿のシネマートで観てきましたが、今日は有楽町のスバル座で観てきました。
いわゆる映画ファンにとっては、何だかよくわからない映画、という感想もあるかもしれません(笑)。
実は私は基本的に普通のドラマ的なものは、テレビでも映画でも一切観ません。
普通の人間関係ドラマには殆ど興味が湧かないからです。
テレビでも映画でも観る場合は、何らかのSF的要素、何か特殊な科学技術、サイキックな題材、特殊な能力などが入ってるものに限り観ます。
「想像力を掻き立てる」「意識を拡大する」という極めて「実用的観点」から観ています(笑)。
「スープ」は森田健さんの原作が興味深かったので、その延長で観ました。
不思議研究所の森田さんによる、中国の奥地での聴きとり調査の記録「生まれ変わりの村」は実に不思議な本です。
とにかく「前世記憶の保持者」が多い変わった村での、記憶保持者へのインタビュー。
その村での聴きとり調査で浮かび上がってきたのが「スープの伝説」。
あの世で配給される「スープ」を飲むと記憶が消えるけれど、飲まないと前の記憶を持ったまま生まれ変わってくる、という情報が、なんとなく村人には共有されているわけです。
スープを飲まずにまた生まれてきた人たちの話には、
「あの世には裁きはなかった」
「この世とそんなに変わらなかった」
のような証言が多いようです。
さて、森田さんはモンロー研究所のヘミシンクの日本人の最初の経験者の一人でもあります。
ヘミシンクは知ってる人も多いと思いますが、左右で周波数差のある特殊音源をヘッドフォンで聞きながら、そのうなりを利用して変性意識に入る技術です。
ロバート・モンローが開発者です。
「体外離脱」の技術、として理解してる人も多いと思います。
特殊音源と言葉での誘導で様々な番号のついた「フォーカス」へと誘導されるようです。
私はヘミシンクを体験してないので何とも言えないのですが、生まれ変わりの村で言う「あの世」は輪廻を超えるポイントである「フォーカス27」よりはだいぶ前のところのように思えます。
ただ、ヘミシンクは物理的に生きている人向けの技術なので、いくつかのフォーカス番号のところで死者との交流や、ある領域で引っかかっている死者の救済実践などが、プログラムにあるようですが、やはり実際(の死後)とは若干違うのかもしれません。
難しいですね、この辺は。
たとえヘミシンクを体験したとしても疑問は残る気はします。
前にも書きましたが、自己意識の連続の主体そのものの問題もあります。
伝統的な東洋的観点では「真我」(アートマン)が想定されると思いますが、お釈迦さんなんかはそのアートマンさえ否定し、全て「空」と観るようです。
かなり哲学的なところに来てしまいました。
ただ、本来この辺まで一度は考える必要のある主題かもな、とは思います。
映画自体は設定も日本になっていて、わかりやすいヒューマンドラマになっていると思います。
なんといっても笑いどころも満載。
コミカルな意味でも相当楽しめます。
深ーく考えつつ、あるいは何も考えず、どちらでも楽しめる映画だと思います。
よかったら観てみてください。