心を磨く -13ページ目

ぐるっぽのお知らせ


法華講員のぐるっぽを作成してみました。

よろしかったらご参加下さい。

自語相違の創価学会③

 間空いてしまいましたが自語相違シリーズ第3段です。

 今日は戦時中の神札問題についてです。


 創価学会は戦時中に宗門が国から神札を受けるように指示したことについて謗法だと口汚く罵っています。

 しかし、現在の創価学会においては


『謗法払い』については、あくまで原則どおり、本人処分であることには変わりはありませんが、御本尊を安置するための絶対的前提条件ではありません。謗法払いしてからでないと御本尊を安置してはいけないという考え方を変え、もっと幅広く、まず御本尊を安置し、拝み始める。そのうえで信心が深まって、古い対象物は置きたくなくなる。そうなってから、自発的に本人がそれを取り除くようにしてもかまいません。(中略)したがって、神棚や仏具等を取り除く必要はありません。

聖教新聞、平成9年2月11日号)


と指導しております。


良識の有る方はもうおわかりと思いますが、戦時中の神札問題で日蓮正宗を謗法と批判するということは、そのまま現在の創価学会自らを謗法と言っていることと変わりありません。

自分の発言で自分の首を絞める自語相違ですね。


以上

正本堂について

 正本堂について不満がある創価学会員は未だ多くいるみたいです。


 「御供養をしたのに壊された」と思う気持ちも解らなくもないですが、是非その気持ちを静めて以下の御文を読んでいただきたい。




「大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し、修理を加へ勤行を致して広宣流布を待つべきなり。」(日興跡条々事)

 この御文を拝すれば、大石寺にある堂宇をどうするかの権限は御法主上人猊下にあることは明白です。自身の怒りに従って謗法に与するか、日興上人の御文に従って正法を護持するか。この選択を迫られたのです。

 ちなみに、私の両親は当時正本堂の御供養をしましたが、正本堂を取り壊す時に日顕上人に対して、恨みなど全く思わなかったそうです。まあ当たり前ですがね。


 日興上人を信じる気持ちがあるのなら、正本堂について云々するのは止めた方がいいでしょう。


 また、御供養については戸田会長が以下のように指導されていますね。




「御供養することは、信徒の務めである。もし、それが使途不明であるとか、収支決算せよとか、御供養を出しもしないうちから、はじめからそんなことを言っておるのは信徒の努めを怠っておるものである。信徒は供養することによって利益があるのである。御利益は供養することにある。もし、そのお金を不正に使ったならば、それは使った僧侶が罪を受けるのである。地獄へ堕ちるのである。信徒は清い供養をすれば、それで御利益がある。経文に照らしても、また大聖人の仰せではないか」(『大日蓮』S40.7.11




「『御供養をする』ということによって利益がある。」のですから正本堂の御供養をされた創価学会の人も皆その時に功徳を頂いているわけです。

その後についていろいろ言うのは御供養の精神として間違ったものではないでしょうか?







 






転載・引用について

 著作権法にて規定されているのですが、「転載」は著作者の許可が必要です。しかし「引用」は著作者の許可は必要ありません。ただし、書き方などにルールがあります。

 ですので、「無断引用お断り」は無意味な注意書きなのです。

 もし何かの記事があってそれに反論する権利は法律で認められているということです。

 ですから、私には日蓮正宗を批判する記事を見つけたら当ブログで引用の上、反論を掲載する権利があります。

 「反論されたくないけど批判はする」というのは自分の記事に対して責任を持たない情けない行為です。


これはあるアメブロに記事を掲載する創価学会員に向けて書いています。心当たりのある方、その点理解してくださいね。

創価学会と日興遺戒置文

旧ブログからの転載です。


今日昼間ちょっと時間があったので、御書を拝読していました。で、何気なくタイトルにあるように日興遺戒置文を拝読していたわけです。その中で気になってしまったのが


「謗法を呵責せずして遊戯雑談の化儀並びに外書歌道を好むべからざる事」



これってまさに某会長のことじゃ…?と思ったわけです。


謗法を呵責せずして遊戯雑談の化儀

→著名人達との対話。その中で池田会長が邪宗の破折をしていると聞いたことありません。

外書
→池田会長の指導にはよく、ナポレオンだのなんだのの名言がよく出てきます。

歌道
→これも池田会長の指導によく、詩や俳句が出てきます。



要は池田会長は創価学会の三宝のうちの僧宝である日興上人の御指南に完全に反しているということ。断じて日興門流の振る舞いではない。

ギャラリーの皆さんはどう思いますか?コメント募集します。下らない誹謗中傷等はお断りしますが。

「○○○の創価学会体験記」を破折する~その2

いやはや「反論はできないけど批判をする人」がまたまた日蓮正宗の批判をしていますね。

ってことでまた端から端まで破折しますかね~。

もし御覧になっているのなら少しは自身の間違いに気付いてもらいたいものです。


以下引用しつつ破折します。引用元は「虎之助の創価体験記」です。


>宗教とは人間の隠された荘厳の宝-フォイエルバッハ。最高の大仏法で心の財を築け

ん~でもね、嫌がらせとか、日蓮正宗のことを誹謗中傷する団体は「荘厳の宝」でないことは確かです。

>友情拡大の時は今。
>揺るがぬ信頼を築こう!
>人の振る舞いこそ仏法の根本

お~では創価学会ではその「仏法の根本」がぐらついているのですね。

最近だと矢野絢也氏に脅迫して手帳も持ち出していてたことが裁判で認定されましたね。

「人の振る舞いこそ仏法の根本」納得です。創価学会はおかしいですね。


>脱講者が続々の日顕宗(日蓮正宗)。

具体的証拠がないのでなんとでも言えますよね。さて具体的に何名が脱講して何名が脱会したんでしょうね?


>坊主の冷酷な仕打ちに辟易。人間失格の悪僧共よ

お~これなどは名誉毀損に当たりませんか?大丈夫ですか?具体的に「どの御僧侶」が「どんな冷酷な仕打ち」「人間失格な行動」をしたか言えますか?

>うちの本部では、次々に脱講する人が多く、入会する人がいます。

なぜそんなに「次々に脱講する人が多く、入会する人がい」る創価学会は何年経っても公称800万世帯から変わらないんでしょうか?つまり少なくとも入会する人間と同等の人間が脱会しているってことですね。


>創価新報で
>とまらない法華講の寺離れの記事を読み、相変わらずだと思いました。

相変わらず、偏った報道しか見ないのですね。この方は。講員数が減ったという寺院はあまり聞いたことないんですよね。そういう発言されるなら、是非、「どこの地方部(または支部)は何名減った」という証拠を出してもらいたいんだけど、未だかつてそういう証拠が出された試しがないんですよ。極めて胡散臭い記事ですね。


>脱講した人の記事もあり、日顕宗(日蓮正宗)の信心に功徳ないことや坊主の冷酷な態度に怒ったことや坊主が学会の悪口ばかりで何ら説得ないこと等々の内容で相変わらずだと思いました。

「日蓮正宗の功徳がない」という人が具体的にどういう活動をしていたか聞いてみたいです。「功徳がない」という人は、その殆どがご住職に言われた通りに修行をしていない人です。修行しなかったら「功徳がない」のは当たり前ですね。

坊主の冷酷な態度」ってなんでしょうね?私のお寺の御僧侶はみな慈悲も持って接してくださりますけど?見たこともないのにね。実際に話してみればどうでしょう?

「学会の悪口」は言ってないですね。学会の破折はされてますけど。まあ学会の人からみれば「悪口」に聞こえるのかもしれません。


>日蓮正宗は脱会者作りだけで折伏しない。学会の悪口ばかり、日顕のデマ情報で踊らせられてる妙観講や法華講活動家。

でました。今回のポイントですねここ。

「脱会者作りだけで折伏しない」

「脱会者を作ること」=「折伏」なんで、折伏しないというのは大きな間違いですね。虎之助さん。
でもねそもそも、日蓮正宗では創価学会以外の方も折伏してますよ。それこそ「デマ」ですね。

「日顕のデマ情報」ってなんでしょうね?教えて頂きたい。


>最後に
>友人葬に共感広がる。儀典部・導師の尽力に感謝。大聖人直結の宗教革命だ


友人葬では成仏できませんね。地獄へ直行です。一番の理由は掲げている本尊がニセものだからです。

「大聖人直結」も大きな間違い。


『師弟子をただして仏になり候。師弟子だにも違い候へば、同じく法華を持ちまいらせ候へども無間地獄に落ち候なり。うちこしうちこし直の御弟子と申す輩が聖人の御時も候しあひだ、本弟子六人を定め置かれて候、その弟子の教化の弟子は、それをその弟子なりと言わせんずる為にて候。』(佐渡国法華講衆御返事)

この日興上人の御教示に明らかに反します


以上終わり


しかし、虎之助さんは真実を知りたくはないのだろうか?聖教新聞等の創価学会側の情報がいかにいい加減なものなのか、自分の目で確かめればいいと思うんだが。。

是非勇気を持って真実を確かめて貰いたい。

創価学会の本尊について考える

 一般の方からニセ本尊について質問を受けたので、改めて自分で考えてみましたが、創価学会の本尊はへんですよね~。

 何がって、開眼のことです。

 日蓮正宗の御本尊様は下附していただく前に開眼されています。手を合わせて頂く、仏様です。

 一方創価学会の本尊のような物は、未開眼です。開眼について今の創価学会では概ね2つの見解があるようです。

 1.開眼などそもそもいらない。

 2.我々(創価学会員)が手を合わせ題目を唱えることによって開眼される。

 そもそも同じ会員の中で、見解が統一されていないことがおかしなことなのですが、そこは目をつぶりましょう。

 まず1.について。

 開眼がいらないということは何もしなくても元々紙であった物が拝む対象である仏となってしまうということです。

では、印刷機から出てきた瞬間に紙全体が仏になるのでしょうか?それとも印刷された箇所から徐々に仏になるのでしょうか?直前までただの紙であったの物が印刷された瞬間に何もせずに仏になるとはにわかには考えられませんね。

また、本来大聖人の御本尊は本紙(白い部分)とそれを保護・荘厳するために表装の部分があります。ですからもちろん厳密に言えば仏様であるのは本紙の部分だけです。

しかし、学会の本尊のような物は一枚刷りであり、本紙の部分と表装の部分が一体となっています。ということは印刷された時に白い部分を境に「一枚刷りの白い部分だけが仏になる」という奇妙なことが起こるのでしょうか?

さらに、開眼がいらないということは、本尊として必要なことは相貌(文字曼荼羅の文字とその配列)だけになります。そうなると、相貌が同じであるなら、日蓮宗の本尊だろうと、はたまた在家が自分の手で書いてしまおうが変わりがない。というとんでもないことになってしまいます。

次に2.について

これはまた恐ろしいことです。2.が示していることは「自分が手を合わせることによってただの紙が仏になる。」ことに他なりません。

しかし、本来、我々人間は「仏様(御本尊)に手を合わせることによって、自らに内在する仏性(仏の命)を涌現させ、仏様と同等の命になることができる。」ので、これでは主客が逆転してしまっているのです。もしそうであるのならば、本尊は必要ないのです。

最先端の創価学会狂学

最近記事書けずにいます。すみません。今日もあんまり暇ないんですが、たまたま見つけたんでご紹介します。

このブログです。

http://umasan280.blog88.fc2.com/


「創価学会は日蓮仏法ではありません。」


堂々とこう宣言されています。初め見た時ぶったまげましたが、もしからしたらそのうちみんなこうなるのかもしれませんね。

そしたら創価学会の本尊は・・・・。想像したら怖くなったので辞めておきます。


(追記)

僧宝は池田大作名誉会長だそうです。

絶句しました。

「某創価学会体験記」を破折する

 アメブロに「○○○の創価学会体験記」というブログがある。日蓮正宗の批判(あせて誹謗とはかかない)をしていたので破折するコメントを書かせてもらった。すると暫くして削除されてしまった。メールで問い合わせたところ「誤って削除した」とのこと。問い合わせの際に強く言いすぎてしまったこともあり、その謝罪をしつつ、ブログ上で議論の再開を申し出たところ、返事を貰えなかった。そこで自分のブログで掲載させてもらうことにした。(このことも問い合わせたが返事なし)

 その後も何度か日蓮正宗を批判しているのだが、破折のコメントに対して無視をされている状態である。応対できないのであれば、批判しなければいいのにと思うのだが、そういう道理はわからないようである。


 さて破折に取りかかります。折角なので一文一文破折してみましょう。(赤字が破折文です)


>日蓮正宗をなぜ日顕宗と呼ぶのか


なぜ日蓮正宗だけを「日顕宗」と蔑んだ呼び方をするんでしょうね?創価学会にとって創価学会以外みな邪宗でしょう?全ての宗派を蔑称で呼んでみてくださいね。まあそんなことしたら広宣流布なんてできないでしょうけどね。



>今さらですが、日蓮正宗は本来は法主とは信行学の模範となり仏法を護持する存在でなければならない。


「信行学の模範となり仏法を護持する存在」であるから間違ってしまった創価学会を破門に処しました。何か問題でも?



>ところが終始、主張しているのは、法主は絶対であるからともかく法主に従えという、一切の対話を拒絶して独善化を進める「法主絶対論」「法主信仰」である。


「法主は絶対であるからともかく法主に従え」と主張したことはないですね。「一切の対話を拒絶して」とは何に対して言っているのでしょうか?証拠がないですね。
「法主絶対論」「法主信仰」は創価学会の造語ですね。ちなみに破門前までその「法主絶対論」「法主信仰」をしていたのは、紛れもない創価学会自身ですね。まさか「破門前も功徳がなかった」とでもいうのでしょうか?


>だから日顕宗と呼ぶ。

ここが一番狂ってますね。「だから」という言葉はそれ以前が理由であるということだが、その理由を持って「日顕宗と呼ぶ」とは・・・・。普通の常識を持つ方なら解りますよね。「日顕宗と呼ぶ」ことの理由にはならないことが。
まあここなどは創価学会を信仰するとおかしくなるという実証ですね。


>この法主信仰は日蓮大聖人の仏法の三宝を破壊する大慢心の教義であり、日蓮正宗が最大の邪教を化した根幹の要因だ。

「法主信仰」なるものが存在しないので、それ以下は無意味ですね。


>これほど前代未聞の邪義で法主が大御本尊と不二の尊体である、法主を絶対なるものは礼拝し信仰せよという。おかしい。法主絶対は大聖人、日興上人に違背している。

「法主が大御本尊と不二の尊体」とは言ってませんね。
正しくは「唯授一人の血脈の当処は戒壇の大御本尊と不二の尊体」です。
悪意を持って引文していることがわかります。


>日興遺誡置文には「時の貫首たりともと謂も仏法に相違して己義を構えて之を用う可からざる事」とある。

まあまあ使い古されたことですけど、その隣に「衆義たりと雖も、仏法に相違有らば、貫首之を くじくべきこと」とありますね。この2文が同時に存在する為にはね「貫主」はずっと存在しないといけないんですよ。もしね創価学会が言うように「貫主がいない」と事態が起こったら、誰が「衆義をくじく」んでしょうか?「衆義たりと~」の文が存在している意味がなくなってしまいますね。さあどうしましょう創価学会さん。


>日顕が1990年に学会を切ろうと際に「20万、こっちにつけばいい」と語った事は有名で自分たちの贅沢三昧する生活を続けるための人数だ。

これなども意味わからん指摘ですね。本当に「贅沢三昧する生活を続ける」為ならば創価学会を破門にする意味がありませんね。だって当時800万世帯いた訳でしょ?わざわざ20万減らす理由がないですよ。


>日蓮大聖人の御遺命である広宣流布を担う仏意仏勅の創価学会を破門し破壊しょうと企てた日顕。

いやね、破門したのはね、創価学会が謗法行為をし続けたから。それだけです。


>日顕が犯した最大の罪は、仏法上の大罪、「破和合僧」の罪。最大の謗法だ。
>(大白蓮華より)

wwwwwwって感じですね。自分の謗法を棚に上げて、日顕上人のことを「破和合僧」とはどういうことなんでしょうね?
「およそ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。」(真言見聞)
わけのわからんことを言うよりも自らの謗法を怖れた方がいいですよ。僧宝である日顕上人を呼び捨てにするなど、恐ろしいことです。


>大聖人はどう思っているのだろうか?

創価学会が謗法団体に陥ったことを悲しんでおられるのだと思いますよ。


>自分勝手な考えを陥ってもやっぱり大聖人は幸福、成仏を祈るのか

そうですね。日顕上人も池田大作が懺悔して成仏できるように毎日御祈念しているとおっしゃっていました。それに対して創価学会はね「日顕(上人)撲滅」だって。
日蓮正宗と創価学会の違いが鮮明に表れてますね。


>やっぱり凄い日蓮仏法は。

日蓮大聖人の仏法が凄いのは確かですが、間違っても創価学会は「日蓮仏法」ではありません。どちらかというと「外道」ですね。


以上、破折終わり

人を救うことのできない創価学会

 

 三年前のことであるが、創価学会員であった元サザンオールスターズの大森氏が覚醒剤所持で逮捕された。私は覚醒剤所持自体にとやく言うつもりはない。我々は凡夫だから過ちをすることもあると思うからである。
 私が創価学会がおかしいと思うのは、大森氏が「創価学会に迷惑をかけたから」といって退会届を出したことに対して、受理をしたことである。

 たとえ悪に染まろうが、そこから善導していくのが宗教団体としての姿じゃないのだろうか?

悪人も成仏できるのが日蓮大聖人の教えのはずである。それが、「悪いことしたから辞めます」って…。それを引き留めるのが創価学会の役目じゃないのか?自分の悪行を反省懺悔するところから人間は成長していくんじゃないの?それとも創価学会は善人聖人しか信仰してはいけないの?

創価学会では人救うことができないことを自ら暴露した出来事である。



目を醒まして下さい、学会員さん!

創価学会は絶対におかしいですよ!!


おかしいでしょ!!!