旅の終わりは、いつだって静かにやってくる。
まるで潮が満ちては引くように、いつの間にか、日常という浜辺に戻っている。
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今の職場には、年に一度、5日間の連続休暇を取る制度がある。
去年は10月の後半に沖縄本島を旅した。
台風が接近していて、後半は雨だったけれど、そのおかげで博物館や美術館をゆっくり巡る時間ができた。
旅というのは、天気が悪い日もまた一つの景色を見せてくれる。
今年もまた、年の初めにその休暇を設定した。
どうせ行くなら、やっぱり沖縄がいい。
台風の心配が少なく、夏の名残りがまだ感じられる季節。
風がぬるく、光が柔らかく、海がまだ泳ぐ人を拒まない10月上旬に決めた。
本当は11連休にしてもよかった。
でも、栃木SCの試合がある。
だから6日間。
月曜から土曜まで、短くも濃い旅にした。
沖縄は何度行っても飽きることがない。
同じ道を歩いても、その日の天気や風でまったく違う顔を見せてくる。
食べるものも、出会う人も、偶然のようで、運命のようだ。
そんな一期一会の旅が、僕にとっての沖縄なのだと思う。
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今回は、あえて行ったことのない場所を選んだ。
そうだ、あのドラマ「Dr.コトー」の舞台。
与那国島。
最果ての島。
沖縄本島からおよそ500km。
台湾まではわずか110km。
地図を見ると、国境線なんて、ひとつの線でしかないのに、そこには確かに違う時間と歴史が流れている。
与那国は日本で、台湾は中華民国。
台湾はかつて日本の統治下にあった時代もあり、その名残が島の端々に残っている。
そうした複雑で、どこか哀しみを孕んだ場所に、ずっと惹かれていた。
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石垣島を拠点にして、日帰りで小さな島々をめぐり、最後に与那国で一泊する。
そんな計画を立てた。
那覇経由で石垣へ。
那覇からの便はANA、羽田直行便より茨城空港スカイマークと乗り継いだ方が安く、しかも那覇からの便はセールだった。
成田からのLCCも考えたけれど、空港までの移動や荷物制限を思うと、いつもの茨城空港スカイマークのほうが、僕には合っていた。
帰りも与那国から那覇を経由して茨城へ。
──そして、最後の夜だけ、那覇に泊まる。
その一泊が、30年前に初めて泊まったホテル、しかも今年で閉館するサンパレス球陽館だった。
偶然という言葉では片づけられない出来事だった。
人は時に、見えない糸に導かれる。
それが運命という名で呼ばれるものかもしれない。
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旅の前に、もしもの時のプランも立てた。
台風、船の欠航、急な天気の崩れ。
すべて想定していた。
でも、結果的にそのどれもが必要なかった。
旅の間、ずっと晴れた。
鳩間島には行けなかったけれど、波照間島や小浜島、石垣での出会い、居酒屋の夜、通りすがりの人との会話。
それらはすべて、“行けなかったこと”を補って余りある幸せな記憶になった。
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30年前のあの日から始まった、僕の沖縄。
それから何度も訪れた。
年に一度、いや二度のこともある。
数えきれないほどの旅を重ねて、それでも毎回、同じことを思う。
──やっぱり、来てよかった。
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2年前、前の会社を辞めることになった時、両親を連れて10日ほどの旅をした。
あの頃は離婚の後でもあり、いろんな意味で節目だった。
迷惑もかけたし、感謝も伝えきれなかった。
だから、せめてもの恩返しに。
両親がまだ長距離を移動できるうちに、沖縄の海を見せたかった。
その旅では、石垣島、竹富島、本物の「青」を見せてあげられた。
今ではもう長旅は難しく、あれが最後の家族旅行になった。
けれど、父と母の笑顔があの海に残っているような気がする。
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その年の暮れに、今の職場から内定をもらった。
入社前の10日間、また僕はひとり沖縄にいた。
過去と未来の狭間に立ちながら、波の音を聞いていた。
これまでを振り返り、そしてこれからを思った。
状況は違っても、今回の旅も同じだった。
与那国の風に吹かれながら、石垣の海を眺めながら、僕はまた考えた。
今までの人生、運が良かったこともある。
誰にも見せずに泣いた夜もあった。
誰かの優しさに救われたことも数えきれないほどあった。
血がにじむような努力もしてきた。
全部ひっくるめて、今の自分がある。
だからこそ、この“島の時間”が必要だったのだと思う。
時計の針がゆっくりと進む場所で、自分の呼吸を取り戻す時間。
それは、何よりの贅沢だった。
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旅の記憶を思い返すと、真っ先に浮かぶのは海の青さと人の笑顔だ。
市場のおじさん、共同売店のお姉さん、フェリーのスタッフ、宿のスタッフ、食堂のおばさん、居酒屋のお姉さん、すれ違った島の子供。
みんな、そこに生きている人たちだ。
僕が憧れてきた“沖縄”という舞台で、日々を積み重ねている人たち。
観光客としての僕は、ほんの一瞬、その世界にお邪魔しているだけにすぎない。
でも、その一瞬が、心のどこかをやさしく温めてくれる。
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旅の終わりに、ふと思う。
人はなぜ旅に出るのだろう。
非日常を求めるためでも、何かを変えるためでもなく、きっと「自分を取り戻すため」なんだと思う。
与那国の風の匂いをまだ覚えている。
波照間の光、石垣の夜、小浜島の静けさ。
それぞれの景色の中に、確かに“今の自分”がいた。
この一年、仕事のこと、今の自分や、今までそしてこれからの人生のこと。
いろんなことを考えすぎて、少しだけ息が浅くなっていたのかもしれない。
でも、あの島の空気を吸い込んだ瞬間、何かがゆっくりほどけていった。
あぁ、自分はまだちゃんと生きてるんだなって。
太陽の下で笑う人たち、泡盛の匂い、食堂のざわめき。
空も、海も、飲み物も、食べ物も、そして出会った人たちも、みんな美しくて、やさしかった。
そのひとつひとつが、“生きている音”として心に残った。
そして思う。
人生は、旅のようなものだ。
行き先を決めても、天気は変わるし、思い通りにならないことも多い。
でも、思いがけない風景に出会ったとき、あぁ、ここまで来てよかったなと思える。
この旅も、きっとそんなひとときの連なりだった。
──海を見て泣けるのは、その美しさに自分の人生が映るからだ。
そのとき、潮風が少しだけ強く吹いて、遠くで誰かの声がした気がした。
「また、やーさい。」
沖縄では別れの言葉を「また、やーさい」と言う。
「また会おう」という意味だ。
また行こう。
誰に約束するでもなく、静かに、心の中で僕は小さくつぶやいた。
「また、やーさい。またちゅーくとぅや。」──また来るからね、と。
きっと次に行ったとき、島の人たちは笑ってこう言ってくれるだろう。
「おかえり」って。
そう言ってもらえる場所がある。
それが、僕にとっての沖縄だ。
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