「路地裏の少年」浜田省吾
1986年
1976年4月21日(デビュー曲)
1988年8月20日に浜名湖畔の「渚園」での野外ライブ
「ON THE ROAD 2005-2007 "My Firsty Love"」
「路地裏の少年」には、デビューシングルヴァージョンを含めて7つのヴァージョンがある。
浜田が広島学生時代16歳から浪人を挟み、上京し神奈川大学在学そして中退を経て、22歳までの横浜に住んでいた頃を歌っている。学園闘争でキャンパスが荒れ、無意味な内ゲバが横行し、工業地帯のベアリング工場などで油まみれのアルバイト生活を送る浜田が、労働者たちの生々しい生き様に感性を揺さぶられて歌詞を書いた。23歳の誕生日の前日に書かれた曲で、そのためラストが「22歳」となっている。この曲を聴いたスタッフは「これで行ける!」と盛り上がり、浜田もそれを聞いて喜んだという。
制作段階では「青い目の少女」というタイトルで、浪人時代に出会ったホームステイに来ていたアメリカ人の女子学生のことを歌ったものだった。浜田にとって初恋の相手ともいえる存在で、夏休み期間中のホームステイが終わり彼女がアメリカに帰ってからも、しばらく文通を続けながら交流があったという。しかし、作っている途中で「このことを歌にするのはやめよう」と思い「路地裏の少年」として書き換えられた。そのことをジャクソン・ブラウンに話すと、「本当に大切な思い出は自分だけのものにするのだね」と言われたという。
後にディレクターとなる須藤晃は、パチンコ屋で初めてこの曲を聴いたとき、"いつかは”この国,目を覚す"の部分を"いつかは孤独に目を覚す"と聴き間違えて、「なんて文学的な表現をする人なんだ」と思ったという。
大友康平はアマチュア時代にラジオでこの曲を聴いて衝撃を受け、すぐさまレコードショップまで走ったという。プロになる決意をした楽曲だと浜田の1991年コンサートパンフレットに寄稿している。
俵万智の歌集『サラダ記念日』(1987年初版)に "「路地裏の少年」という曲のため少しまがりし君の十代"と詠まれた歌がある。
浜田のファンであるSomething ELseがフジテレビ系『LOVE LOVE あいしてる』に出演した際、本作のカバーを披露した。
作詞作曲:浜田省吾
プロデュース : 浜田省吾
リリース:1976年4月21日(ソロデビュー曲)
リリース:1986年9月4日(アルバム『J.BOY』収録ヴァージョン)
真夜中の校舎の白い壁に
訣別の詩 刻み込んだ
朝焼けのホームに あいつの顔
探したけど涙で見えず
「旅に出ます」書き置き机の上
ハーモニカ ポケットに少しの小銭
ああ「さよなら」の
意味さえも知らないで
ああ訳もなく砕けては
手のひらから落ちた
あれは おれ16 遠い空を
憧れてた 路地裏で
アルバイト 電車で横浜まで
帰る頃は 午前0時
古ぼけたフォークギター窓にもたれ
覚えたての「風に吹かれて」
狭い部屋で仲間と夢描いた
いつかはこの国 目を覚すと
ああ「裏切り」の
意味さえも知らないで
ああ 訳もなく砕けては
手のひらから落ちた
あれは おれ18 肩窄めて
待ち続けた 路地裏で
赤茶けた工場の高い壁に
倒れかけた 帰り道
家を出て 初めて故郷の母に
「元気です」と 書いた手紙
恋に落ちて 戸惑う熱の中で
いつしか二人で過ごす 夜毎に
ああ 「やさしさ」の
意味さえも知らないで
ああ 訳もなく砕けては
手のひらから落ちた
あれは おれ21 細い肩を
抱きしめてた 路地裏で
口づさめば 悲しい歌ばかり
届かぬ想いに 胸を痛めて
ああ 今日もまた
呼ぶ声に応えては
ああ 訳もなく砕かれて
手のひらから落ちて
今はおれ22 初めて知る
行き止まりの 路地裏で
