またも想定外の入院になってしまった。
手術が予定通りできないかもしれないという不安が頭をよぎる。
次の日には、容体は安定していたので、HCUから一般病棟に移ることができた。
しかし、熱は37度以上あり発疹もある。
病室の担当病棟は皮膚科となった。
一般病棟に移り2日目くらいだったか、レントゲンを撮影した結果、肺炎の影が少し濃くなってしまっていることが判明した。
肺炎の状態では手術はできないが、呼吸器科の先生と相談し、まずはアレルギー症状を治めるため、ステロイドを処方して治療していくことになった。
また、皮膚科の先生からアレルギー反応を起こした薬が特定できたとの報告があった。
オーグメンチンという抗生物質と造影剤の組み合わせが反応したようだ。
今後、ペニシリン系の薬の使用は控えるとのこと。
手術予定日は5/17
あと約2週間でアレルギー症状と肺炎を完璧に治さなければ手術はできない。
入院となった次の日、外科の先生が病室に訪ねてきた。
まさかのアナフィラキシー症状での入院は、先生も想定外だったようだ。
先生 「…なんでこうなったんですか!?」
こっちが聞きたいわ!!
と、父が先生にツッコんだかどうかは知らないが、母にはメールでそうツッコんでいた。
微熱が続いているものの、体調は安定しており、食欲もあったので、病院食では足りないと言っていた。
母も自分もなるべく食べたい物を食べさせてあげたいと思い、ほとんど毎日差入れを持っていった。
コロナ禍で面会はできないので、直接手渡しはできなかったが、病院に来てくれることを父は喜んでいるようだった。
父の病室は、病院の駐車場が見渡せる場所だった。
いつも「駐車場に着いたら教えて」とメールがくる。
普段の父はそんなことを言うタイプではない。 (と思う)
父の病室は11階にあり、そこから駐車場を見ても米粒ほどにしか見えないが、遠くても家族の姿が見えることが嬉しかったようだ。
毎日ずっと病室で1人で過ごしている父にとっては、そんな些細な事でも気分転換になっていたのだろう。
毎日病室で一人で過ごすことは、相当孤独な戦いなんだろうと思う。
駐車場に着いて病棟を見上げると、11階の病室から手を振っている父が見えた。
息子も病室のじぃじに手を振ることを楽しみに、ほぼ毎日病院についてきていた。
緊急入院から約1週間が経ち、発疹もかなり治まった。
熱も、平熱~37度を行ったり来たりという状態になっていた。
あと手術まで1週間と少し、何事も起きないことを祈る毎日だった。
相変わらず、外科の先生は手術に慎重な姿勢は崩さず
「まだ手術できるかどうかのギリギリです」
と言っていた。
おそらく、手術室に入りメスで切る直前まで、それは変わらないのだろう。
そして
いよいよ本格的に手術の話が進み始める。
手術に向けて説明があるとのことで、家族も同席するため予定が組まれた。
5/9 麻酔科の先生の説明
5/10 外科の先生の説明
5/9は自分も休みだったので麻酔科の先生の説明に同席することにした。
5/9当日、病院に行ってみると、まず全身麻酔の説明ビデオを見ることになった。
8時間前から食事はできない。
水分も2時間前まで。
喫煙している場合、手術は出来ない。
喫煙者は手術後の合併症のリスクが非常に高い。
等々…。
タバコは癌の発生原因になるのはもちろん、手術にも悪影響しかないことがよく分かるビデオだった。
それから麻酔科の先生の問診、手術中の麻酔の説明、手術後の麻酔の説明があった。
手術は正味5.5時間、麻酔の準備等で前後1時間はかかる見込みとのことで
計画通りいっても7~8時間を要する。
父は胸腔鏡手術ではなく、開胸手術になるようだ。
大きな手術であることは間違いない。
肺癌の手術は、術後にかなり痛みを伴うらしい。
手術後、しばらくは硬膜外麻酔を使用して痛みを抑えるようにするとの説明を受けた。
それから栄養士さんの話もあった。
今、病院食以外で何かたべていますか?
はい
ほぼ毎日いろいろ食べてます
トマトやブロッコリーなどの野菜、ぶどうにパイナップルに、お菓子・・・
食べ過ぎているようで、少し恥ずかしそうに答えていた。
ちょっと笑えた。
病院食は1600kcl で出していますが、足らないですか?
はい、足らないですね…
では1800kclに増やしましょう。とは言っても、増えるのは米だけなんですが、それとも何かパックの飲み物をつけて200kclプラスしましょうか?
米だけ増えても食べにくいので、それでお願いします。
次の日から、昼ごはんにパックの飲み物(コーヒー味)が付くようになった。
それに加え、手術までの1週間、筋肉を少しでも付けるようにと病院内をウォーキングすることを勧められた。
毎日の差し入れと病院食で、カロリーは十分に摂取していたと思うが、全然太らない。
逆に体重は減っていた。
やはり癌の影響があるのだろう。
この日、久しぶりに父と面会したのだが
筋肉質で標準よりもガタイの良い父が、標準よりも若干やせ型くらいの体系になっていた。
足は今まで見たことも無い細さだった。
筋肉量もかなり減っており、本人もこんなに細いのは初めてだと言っていた。
5/10 外科の先生の説明
自分は仕事のため行けなかったが、母からおおよその話を聞いた。
外科の先生(手術の執刀医)のため、具体的な手術方法について説明があったようだ。
右の脇の下を開胸し、肺葉切除と気管支形成術で可能な限り肺を温存する計画ではあるが、
状況によっては右肺全摘の可能性もある。とのこと。
右肺全摘になったとしても、手術で癌を取り除くことが最善の方法であることは間違いないという。
気管支形成術とは、高度な技術を要する手術らしい。
以下、ネットから引用
がん病巣が残らないように術中に切除断端の顕微鏡検査(術中迅速病理検査)を十分に行うこと、また、口径差のある気管・気管支の血流を維持し緊張を緩和した状態で吻合したり、温存する肺への血流を確保するため肺動脈形成術を併用する場合があったり、高い技術が必要です。
気管支形成術とは、簡単にいうと気管の一部を切除して、癌の及んでいない管に繋ぎ合わせるようなことだが、アレルギー症状の治療のために使っているステロイドが、手術には良くないらしい。
どんなに上手く気管を縫い合わせても、手術後、ステロイドの影響で外れてしまうことがある。
その場合、緊急手術になり、どこかの脂肪を巻き付けて補強するといった処置を施すとのこと。
この日から、手術に向けてステロイドの使用を無くしていくようだ。
この日、初めて聞いたのだが、父の肺癌はステージ3Aだそうだ。
ステージ3Bだと手術不可。
本当にギリギリのラインだという。
肺癌手術では、実際に開けてみないとわからないことが多いらしく、MRIやCTでは写らない広がり方(例えば水玉のように点々と散らばっている等)をしている場合もあるとのこと。
その場合、取り切れないと判断し、最悪何もせずに閉じる可能性もゼロではない。
手術を進めていっても、どうしても切れない部分に癌が浸潤していた場合、取り切れない場合がある・・・
等々。
先生としては、可能性のあることは説明しておかなければならないとは思うが、不安になる情報が盛りだくさんだ。
3日くらい前、MRIを実施し新たに肺の上にも影があることが判明した。
しかし、これは実際に開けてみないと、どうなっているのか分からないという。
何も問題ないかもしれないし、癌が浸潤しているかもしれない。
この辺りには重要な血管があり、癌が絡みついていたりすると切ることができない部分だそうだ。
手術は12時頃から始まる予定とのことだが、他の手術との兼ね合いで時間は前後することもある。
手術後は、ICUで一晩様子を見て、その後、問題なければ一般病棟に移される。
状況によってはICUに2日程度入ることもある。
そして、手術中は、家族の人が最低一人は待合室で待機していてくださいと。
自分は仕事なので、母が一人で待機することになった。
7~8時間の長時間を覚悟しなければならない。
場合によってはもっとかもしれない。
想像するだけで大変だ・・・。
あとは手術まで(当然その後もだが) コロナには十分に気を付けるようにと言われた。
先生曰く
「コロナ感染した状態で手術をすれば、確実に死にますので・・・」
そして、手術まであと2日
この日になっても、手術中止という連絡はない。
よっぽど何もなければ手術が出来そうだ。
夜、父とビデオ通話したのだが、喋ると咳が目立つようになっていた。
かなり腫瘍が大きくなっており、気管支を塞いでいるため、咳が出るようだ。
ここで咳込んで、また肺炎にでもなったら大変だ・・・。
なるべく声を出さないようにと、通話は控えるよう、こちらも慎重になった。
手術前日
やはり緊張してきた。
本人はもっとだろうが・・・。
手術の準備で、前日から飲まなければならない薬が処方された。
もう間違いない。
これまで、手術が出来るかどうかギリギリと言われ続け、本当に手術に辿り着けるのか不安だった。
ここへきて、やっと手術ができる、という確信が持てた。
父は体力をつけるため、院内を5000歩/日のウォーキングを前日までやっていた。
治すために必死に頑張っているように見えた。
夜、ベッドの中で手術の成功を祈った。
そして手術当日
前日に手術開始が早まりそうという連絡を受けていたので、朝9:15頃に母を病院に送った。
手術直前、父と顔を合わせることが出来たらしいが、会話は出来なかったようだ。
10:30頃、看護師さんに案内され、歩いて手術室に向かったとのこと。
それから母は待合室で待ち続けた。
待合室は、手術室が見えない場所にあり、手術が何時に始まったのかも分からない。
自分はその日仕事だったが、17時に仕事を切り上げ
病院に駆け付けた。
待合室で待っている母を見つけた。
17:30近くに病院に着いたが、まだ手術中のようだった。
手術室に入ってから、7時間以上は経過しているが、何も連絡はないという。
何か不安なことや聞きたいことがあれば、遠慮なくICUのスタッフに聞いてください、と言われていたが、何も聞かずにずっと待っていたようだ。
連絡が無いということは、何も問題が無いということ。 そう信じるしかない。
逆に1~2時間程度で終わったとなれば、何もせずに閉じた、という最悪な結果だったことを意味する。
これだけ時間が経っているので、最悪な結果ではなかったということだろう。
18時過ぎた頃、一度状況を聞いてみることに。
ICUのスタッフにどんな状況か聞いてみた。
「特にこれまでICUには連絡はありませんので、手術は順調に進んでいると思います。」
「手術が終わりに近づくと、ICUにベッドを用意するよう指示が出るのですが、もうベッドの用意が出来ているので、あと1時間もかからないと思います。」
それから20分くらい待っただろうか
待合室からは、ICUも手術室も見えないが、慌ただしい音が聞こえてきた。
ウィィーン・・・・
ピコン、ピコン、ピコン・・・
自動ドアが開いた音の後、慌ただしい機械の音とベッドを搬送する音が聞こえてきた。
音だけで、いくつもの機械がつながっていることが想像できた。
きっと父が手術室からICUに運ばれたのだろう。
それから、さらに10分くらい経っただろうか
面談室に案内された。
手術の結果を説明されるようだ。
これからどんな説明があるのだろう・・・
どんな心構えで聞いたらいいのか分からなかった。
先生がやってきた。
片手に何か容器を持っている。
開口一番
「なんとか取り切れました。」
「一度気管を切って、顕微鏡で確認したら陽性でしたので、さらに範囲を広げて切り、陰性が確認できましたので気管をつなぎました。」
そして、持ってきた容器から中身を取り出す。
切除した右肺の上葉部分だった。
「この飛び出ている部分が癌になります」
「まだ見えない細胞レベルの癌が残っているかもしれないので、切り取ったものをこれから調査して、来月になるかと思いますが、今後の方針を決めていきます。」
「手術前は、アナフィラキシーもあり、かなり厳しい状態でしたが、なんとか取り切れましたね」
「取り切れたということは非常に良いことです。」
「まず、手術で取り切れなければ完治はないですから。」
「想定していた中で、一番良い結果になりました。」
良かった・・・。
ほんとに良かった。
母が涙を拭ってお礼を言う
「ありがとうございました・・・」
隣でその姿を見ると、自分も自然と涙が出た。
先生の説明が終わり、それからさらに10分くらい待つと、ICUのスタッフから、父が麻酔から覚めたとのことで、ICUに案内された。
渡された医療用の手袋とガウンを着用し、ICUに入る。
酸素マスクを付け、いくつものチューブに繋がれた父と面会した。
かなり辛そうだった。
「右腕が痛い・・・・。」
手術中の体制は、右脇を切るため左を下に横向きの状態だった。
右腕を上げた状態で7時間以上同じ姿勢だったことで、右腕が凝り固まってしまったらしい。
先生は 「よくあることなので問題ないですよ」 と言っていた。
一応、会話は出来たが、喋るのもやっとの状態だったので最低限伝えたいことだけ話した。
「全部取り切れたよ」
「想定していた中で、一番良い結果だったって」
「よかったね・・・」
次の日、経過は順調とのことで一般病棟に移ることが出来た。
硬膜外麻酔を入れているが、とにかく痛くて動けないようだ。
咳をすると、死ぬほど痛いらしい・・・。
それでも、先生曰く
「順調です」
父から「こんなに痛いのに何が順調だ」 とメールがきた。
文句を言う元気があるなら順調なのだろう。
術後はしばらく痰が出るため、咳で排出しないといけないが、咳をすると激痛が走るとのことで、
しばらくは痛みとの闘いになりそうだ。
術後1日目は、痛くて食事もできなかったらしい。
術後2日目
尿を排出する管が取れた。
食事は半分くらい食べれるようになった。
右腕が痛いと訴えると、湿布をくれたそうだが、「貼りましょうか」とも言われず、自分で貼ったらしい。
術後、切った脇の辺りにチューブが挿入された状態になっており、何か液体が排出されているようだった。
そのチューブが取れると少しはマシになりそうとのこと。
術後3日目
脇の辺りに挿入されていたチューブが取れ、かなりマシになったようだ。
病院の食事は完食できるようになった。
それでも、まだ自由に動けるまでには程遠く、トイレや食事も大変なようだ。
リハビリの先生が来てリハビリが始まった。
術後4日目
以前として右腕が痛いとのことで、整形外科の先生に診てもらったとのこと。
レントゲンを撮ったが異常なし。
同じ姿勢でいたため、凝り固まっている状態なのでリハビリで治していくとのこと。
痛くて食べる気が起きなかったが、今日から食欲が出てきたとのことで、フルーツやヨーグルトなど、差し入れを持っていった。
まだ酸素は繋がれたままだ。
酸素が無いと血中酸素濃度は85くらいになってしまうそうだ。
まだ肺機能の回復には時間がかかりそうだ。
- 完 -
これまでの2カ月間の出来事を記しました。
この先、まだ何が起こるのか分かりませんが
とりあえず、早ければ5月末で退院できるかもしれません。
この先も順調に回復しますように・・・。