そういえば、こんなことが起きていた。
前編で書いた通り、父が検査入院から退院した2日後
MRSA感染症による肺炎を発症し、緊急入院したのだが、この日、不思議なことがあった。
その日、気付くと2階のリビングの電波時計が狂っていたのだ。
あれ?
電波時計なのにおかしいな・・・
あまり気にもせず、電池を交換して様子をみることにした。
それから1階で生活している母の様子を伺おうと、一階へ向かってみると、
なんと、1階のリビングの電波時計も止まっている。
これだけなら偶然かなと思ったが・・・
入院した父から連絡があって、腕時計を忘れてきたので、病院に持ってきて欲しいという。
父の腕時計はデジタルの電波時計なのだが、
なんと、これも狂っている・・・。
これって偶然?
まぁ電波時計だから、電波状況が悪くなったとも考えられるが・・・。
ちなみに今まで、一度もこのようなことはない。
それから3日ほど、2階の電波時計の様子を見たが、
何度も強制的に電波を受信させても正確な時間にならなかった。
完全に壊れたと思った。
仕方がないので、その電波時計は諦め
電波時計ではない時計を他の部屋から持ってきて壁にかけた。
そして、次の日
何気なく時計を見ると
なんとその時計までもおかしな時間を指していた。
今まで他の部屋では全く正確に時を刻んでいたのに。
それでも、もちろん偶然かもしれない。
でも不思議なこともあるもんだなと思った。
4/10 癌を宣告された日
すぐに母と病院をあとにしたが、車の中で何を話したか全く覚えていない。
家に帰ってからも、重い空気が家中に充満していた気がする。
たまに母の様子を伺ったが、食事なんてできる状態ではなく
時折、涙していた。
まだ最悪な状況になったわけじゃない
うちはいつも最後には何とかなってきた
今回もきっとなんとかなる
そんなことを母に言ったと思う。
しかし、もう癌は確定したのだ。
希望は手術で取り切れること。
来週の脳MRIで転移していないことを祈るばかりだった。
家族がこのような状態になると、神でも仏でも
とにかく何にでもすがりたくなる。
次の日、朝から遠出してある場所に向かった。
何年か前、テレビ番組で癌や病気に効果のある水があるというのをやっていた。
もし、家族のだれかが癌になったら行ってみようと思って携帯にメモっておいたのだ。
そこの水は水質を科学的に調査した結果も公表されている。
水の分子のクラスターが小さく、細胞に入り込みやすい。
そのため、病気を治す酵素が作用しやすいという。
ちなみに、どんな状況であってもお金を取るような変なインチキ商法に騙されるつもりはない。
全国各地に霊水とよばれる湧き水があるが、きっとプラシーボ効果もあるだろう。
それでも効果があるならいいじゃないかと思った。
病は気からというのは、まんざらでもないと思っている。
科学的に、成分が明らかに水道水とは違うのなら、たとえ癌が治るとまでいかなくても
免疫力が少しでも上がる等、良い作用があるなら試してみる価値はあると思った。
しかも、そこの水は無料で汲ませてくれる。
とにかく、出来ることがあるなら、後悔しないためにも出来ることをやっておこうと思った。
4/13 脳MRI検査
MRIは画像検査なので、当日に結果が出ることを期待したが、やはり結果は当日には出ず。
検査結果については何も言われなかった。
次の日、自分はテレワークで自宅で仕事をしていたが
一階の母からメールが入る。
「脳転移無かったって!」
やったー!
よかった!!
これで手術が出来る!
そう思った。
癌宣告をされて落ち込んだが、
手術が出来ると思うと家族がみんな前向きになった。
来週から、手術に向けた検査が始まるという。
もう、本人も家族も手術できる気になっていた。
しかし、先生は
「まだ手術が出来ると決まったわけじゃありませんので」
と釘を刺すように言われた。
それから、手術に向けた検査が始まった。
心電図や肺活量の計測、肺の左右の酸素取り込み量などの検査をしたらしい。
肺を切除した後の影響などを調べるためだろう。
肺は左右にあるが、人によっては20% : 80% など、
左右の酸素取り込み量が偏っている人もいるらしい。
そんな人が80%の方の肺を切除するわけにはいかない。
それから数日経ったある日
MRSA感染のため、ずっと何種類かの点滴をしていたが、それらの点滴が全て取れたという連絡があった。
まず、肺炎が治らなければ手術はできない。
点滴が不要になったということは、肺炎がかなり回復してきたということ。
手術に一歩近づいたようで、嬉しい連絡だった。
点滴が取れたその日
また不思議なことが起こっていた。
その日の朝
壊れたと思っていた時計が正確な時間になっていたのである。
毎日見える場所に置いてあったので、前から治っていたが、たまたまこの日に気付いたということはない。
まさに点滴が全て取れたその日に、時計も正解な時を刻み出したのだ。
これも偶然だろうか…。
その後もいろいろ検査が続いたようだが、肺活量は平均よりもあり、心電図も問題ない。
左右の肺の偏りも特に問題ない。
特に手術に向けてマイナスな情報は入って来ず、家族みんなが落ち着きを取り戻しつつあった。
もう、よっぽど手術はできるだろうと思った。
4/21くらいだったか、もしかしたら仮退院するかもしれない、という話が出てきた。
そして、急な連絡だったが、4/24 仮退院することになった。
退院後の予定
4/27 内科の先生の診察
4/28 造影CT
仮退院の前日、父から母にメールが届いた。
「明日の昼は、あんかけラーメンでお願いします」
父がたまに食べていた、冷凍食品のラーメンだった。
4/24 午前中に退院のため、母と息子を連れて病院へ父を迎えに行った。
仮退院とはいえ、嬉しいはずだが
父は酷く体調が悪そうに見えた。
顔色がとても悪い。
話しかけても会話の内容がいまいち頭に入っていなさそうだ。
空返事しか帰ってこない。
家に帰ってくると、すぐに横になると言い寝室に向かった。
仮退院できる状態とはいえ、癌を抱えている。
やっぱり体調が悪いのかな、と心配になった。
次の日
昨日よりはちょっと体調が良さそうに見えた。
顔色も昨日より良い。
久しぶりに好きな物が食べられる。
何でも美味しく感じると言っていた。
天気がよく庭に出て日光を浴びたりしていた。
何気ない日常がどれほど幸せか
見ているこちらも、改めてそんなことを考えさせられた。
今後の治療について、父に聞いてみた。
「いろいろ検査して、今のところ手術できそうなんだよね?」
すると
父が、実は…。
と話し出した。
昨日、退院する直前、外科の先生からこう言われたと。
「まだ確定ではありませんが、今のところ、これまでの検査結果から手術は非常に厳しいです」
父が昨日体調悪そうにしていたのは、それを聞かされたショックで、酷く動揺していたからだった。
なかなか自分からは口に出さずにいたようだ。
ショックだった。
母も相当ショックを受けているようにみえた。
遠隔転移がなく、手術出来ると思っていたのに…。
また家中が暗い空気になった。
そして次の日
急展開な出来事がおこる。
昼頃だっただろうか、家の電話が鳴った。
病院からだ。 外科の先生だった。
母が電話に出たが、父に代わって欲しいという。
「チームで協議し、いろいろな手段を検討した結果、
手術ができるという判断になりました。」
「5/3 or 5/5から入院していただき、5/17に手術を予定しています。」
とても不思議に思った。
明日、先生の診察があるのに
わざわざ前日に電話をしてきたのだ。
そんな緊急に連絡が必要な内容ではない。
どう考えても不自然過ぎる。
本当に不思議、という気持ちと同時に
「これは上手くいく」という感覚を覚えた。
あまり他人に話したことはないのだが、これまでの人生で何度か経験したことがある感覚だった。
こういう不自然だと感じることが起こった場合、何かの力で強制的に未来が変わったように感じるのだ。
確信はないが、こういう場合、想像した展開通りになる気がした。
手術の予定が決まったと聞いた父は、俄然元気が出た。
食欲も増し、顔色もみるみる良くなった。
まさに「病は気から」だと思った。
次の日、4/27 先生の診察
特に目新しい話は無かった。
昨日、電話で連絡した通り手術する予定で進めますとのこと。
4/28 造影CT
検査自体は予定通り終わり、夕方帰宅。
何事もなく順調そうにみえた。
しかし、夕方から慌ただしくなる。
17時頃だったか、父が少し熱があるという。
37度を少し超えたくらいだった。
母は、すぐに病院に連絡した方がいいと言ったが
父はすぐ下がりそうだから、もう少し待ってと言う
また救急外来でPCR検査をして2時間とか待たされるのが嫌だったようだ。
夜になっても熱はなかなか下がらない。
その日、15時頃に造影検査をしたのだが
造影剤の副作用で発熱が出ることは聞かされていたので
たぶん副作用だろうと、朝まで様子を見ようということになった。
自分は、何かあるといけないと思い
携帯をそばに置き、夜中1時半くらいにベッドに入った。
すると、すぐに携帯が鳴った。
母から病院に連れて行って欲しいという
熱は38度くらいあったと記憶している。
熱も下がらず、体中に発疹が出始めた。
様子を見るのも限界だと判断したようだ。
すぐに車で病院へ連れていった。
病院に行く途中、父は悔しそうだった。
「ちくしょう・・・ここまで順調だったのに・・・」
また手術の可能性が遠のくような気がしたのだろう。
自分もそれが一番不安だった。
病院に到着し、救急外来の受付をした。
他に2組くらい来ていたが、真夜中に近い時間のためか、さすがに空いていた。
(そういえばPCR検査は無かったな・・・)
待合室で、10分くらい経つと、看護師さんが状況を聞きにきた。
その場で、熱、血中酸素濃度、血圧を測定した。
顔以外に発疹が出ており、アナフィラキシーに近い状態だと言われた。
このまま処置しなければ呼吸が止まってしまうかもしれないと言われた。
朝まで様子を見るなどと呑気なことを言っている場合じゃなかった・・・。
本当に病院に来て良かったと思った。
そのまま車イスに乗せられ、奥の方へ運ばれていった。
2時間くらい点滴すれば終わるかなと思い、待ち続けたがなかなか連絡が無い。
気付くと、明け方4時を回っていた。
5時くらいだったか、奥の診察室に呼ばれた。
父はベッドに横になって点滴を受けていた。
「皮膚科の○○です。」
「点滴で処置をしていますが、状態が回復しないのでこのまま入院された方が良いと思います」
「おそらく、造影剤と、その後に飲んだ抗生剤の組み合わせによってアレルギー反応が出たということだと思います。」
「これから、どの薬が反応したのか調査します」
それから入院の手続きに入ると言われ、さらに待つこと1時間
HCU(高度治療室)に運ばれ、今夜(もう朝だが)はここで過ごすという
昼過ぎくらいに、状況が安定していれば一般病棟に移りますとのこと。
もう朝6時を過ぎ、すっかり夜が明けていた。
ゴールデンウイーク初日(4/29)だったため、その日から仕事が休みだったのは幸いだった。
父を病院に残し、母と二人で家に帰った。