子供を亡くしたあなたへ | あなたが幸せで在りますように

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【忘れてもいいんだよ】
私には天国に1人息子がいます。
その子は生きていれば21歳
先月7月26日が誕生日でした。
でも、私はその日を忘れていました💦
すっかり忘れていました。本気で忘れていました。
昨年も忘れていました。
おととし位までは覚えていて
手帳にしっかりと書いていて
ケーキも買ってお祝いを今の息子と二人でしいていた。
けど、もう2年忘れてしまうことが起きている。

酷いと思いますか?
わたしはね、、、
思わなくなりました。
今までだったら自分を責めてせめて仕方なかったと思うけれど
忘れてしまうこと
智大のことを全く思い出さずに
いる日々を
それでいいと思えるようになりました。
それこそ、健全なのだと思う。

昔、智大を亡くしたばかりの時
苦しくて、苦しくて、この苦しみはなんんきょうなのだろう?
と答えを探し、グリーフケアーという言葉を知り
独学で勉強し、その中に
悲嘆のプロセスと権利というのが書いてあり
「だんだんと、思い出さないようになり、心の中に居場所をつくれるようになる」
「思い出さない時間があってもいい」
そんなことが書いてありました。
まさか、そんなことありっこない!
思い出さないでいる時間がくるなんて
あり得ない。
だいたい、そんなひどい親になんてならない
そう思っていました。
一時も忘れてはならない
私がの子を殺したのだから。
そう強く念じてました。。
でも、それは、自分の時間をいつまでも、
あの時の絶望の時間の中に閉じ籠ることになって
いつまでも、過去に囚われることだったのですよね。
いつまでも自分を責め続ける行為

自分で自分を否定することほど
苦しいことはなく、
自分で自分を攻撃することほど
生きる気力を失咲させることはない。

智大のことを忘れるようになった。
それは、
私が私の為に生き
私が私の為に時間を使い
私が、しっかりと、現在を生きている
その証拠だと思う。
だから、忘れてしまうのです。

智大もそれで喜んでくれている
そう思う。

大切な人を亡くした人がいて
忘れてしまう事に恐怖、罪悪感を感じ
忘れてはいけないと思う人がいたとしたら、
まだ、心の傷が言えていないのだと思う。

自然と、段々と考えなくなり、
忘れている時間が長くなり
一日も思い出さない日が来たとしても、
それが、こころが回復しているということ。
忘れてもいい。
それが心の仕組みなのだから。