苦労したね、大変だったねは癒し言葉じゃない | あなたが幸せで在りますように

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苦労したね

そう言われてもなんだか、ぴんと来ない。

客観的に見れば私の人生は「大変なこと」が確かに多かったと自分でも思う。恋愛に振り回されたり、二股をかけられたり、知らずに不倫をしそうになっていたり、流産したり、寝たきりの子を育て、看取ったり、子供の闘病中に不倫されたり、コミュニケーションが取れないADHD?アスぺ?傾向の人との結婚生活では、自分を責めてしまうカサンドラ症候群になったり、離婚は2回し、新築の家を2度手放したり、おばあちゃんが自殺したり、大好きな従妹は旦那さんに殺されてしまい犯罪に巻き込まれた側の気持ちを味わったり・・・・人が滅多に体験できないこと、テレビドラマで扱われるようことを沢山経験してきてます。

それを時々話すと、大抵「大変だったね」「苦労したんだね」

と言われることが多い。その度に違和感を覚えるの、

言ってくれる人の優しさはありがたいし、嬉しい。けど、その言葉は

なんだか、私の心にあまり届かない。。。。。

特に子供のことにたいして。。。

確かに寝たきりの子の在宅看護や看取りは

大変な事なのだろうと思う。けど、それが苦労だったか??と言われると

そうは今も思っていない。ただ、その子にあった育児をがむしゃらにしていただけで、それが苦労と言われると、その子がなんだか特別な子扱いさいれているようで、違和感を感じるのよね。。。

なんて言葉をかけられたら自分の中にす~と入るのか

最近考えるのだけれど、分かりました!!

それはね、

「つらい思いを沢山してきたんだね」

「しんどかったね」

です。そう、大変だったね、とその境遇について感想を述べてもらうよりも、

「その時々の私の思いをくみ取ってくれる、言葉」がす~と心にしみてきます

 

悩んでいる人もそう

大変だね。と言われるよりも、今のあなたの気持ちに共感し、あなたの気持ちを表してくれる言葉が欲しいんだよね。

カウンセラーはそれをするのが仕事

だから、私はカウンセリングの時に、その人の話を聴きながら、いつも

今どんな気持ちなのだろう・・・その時にはどんな気持ちだったのだろう

と感じることを大事にしています。

 

誰も私の気持ちを分かってくれない

そう感じている人がいたらら、

私に話してみて。

 

佐織より