息子が亡くなって9年たちました。 | あなたが幸せで在りますように

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人と違う個性を輝かせて、自分も人も許し愛し、せっかく生まれて来たこの人生を幸せに生きていけるように応援しています。

3月26日は最愛の息子智大がこの世を去った日。
先日智が亡くなって9年目を迎えました。




智を亡くしたばかりの私は

自分で納得しておくったものの、

そのあとの罪悪感や孤独感とどう付き合っていいかわからず

もがき苦しみ、光を求めてがむしゃらに生きていました。

当時の日記にはそんな私の姿があります。


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平成17年9月22日

何も感じない。

何の意欲もわかない。

でも、笑ったり、人としゃべったりしてる。

お腹もすいたりする。一日をきちんと送っている。

仕事も習い事もしている。

けど、何も心の底から内面から湧き上がるようなものは感じない。


生きている気がしない。


ただ、ただ、つらい。生きているのがつらい。

智大のいないこの世の中がつらい。

何の目的も生きがいもないことがつらい

涙ばっかりです。

ふと、智大がいないことにとてつもない恐怖感を感じる。

何がこわいのだろ。

分からないけど、叫びだしたくなるような恐怖感に襲われる。

正直、普通にしているのがもう限界かも。

時間の感覚も月日の感覚もない

決まったことをしていることで、

自分を真ん中にたもっている。

苦しい。

本気でもういいと思う。

もうこの世の中に未練はひとつもない。

神様、なんで私だけ生きているのでしょうか?

私はこの先

何をすればいいのでしょうか?


智大、ごめんね。。。。。

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重度心身障害を持ち、全介助、24時間医療看護が必要だった息子

その命を預かるのが私の役目でした。

私たち親子は一心同体であり、

だから、息子を亡くした時には

私も死んだとはっきりと感じました。

体は生きていても、心が死んだ状態でした。

これは長く続きました。

苦しくて、死んでしまいたい。終わりにしてほしい。

と願いましたが、生きたくても生きられなかった息子に

それでは申し訳ないと思い

さらに、息子が生きた証を私が意味づけする!

そういう思いが強くがむしゃらに生きてきました。


あれから9年

初めて自分を許せ、すべての出来事に感謝できたのが

平成21年。

よく頑張ってきたなと思います。

いつも智大に見守ってもらいながら、

少しずつ、前へ前へと進んできました。

進んできた結果、自分の心の闇を晴らしてくれた心理カウンセリング

の道を選び、悲しみの中にいる人をサポートしようと

活動をはじめました。

きっと、私はこうなるべく、あの経験をしたのだと今は思います。

グリーフの終わりは

経験に意味つけができ

その意味が生きていく力になった時に終わると言われています。

だとしたら、私の喪の作業は終わったのだなと感じます。


智が亡くなり、私が残され、その後の人生をどう送ったらいいのか

そればかりを一番大切に考え生きてきた私ですが、

その生き方が何となく分かってきたように感じます。

それが正解かどうかまだまだ模索中ではあるけれど、

私がこうして生きていけるのは、

智の死が原動力となっていることは確かです。




つらい思い出も、いつの日か必ず

暖かい思いでに変わるんですよね。

涙を流しながらも

その涙はつらい涙ではなく

暖かい涙に変わるのですよね。

智、これからも、お母さんのそばで

お母さんを応援してね。

お母さんは死ぬその瞬間まで

精いっぱい生きるからね。