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「拉致問題を6カ国協議で議論を」中国外相が理解

 マレーシアで麻生外務大臣と会談した中国の李肇星外相は、「拉致問題を6カ国協議の場で扱ってもいい」と述べ、日本の立場に一定の理解を示しました。

 中国側はこれまで、「拉致は日本と北朝鮮の2国間の問題だ」として、核問題について話し合う6カ国協議で議論することには難色を示していました。しかし、外相会談では、拉致問題を取り上げることに理解を示し、北朝鮮を含めた6カ国の外相会合が開かれるよう努力していくことで一致しました。
 また、李外相は、来月にも参拝する可能性が取りざたされている小泉総理大臣の靖国参拝について、「政治的障害であり、まだ解消されていない」と述べて、けん制しました。
ANN NEWS

米国務長官「6カ国外相会議は開かれる見通しない」

【ワシントン=山本秀也】中東歴訪を終えたライス米国務長官は26日、北朝鮮の核問題などに関する6カ国外相会議が、クアラルンプールでは開かれないとの判断を明らかにした。東南アジア諸国連合(ASEAN)拡大外相会議出席の途中、同行記者団に語った。

 ロイター通信によると、ライス長官は「6カ国協議の枠組みでいつでも話し合う用意があると言ってきたが、北朝鮮が参加する感触を得ていない」と指摘。「どんな形での6カ国協議も予測していない」として、外相会議開催の可能性を否定した。

 北朝鮮の白南淳外相は27日に現地入りする予定で、中韓外相らが外相会議の開催を働きかけていた。

(07/27 10:23)

Sankei Web 国際 米国務長官「6カ国外相会議は開かれる見通しない」(07/27 10:23)

河団長 朝大を卒業していた

『月刊朝鮮』 民団・総連和解の内幕

 くすぶっていた河丙諐民団団長の経歴問題が再び持ち上がってきた。『月刊朝鮮』8月号は「河団長は総連が設立した朝鮮大学を卒業」と報じ、1950―60年代の河団長の履歴にスポットが当てられたからだ。河団長は今年2月、団長選出馬にあたり自分の経歴を「東京法政大学3年中退」と公表した。総連との「5・17声明」を説明するため5月22日に持った記者会見で「朝鮮大学を卒業したのでないか」と質問され、「違う。私が通ったのは法政大学だ。朝鮮学校で教鞭をとったのは事実だ」と答え、朝大卒業を否定した。『月刊朝鮮』の報道通りとすれば、経歴は偽られていたことになる。疑いは濃い。自分の学歴をなぜ隠さなければならないのか。河団長は答える責任がある。以下は『月刊朝鮮』記事の経歴問題部分(全文)だ。


文学部正規の第2期生 58年卒業 国語教師に

 河丙諐団長(以下、河団長)の経歴はベールに包まれている。
 総連の設立した朝鮮学校で教鞭を執っていたことは本人も認めている。5・17共同声明直後、駐日韓国特派員とのインタビューで、彼は自分が朝鮮大学出身であるという噂について、「過去に朝鮮大学で聴講したことがある」、「一時マルクス・レーニン主義に関心を持っていたが、当時はみんながそうだった」と話した。
 彼は民団団長選の出馬の際、自身の最終学歴を「法政大学中退」と記載している。
 しかし、河団長の話はうそだった。河団長は朝鮮大学を正式に卒業、その後、総連の機関紙「朝鮮新報」社および「朝鮮通信」社に5、6年間勤めていた。
 朝鮮戦争が終わる1953年頃、河団長は19歳で日本に密航している。彼が密航前に韓国で何をしていたかは明らかでない。
 日本に落ち着いた彼は「河勲(ハフン)」に名を変えた。外国人登録が難しかった当時の日本において、密航者の改名は珍しいことではなかった。
 総連が結成された翌年の1956年に朝鮮大学は開校した。総長には総連の議長だった韓徳銖が就任した。
 その頃、法政大学に通っていた河団長は朝鮮大学が開校すると1年生に入学、朝鮮大学文学部の2期卒業生となった。当時の朝鮮大学は2年制。朝鮮大学の前身である「朝鮮師範専門学校」出身者10人余りが2年生に編入し、朝大の1期卒業生となる。
 河団長は「しばらくの間、聴講していた」というが、彼は朝鮮大学の立派な正規卒業生である。朝鮮大学同窓会関係者によると「河勲(丙諐) 文学部2期卒業。現在民団中央団長」と記載されている。
 朝鮮大学を卒業する1958年より、河団長は朝鮮学校に国語教師として勤める。1963年には「朝鮮新報」に入社、その後「朝鮮通信」に移った。
 彼が総連の組織活動を辞め、民団に転向するのは1967年頃とされている。
 こうした河団長の経歴はいままでずっと隠されてきた。韓国の国是を遵守する民団の団長に、総連が設立した朝鮮大学の出身者が初めて就任したわけだ。
 河団長は自分の経歴について自ら説明する必要がある。



統一日報*社会