A この問題が朝・日関係改善のために提起されたとき、ご両親に手紙を書けば良いと考えたのは私で、それを実行に移した。そのとき日本側は毛髪と血液を要求した。私は、特殊機関にいる私の身元が明らかになることを望まないため応じられないと拒否した。また手紙は書いたものの、筆跡が問題になるのではないか、(私のことが)外部に知られることになるのではないかと思った。それで関係部門の人に代筆してもらい(めぐみの)両親に伝えてくれるよう頼んだ。
Q もとの手紙は今でも残っているか。
A 手紙のために、問題がこれほど複雑になるとは思ってもみなかったので保管しなかった。
Q めぐみさんから日本に関してほかに聞いた話はあるか。
A めぐみは家系図を書いてくれた。父親は銀行に勤めていて、各地を転々とした話も聞いた。広島にもいたと言っていた。
Q めぐみさんは日本に帰りたいという話を直接したことがあるか。
A めぐみも人間で、私も人間だ。人間として故郷を恋しく思うのは当然だ。
Q 具体的にめぐみさんが言った表現どおり話してほしい。
A 故郷を思う言葉は一般的にみな似通っているのではないか。自分が生まれたところがどうだとか、故郷を再び見られれば良いとか、そのような会話をした。
A 面会の日付は正確に覚えていない。94年春に入院させ、4月に死亡するまでの間だったと思うが、具体的な日付は覚えていない。1週間から10日に1回ずつ行った記憶がある。めぐみ死亡の知らせを4月13日に受けた。もう少し長いことめぐみの姿を見ていたかったが、諸般の事情で14日に葬式をした覚えがある。妻を亡くした私は相当なショックを受け、正気ではなかった。私が放心状態にあったので関係部門の人がたいへん助けてくれた。
A 私の記憶によれば、めぐみが持ち歩いていたマスコット人形と腕時計を埋めた。周辺の人が再び掘り出しくれた遺骸を移して火葬場に移したので、遺品よりはめぐみの姿を確認するのが先だった。だから、具体的にどんな品物があったかは記憶にない。おそらくめぐみの遺品は一緒に火葬したかもしれない。墓にあったものはみな持っていった。
Q 葬式には誰が参加したのか。
A その当時、私たちを担当した方と病院の方だったと思う。よいことではないので、質素に行った記憶がある。しかし担当部門の人や私は、最期を迎えためぐみが寂しがらないよう真心を尽くした。
Q 地村氏や蓮池氏は葬式に参席したのか。
A 蓮池氏や地村氏にはめぐみが病気のときに精神的にも助けてもらった。なぜか私は彼らにめぐみを専門病院に送りたいと話せなかった。めぐみが蓮池氏や地村氏と同じ日本人であったこと、私がきちんと世話してあげなかったのでこのような病院に送らなければならなくなった、という思いから相当躊躇した。しかし彼らは私の気持ちを理解してくれた。自分たちは構わないから、めぐみを入院させようと言ってくれた、彼らに手伝ってもらい、めぐみを入院させた。
A めぐみの死後、遺骨を火葬する決心をしたのは1997年だ。それは職業上、めぐみが安置されているところへしばしば行くこともできず、またその頃、ヘギョンに新しい母親を迎えねばならない状態にあったからだ(編集部注-97年に現在の婦人パク・チュンファ氏と再婚、その後生まれた息子チョルボンくんは現在8歳)。それが97年の4月以前だったと思う。金剛山で姉に言ったのは、そのような意図で言ったわけではない。めぐみの遺骨は私が保管していたが、彼女を思い出すたびに時々それを開けて見ることもあった。最初に火葬されて遺骨で戻ってきたとき触って見たこともあり、つらい気持ちを慰めようと触れたこともあるが、遺骨がすり替わった、あるいは偽物だというのはまったく想像を越えており、納得できない。
A なぜそのような質問が出るのか理解できる。めぐみが病院へ行くとき、初めは新義州病院に行くことになっていた。しかし距離も遠く、平壌にもそのような病院があると言うので、平壌の病院に入院させた。新義州病院へ行ったことはない。
Q めぐみさんが精神的に不安定な状態に陥った原因を何だと考えるか。
A 人が病むときにその原因が何かというのは、それぞれ異なると思う。必ず原因があって病むのかはよくわからない。
Q 原因のひとつとして、めぐみさんが幼いとき交通事故に遭ったという話を聞いたことはあるか。
A 結婚生活の過程でめぐみは頭が痛いと言っていた。それで私がなぜしょっちゅう頭が痛むのか、体が弱いせいなのかと聞いた。すると彼女は、幼いとき一度頭をけがしたことがある、もしかするとそのためかもしれないと話した。私は「時間が経っているのにそのときのけがが今になって痛むのか」と言って、それ以上は深く考えなかった。それが交通事故だったのか、あるいは別の事故であったのかは思い出せない。
Q めぐみさんの死亡を、いつどうやって知ったのか。
A めぐみは私の初恋の相手で私の妻になった女性だ。めぐみを入院させてから病院へは2度ぐらい行ったが、そのつどめぐみは回復しているように見えた。ところがある日、部門の人がきて私に「車に乗りなさい」「一緒に行こう」と言った。私は普段どおりに車に乗った。車内でその人はめぐみが亡くなったと言った。彼の言葉を信じることができなかった。最近まで元気だったのになぜそんなことが起きるのか、自分の目で確かめねばならないと思い、その人と一緒に病院へ行った。行ってみると確かににめぐみだった。それからどうしたかよく覚えていない。正直つらい過去を思い出すのは本当に苦しい。私はそのとき「ばかなことをした。このようにしなくてもいくらでもほかに良い方法があったのに」と思った。今になって考えると、私がもう少しちゃんと世話してあげていればこのようにならなかったという自責の念がある。