ある時、二十歳の若者が七十歳の大金持ちに、「ボクの若さをあげるから全財産を下さい」と持ちかけた。

台湾出身の作家「邱永漢(きゅうえいかん)」氏の著作にこんな例え話が載っていた。

直木賞作家であったが、事業でも成功した同氏はお金儲けのハウツー本も数多く出していた。

「半分ならあげるが、全部はあげない」が氏の答えだった。

ボクが読んだのは30代半ばの頃だったろうか?ボクにはこの答えが解(げ)せなかった。

二十歳の若さ?もらったらいいんじゃないか?と思った。70歳なら残り数年から十数年、20歳なら残り50~60年、氏の気持ちがわからなかつた。

・・・・月日は流れ、老人のそんな気持ちが少し分かりかけてきた。

「老い」は人から、やり直す勇気も奪い去ってしまうのではないかと。
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遮光器土偶(重文)宮城県大崎市田尻出土 国立博物館蔵。

我が大崎市田尻、白鳥と雁の飛来地で有名な蕪栗沼のほど近くで出土した遮光器土偶に、久しぶりに国立博物館で再会して来ました。

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清明上河図巻(北宋時代・12世紀)

といっても、実は国立博物館主催の、中国「故宮博物院」の宝物200選に行って、その後の常設展で見ることが出来たんですよ。

上の「清明上河図巻」は中国の至宝ということらしいのですが、ボクはその後のおまけで見られた縄文土偶に大いに感激してしまいました。

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ミミヅク土偶

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縄文のビーナス(国宝)

縄文時代は弥生時代が始まる前の1万年間続いた文化だそうです。

土偶もその間ずうっと作られて来ましたが、形は微妙に変化し続けてきたそうです。いったいなんに使われたのでしょうね。呪術とかいろいろ説はありますが、わからないようですね。ただ、女性と見られるものがほとんどなこと、それも妊婦さんと見られるのも多いですから、子孫繁栄とか健康を祈るのに使ったのかもしれませんね。

我が大崎出土の土偶は、遮光器土偶と呼ばれています。はれぼったい目に一文字のすき間と言うのが、雪目を防ぐ北方民族の、サングラスのような光を遮(さえぎ)る器具に似ているからそう名付けられました。

この遮光器形の土偶は3000~2500年前と言いますから、縄文時代の終わりごろに作られたそうです。

その後、米作りの技術を携えて大陸からの渡ってきた人々が加わって形成された文化は弥生時代と呼ばれています。ですから、遮光器土偶は、元々日本列島にいた、言わば原日本人が最後に作った芸術作品と言えるかもしれません。

図式としては、縄文人が暮らしている日本列島に大陸からの渡来人が渡ってきて稲作文化を伝え、混血し今の日本人が形成されたんでしょうね。ですから、北方に追いやられたアイヌはうまく交われなかった民族で、縄文人の姿を色濃く残している人々かもしれません。

縄文時代は約1万年位あるのですが、その間ほとんど変わらない文化が続いたそうです。このような土偶や土器を作れるということは飢えもせず、精神的にも豊かな生活だったようで、弥生時代に入ってからの急速な時代の流れを見ると、渡来人がもたらした稲作は、狩猟採集文化と違って、持つもの持たざるものとの格差、貧富の差、また争いごとも、もたらしたとも言えるようです。

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東博(国立博物館)グッズ

と言うわけで、地下のお土産コーナーで我が郷土の誇り遮光器土偶のグッズをいろいろ買いました。実はこの土偶今、重要文化財なんですよ。こうしてこんなふうにグッズまで売ってるんですから、「縄文のビーナス」のようにどうせだったら国宝にしてくれればいいですね。

※参考「土偶の世界」栃木県立博物館

年式はさほど古くないのだが、走行距離が20万キロを超えたのでこのほど車を買い替えた。


近頃の車は、キーをささなくてもエンジンがかかる方式になっていた。


始動ボタンを押すと、「Pレンジでおかけ下さい」と出てくる。


エンジンを止めてキーの代わりのプラスチックケースを抜こうとすると、抜けない。


どうもこの新車、手綱をもって、お腹を蹴ったらすぐ走り出すオレのアナログなイメージがお気に召さないようだ。


一呼吸置きながらのタイミングに慣れればいいのだろうが、いま一つしっくり来ない。


車もそうだし、このせっかちな性格は、もう少しお爺さん、死ぬ間際になれば世の中に合うんじゃないかと思っている。