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鶴岡市大網「大日坊」仁王門より

注連寺と同じこの大網には大日坊という古刹もあります。

こちらも廃仏毀釈の荒波を受け、その上昭和初期に地すべりのための移転を余儀なくされたため往時を残す建物はこの仁王門だけとなっています。

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境内方向からの仁王門

でもゆるやかな丘陵の田園風景にあるこの寺、なぜか魅かれます。

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数年前と同じアングルでお地蔵さんとまたツーショット。このお顔大好きなんですよ。

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仁王門阿形像

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仁王門吽形像

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仁王門風神像

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仁王門雷神像

湯殿山が女人禁制だった明治の初めまでは、この寺が女性が湯殿山参り出来る最後の場所だったそうです。

各像は仁王門の格子の隙間からせっかく撮ったのでアップしました。伝かもしれませんが、仁王像は鎌倉時代の運慶作と言われているそうです。趣がありますね。

写真はUP出来ませんが、大日坊には真如海上人の即身仏があります。住職によりますと、死後の防腐処理を行わない唯一のものだそうです。

ここだけの話ですが、帰ってきてから写真に名前をつけるため仁王門と入れて変換したら「匂うもん」と出てきたのには吹き出してしまいました。

急な腹痛で大日坊のトイレに駆け込んだのを、パソコンにバレたのかな~?ほんと危うかったんですよ。これがほんとの「駆け込み寺」でした(汗)

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田麦俣(たむぎまた)1 多層民家

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田麦俣2

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田麦俣3

小さな旅の終わりは、田麦俣(たむぎまた)を選びました。

田麦俣は9月の初めだというのに秋の気配が感じられました。

白川郷と違って、田麦俣のかやぶきの家はボクが見たところ2軒しかありません。でもこの集落の景色大好きなんですよ。

今回は国道から入ったんですけど、街道を歩いてくると湯殿山側からでも大網の側からでも峠を越えてくるんですが、この集落を見たらほっとします。

昔の旅人もきっとこの田麦の宿で心を癒されたんでしょうね。

みなさんもいつか訪れて見てくださいね。その時はせいぜい30分くらいですから、どちらかの峠に登ってこの集落を眺めてみてくださいね。

ところで、若き宮大工O君はどうだったのかな?参考になったかなあ?O君が作った山額や、虹梁を写真でしか見たことはありませんが、素晴らしい出来でした。でもそこで安住して欲しくはありませんね。「もっともっとと貪欲に追求して欲しいな」、そんなことを話しながら、またいつかの旅を約束して別れました。

O・K君の前途に幸いあれ!

では3回に亘った六十里越街道寺社巡りこれで終わりです。長々とお付き合いありがとうございました。
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東泉寺虹梁~高山文五郎作

岩根沢の三山神社の虹梁を手がけた高山文五郎は、周辺にも遺作を残していました。

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東泉寺~西川町間沢

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もう4年ほど前になるでしょうか?たまたま六十里越街道を歩くという企画で訪れた岩根沢の三山神社(日月寺)で見た彫刻だったのですが、最近調べてみたら作者も残る高名なものだったことがわかりました。

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東泉寺

さすが宮大工のO君、ボクが案内人のはずだったのですが、いろんなことを説明してくれました。

この放射状の垂木(たるき)はルート計算で作るそうで、端っこに行くにつれて拡がりが変わっていくのだそうです。江戸期ですから、和算で出したのでしょうか?手の込んだ分、格式のある作りと言えるのだそうです。

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本道寺

本道寺は本当に(駄じゃれではありません)廃仏毀釈の荒波をまともに受けた残念なお寺です。

この階段が物語っています。今は、口ノ宮湯殿山神社と呼ばれ、国道112号線を通ると失礼ながら湯殿山神社の出張所のように見えます。

実はこの国道の下を旧街道からの石段がつらぬいているのです。

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仁王像(阿形)

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仁王象(吽形)

寺宝は散逸し、この仁王像も仙台ホテルのロビーを飾っていたものがようやく戻って来たものだそうです。
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注連寺

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注連寺 龍 天井画

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鳳凰

また大網の注連寺には、生きながら五穀を断ち仏となった鉄門海上人の即身仏があります。

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注連寺 森敦文学碑

森敦(もりあつし)さんは、奥さんの故郷が山形の庄内だったことが縁でこの注連寺の庫裏で過ごした日々を20年後に小説「月山」にして、当時の最年長記録62歳で芥川賞を受賞しました。

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「全ての吹きの寄するところこれ月山なり」

六十里越街道は山形と庄内を結ぶ街道でしたが、いくつかの峠を越える難所がありました。この注連寺と大日坊のある大網、七五三掛(しめかけ)は十王峠と賽ノ神峠の間にある集落です。

晴れていれば本堂からこの方向に月山が見え、森敦さんは右手の庫裏で暮らしていたそうです。「全ての吹きの寄するところ」は日本海から吹き付ける雪がこの集落を閉ざし月山に向かって吹き上がっていくさまを言ったものでしょうか、若き頃文壇デビューし、今はその才能をくすぶらせている境遇を言ったのでしょうか?

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本堂奥の間で開催していた写真展より・・・引用ごめんなさい。

たまたま本堂奥の間で開催していた写真展のこの写真と本堂から見える景色を見ていたら、小説「月山」の描く自然の厳しさと、そこはかとないなまめかしさを想い出しました。

六十里越街道寺社巡り(後編)に続く・・・あんまり長くなるので疲れました。3回に分けます。
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慈恩寺「三重塔」~山形県寒河江市

先日は若き宮大工O・K君と六十里越街道の寺社巡りをしてきました。

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同「山門」

さすが奈良時代聖武天皇の勅命による開基と言われる古刹、素晴らしいですね。興福寺や清水寺と同じ法相宗の檀家を持たないお寺だったそうで、往時は三千石の寺領と48の坊があったそうです。

写真撮影が禁止でしたからUP出来ませんが、重要文化財の阿弥陀如来坐像、薬師三尊像等など素晴らしかったですよ。

O君、慈恩寺は二回目だそうです。さすがですね、2年ほど前に来ていたそうです。今日はボクが案内する構図でしたが、何度もこの界隈を通ってたボクは横目で三重の塔を見てはいましたが来たのは初めてでした。

二度目でもO君、「趣味が一緒だと時間にとらわれず心おきなく見られていい」って言ってました。

同感ですね。

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寒河江鹿島神社

ここはボクの趣味を入れました。確か街道「寒河江(さがえ)」の町を出る辺りに鹿島神社があったはず、ありました!

他のところに置かれていたものを集めたのでしょうか?この陰陽石、なぜか惹かれます。

スケベだから?それはそうなんですけど、それより原始信仰というか、そういうところに魅かれますね。月、太陽、星などもそうなんですが、あるがままのものに祈りを捧げるっていうのは自然ですからね。

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岩根沢三山神社「旧 日月寺(にちがつじ)」

前にもブログで紹介したことがあったのですが、今度の旅は実は若き職人O君にこれを見せたかったからだったんですよ。

彼の彫刻や絵画を見たんですが、素晴らしいですよ。でもこんなところがあるんだよって言ったら、二つ返事で「行く!」って言ってくれました。その意気や良し!ですよね。

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司馬温公瓶割り

この彫刻、地元西川町出身の「高山文五郎」の手になるものだそうです。素晴らしいですね。

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たまたま岩根沢の三山神社はお祭りでした。
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入り口では、地元の人たちが手作りの店を出していました。本堂の中を見せてもらおうと拝観料を払おうと尋ねると、「お祭り無礼講だから、いいんでないの!?」と言われました。

思わずうれしくなって、二人で600円で済む拝観料が千円のお賽銭になってしまいました。

それにしても、この恵比寿大黒の柱のある部屋の作り、すごいですね!

廃仏毀釈で神道に組み込まれる前の日月寺(にちがつじ)の繁栄を物語ってますね。明治の廃仏毀釈がうらめしいですね。

六十里越街道寺社巡り(中編)に続く