さて、前の内容の続きです。
まず前提として(良し悪しは別として)大学少林寺拳法部という性質上、5年も経てば多かれ少なかれ技の形は微妙に変化するものと考えています。
そもそも少林寺拳法という一つの武道の中で技が変わる?どういうことだ?
という疑問がありますが、先生によって技が微妙に、ときには大きく違うなんてことはもはや常識です。
技の掛け方が違うというとどうしても「あの先生の技は間違えている」というような話になりがちですが、まぁそういう点はいったんおいておいて、それぞれに多少の独自性があると思うわけです。
大学少林寺拳法部というのもまずは顧問という一本柱があり、この中心軸から大きく外れるということはないものの、実際の練習において指導的立場を担う幹部の考え方によって多少なりとも技は変化していく、と、功考えているわけです。よく言えばその代ごとの独自性。悪く言えば伝言ゲームがあるわけです。
そうして、5年も経てば良くも悪くも技が変わる、ということになると思うわけです。(部外者からみれば○○大学はこういう技の掛け方をする、というような性質は変わっていなかったとしても部内者からみると小さな違いが目に付くというべきでしょうか)
僕はこれで良いと思っています。
僕自身はかなり技にはこだわりがあって、学生拳士なりにだいぶマニアックに練習・研究してきたという気持ちがあり、直接の後輩には半ば押し付ける形で技を教えてきましたが、その結果起こったことは代が進むに連れての技の形骸化、伝言ゲームだったように思えます。
幸い、後輩にも技について独自に考えてくれる人間がいて、僕が教えたのとは別の形で、でもちゃんとかかる技を考え、後輩に伝えようとしているしていました。
ここで重要なのは大学少林寺拳法部というものは、代の移り変わりが激しい分、どのようなもの(技でも伝統でも)「伝言ゲーム」の脅威にさらされる危険をはらんでいるということです。
つまりどんなものでも代を経て形骸化していく。
そんな中、何かを残そうとしたときに最も有効な方法は何かと考えたら、それは「良いものとは何か考え、それを研究するスタンス」を定着させることなのかな、と思うわけです。
後輩がいろいろと考えた上で切り捨てられるぐらいの技ならそもそもダメな技だったと思うしかないでしょう。
というか何も考えずに形だけ真似されて(実際には真似もできずに)形骸化していくぐらいなら吟味の上捨てられた方がまだ幸せですし。
ということで、今回後輩に聞かれたときにまず「君はどういう技をしたいと思っているの?」という発問から始め、後輩のニーズを聞き出し、その上で「こういう意味で良い技」という認識をすり合わせた上で教えるよう心がけたつもりです。
古参の先生方から見られると、「技が変わっていくのは仕方ない」という今回のスタンスはお叱りの対象となってしまうかもしれませんが。。。
前提だけでだいぶ長くなってしまった・・・・いかんいかん。