前置き書いてたらむちゃくちゃ長くなったので全割愛。
「金剛禅の思想の元に団結する」
団結に調和は不可欠。
ディテールに拘らざるを得ない「技術論」を中心に団結しようとすると次第に細分化され最終分解瓦解すると思います。
「調和」と「区分」は相性が悪い。区分をしないと大味すぎて具体性に乏しく、区分を強くするとセクショナリズムが働き「うち」と「よそ」が生まれてくる。そして細分化は区分無くしては行えない。
すでに、、、
大学支部と道院との区分、〇〇先生の技が素晴らしいんだ、という区分、などなど、もう顕在化しかけている。
皆が今一度団結するには開祖の遺訓である金剛禅の思想という大枠の中で、技術という大同小異には眼をつぶる必要がある。これは決して技術を軽んじ「追及しないくても良い」というわけではなく「各人が十分に追及し、細部にまで拘った上で、でも大きな目的(金剛禅運動)の前では些細な違いでしかない。あの先生とは技が異なるけども同じ金剛禅の同志」という意味合いでの大同小異をみんなが思う必要があると思うということです。
だが、、、
平成26の組織改革時の本部の言い様のように、だれかが開祖の思いを語るときには政治的なバイアスを感じてしまう(開祖の願いは道院組織にこそあった、とか。)という、金剛禅のはずなのに聞いた人の頭の上に「あれ?そうだっけ??」とはてなマークがつくこともある。開祖は時と場に合わせて色んな角度でお話をしてたので、切り取り方によっては開祖の言葉を利用した煽動のようなものができてしまう。
すると、何を旗印に団結すべき?教範?
とすると一方で
「教範のここの記載は間違えている」とか「わからないようにわざと嘘が書いてある」とか、どうにも教範の不信感?軽視?の風潮もないではない。『師事して会得のこと』とあるが、開祖は勘所は言葉に出来ないもののそれなりに正しく伝わると期待していたのだろうが、70年にして既に人によってだいぶ異なる。
今はまだ開祖の直弟子もご存命であるが、今後、例えば僕が現役を退く頃(もう40年後ぐらい?)にはどうなっているのかとても心配。
おそらく3・40年後には(だれもかれもが言うこと異なっていて収拾がつかず)「一度、教範の記載に立ちもどろう!」という機運が生じると思う。これは僕の予測です。きっとなると思う。
その時を思えば、まだ開祖直弟子がご存命な中で「教範みても、わかんないよ笑」とか言ってるこの時代が本当にダメな時代と判断されてしまうのではないか。。。きっと今やっておくべきことは色々ある。
皆様、これからの金剛禅についてどうお考えですか?
ブログランキング参加してみました。もしよければクリックお願いします。
















