https://twitter.com/1wlahzoxemaldaf/status/1634664696237391872?s=46&t=0Yr1I-HEThPe3YwVDNppbw
自由にのびのびと好きにしていい💕
— 福ちゃん (@1wLaHzoXEMALDAF) 2023年3月11日
何をしても、錦織圭選手に変わりは無いし、何をしてもファンでいる💕
自分は、この福ちゃんの意見に近いものがある。
翻訳家は、ずっとdye染めるという表現を使っているけども、今風に言うなら、自分はcolorの方を使いたい。
実際、美容室でも自分は「染める」と注文したことはない。
染めるというと、なんだか昔風で、本当に昔のマダムが、自身の白髪を茶色く染め上げるイメージが自分にはある。
今は白髪を染めるというよりも、自然に馴染ませるというふうだと自分は思っているし、自分自身は髪の毛を傷めるのが嫌で、ヘアマニキュアを好きな派である。。。
なので、翻訳家が、ことのほか、dyeという表現を使っているのにはすごく違和感をもち、さらに、4桁フォロワーを持つ賢者の彼女が、その髪型の部分だけを切り取ってツイートすることにも、控えればいいのにな、とずっと思っていた。
その人のことをツイートすることは、自分の承認欲求を満たすよりも、その人が読んだときに喜んでもらえそうなことをツイートしたい。
自分の髪型の部分だけを大きく切り取ってツイートされて、本人嬉しいだろうか?
それはさておき、まだまだ日本では、正式な場面では黒髪以外は推奨されていない、というのに自分は同意である。
そして多分、自分もそう思っている部分がある。
銀行員や医師といった人様から信用を得る職業の人が、もし黒髪でなかったら、若干の違和感を持つのは事実。でも、リハビリの理学療法士さんやレントゲン技師さんなどは、黒髪でない人も増えてきたように思う。自分はとても新鮮な思いで見ているし、仮に学校の先生などでおしゃれな人がいても、全然いいと思う。現に、自分の子供が通っていた小学校には、かつての岩城滉一さんのような風貌の先生がいて、お母さん方にモテモテだった。先生だってパーマ当てていいと思うし、黒髪でなくたっていい。ドクターも同じ。個人事業主なら、自身の責任でオシャレを楽しめばいいと思う。
厄介なのは、企業に所属し、サラリーを得ているビジネスマンだと思う。会社の規則に従わねばならない。となると、プロスポーツ選手も、個人事業主とはいえ、スポンサーに所属しているビジネスマンとも言えるか?その企業から給料をもらい、その企業のイメージアップのために働くのだから。
となると、髪色を規制するのは、今回の場合、JALということになるのか?
黒髪でない髪色がNGなのだとすると、黒髪でない日本人テニス選手は全員NGということになってしまうが。。。JALに所属していなければOKなのか?
所属する企業によって、NGであったりOKであったり。
これでもし、このイヴェント後に、髪色が元に戻っていたら、まさにJALイヴェントでは黒髪以外NGだったということになってしまう。なんだかなぁ。。。
我が推しは、そういや、14年の全豪前のエキシビの時以降、時の人となり今日に至るまで、ほぼ黒髪で通してきた。海外暮らしがほとんどだから、色々うまいこと指定しづらいということもあるだろうけども、今回がほぼ初めてに近いくらい、金に近いカラーだったので、自分にはすごく新鮮で、とてもいいなぁと思っていた。いいなぁということに加えて、そういう自分の趣向をようやく貫けるようになってきたのかなぁと喜んでいたのに。元の木阿弥だな、と感じてしまったのだ。
大企業が後押しし、そのイメージを崩さないよう色々な制約をつけられる。それが高額の年収の代償だと自分は思っているが、我が推しは、長年その通りに、羽目を外すことなく言葉を慎重に選び波風立てずに低姿勢で謙虚に活動し続けている。
日本では、言動にも制約だらけだ。
海外で発言しているように、日本でも自由に自分を表現させてあげてほしいと思うが。。。
ケイにはケイらしく生き生きと生きていってほしい。何よりも自分にとっては重要。
ちなみにJAL所属のアスリート。
http://www.jal.com/ja/sports/athlete.html
ショウヘイオオタニもそうじゃないのかな?と思うが。
そういや、マオも黒髪以外を見たことない。
おそらく、マオアサダが仮に黒髪じゃなく明るくカラーすれば、間違いなく報道に出るだろうなぁ。
ショウヘイオオタニも。
JALじゃなくANAのユズルハニューだって。
こう我々が持つイメージってある。
やっぱりケイも真っ先に黒髪のイメージが自分には強い。
イメージを破った時、人は好意的に、新鮮と捉えるのではなく、違和感として見るんだと思う。
それはプライヴェイトが報道された時もそう。
人は勝手に人を偶像化しイメージを植え付ける。それがまるで実際であるかのように。
自分の思考と違った現実を見せられた時に、反発してしまうのだと思う。
大ちゃんが黒髪でなくたって、なんの違和感もないけども。
それは大ちゃんの我々が持っているイメージだと思う。
我々がケイに抱くイメージって、誠実で清廉潔白で爽やかで謙虚でちょっと甘えたで話し下手だけども、優しい。まぁマダム層が可愛い守ってあげたいと思ってしまう、そんなイメージ。ピアニストの角野さんなどもその類なんだろうなぁ。類まれなる才能がそれに加わるから、人気沸騰する、という形。
まぁ、角野さんは芸術家だから仮に金髪にヘアカラーしてもそこまで反響はないのでは?と自分は見ているが、一般に、ケイがヘアカラーしたときの写真をメディアが報道すれば、まぁ反響は間違いなくあるだろうと自分は見ている。無難に戻したのは、そういう反響を避ける目的もあったのか?
たかが髪色?いや、これは自己表現の一つだ。自己を思いのままに表現することは、許されないのか?
スポンサーのイヴェントに黒髪でない髪色は相応しくないとして、推しが髪色を変えたのであれば、推しにそう思わせた見えない圧力こそ、私には違和感でしかない。
そして日本テニス界を見渡して、その圧力の矛先になっているのがいつも推しだけのように自分には見える。ナオミもヨッシーも、髪色、アクセサリー、全て自分の趣味を貫いているように見えるが、なぜ推しにはそれが許されないんだろう?
これは以前も書いたけど、18年の楽天の時と同じ違和感だ。
あの時、メスの大会では襟元を開けてトンボのお守りを見せていたのがとても新鮮で深い愛情すら感じた。なのに、直後の日本でのジャパンオープンでは、襟元は第一ボタンしか開けずお守りもしていなかった。これ、日本向けに配慮したのか?と思っていたら、直後の上海マスターズではまたメスのようにしてくれていて、やはり日本にいる時には色々と制約があるんだな、というか、色々配慮せざるを得ないんだなと思ったことだった。
ワイキキでは自ら語るベイビーのことも、日本でのインタヴューでは自らは絶対にしないのと同じ。
日本での息苦しさは、間違いなく存在すると自分は思っている。責めれば責めるほど、ヒスを起こせば起こすほど、推しから本音を聞き出せない、日本スポンサー、メディア、ユーザーは自分で自分の首を絞めてる。