こんにちは、絶學無憂です。

 

イギリスの科学者ルパート・シェルドレイクの「禁じられたTEDトーク」を日本語に翻訳しました。主催者側の判断で、この動画TEDの公式サイトから閲覧できないようにされた後で、有志がYouTubeに載せたおかげで、また見られるようになっています。日本語の字幕をつけたのですが、向こうの人がいつまでたっても承認してくれないので日の目を見ることがないため、ブログで紹介することにしました。ほんとは字幕のほうが快適ですけどね。

 

話の内容は、彼の本、The Science Delusion 「科学は妄想である」(2018年6月現在で邦訳未完、イギリスとアメリカで原著の題が異なり、アメリカではScience Set Free 「解き放たれた科学」となっている。The Science Delusionという題は、イギリスの有名な生命科学者にして無神論者のリチャード・ドーキンスの書いた ベストセラー The God Delusion神は妄想である」をもじったもの)の紹介であり、現代科学が「当然」とみなして疑おうともしない10の常識について、これらを疑って科学上の仮説とすることで、科学はより進歩発展するはずだ、というのが主な主張です。飄々とした語り口で、現代人の常識に挑戦するユニークな内容ですが、読者の皆さんはどうお感じですか?

 

 

 

 

 

 

ルパート・シェルドレイク

2013年1月12日

 

「科学は妄想である」というのは、科学が既に現実の性質を基本的に理解しており、後は細かい点を詰めることだけが残されている、という信念です。これは私達の社会にとても広く浸透している信念です。これは「私は神は信仰しない、科学を信仰する」と言う人達の信念体系です。これは今や世界中に広まった信念体系であります。

しかし、理性、証拠、仮説と共同調査に基づいた調査方法としての科学と、信念体系あるいは世界観としての科学との間に、科学の核心部分において葛藤があります。そして残念なことに、世界観としての科学は、科学的な努力のまさに真骨頂ともいうべき自由な調査を妨げたり制限するに至っています。

19世紀以来、ある信念体系、あるいは世界観、端的にいえば物質主義世界観、哲学的物質主義のもとに、科学は実行されてきました。今日では、科学とは物質主義世界観の完全な従属物となっています。私たちがこれを打ち破ることで、科学は生まれ変わるであろう、と私は考えます。

私の著書、「Science Dilusion 科学は妄想である」、アメリカでは「Science Set Free 科学を解き放て」(邦訳未刊)と呼ばれていますが、この本の中で私がしていることは、科学における10個の定説、あるいは想定を取り上げて、これらを質問へと変化させることです。これらを科学的に見た時に、一体どれだけ持ちこたえられるのかを眺めようとしています。どれひとつ、ろくに持ちこたえることができません。

まずこれら10個の定説がどんなものかを手短にお話しようと思います。その後、ひとつかふたつについて、もう少し詳しくお話する時間があるでしょう。

しかし、基本的には、世界中の最も教育水準の高い人たちの世界観をなす、これら10個の定説とはこんなものです。

第一に、自然は機械的である。宇宙は機械のようなものであり、動物や食付は機械のようなものであり、私たちは機械のようなものである。実際のところ、私たちは機械です。リチャード・ドーキンズの生き生きとした表現によれば、私たちはのそのそ歩くロボットです。遺伝的にプログラムされたコンピューターである脳を持っています。

第二に、物質は無意識です。宇宙全体は意識のない物質によって作られています。星々や、銀河、惑星、動物、植物に意識はありません。もしこの理論が正しければ、私たちの誰一人にも意識はないことになります。ここ数百年間の精神に関する哲学の多くは、私たちには全然意識がないということを証明しようと試み続けています。物質には意識がありません。

そして自然法則は不変です。これが第三の定説です。自然法則は、ビッグ・バンの時から今まで同じであり、永遠に同じままです。法則だけではありません。自然界の定数も不変です。だから定数と呼ばれるのです。

第四の定説は、物質とエネルギーの総量は常に同じである。総量においては決して変化することがありません。ビッグ・バンのときだけは例外で、このときは一瞬にして、どこでもない場所から物質とエネルギーが現れました。

第五の定説は、自然には目的がないということです。自然界のどこにも目的はありません。また進化のプロセスには目的も方向もありません。

第六の定説。生物学的遺伝は物質です。あなたが受け継いだものの全ては、遺伝子、あるいは遺伝子のエピジェネティックな修飾、あるいは細胞質遺伝です。物質です。

第七の定説。記憶は脳の中に物質的な痕跡として保存されている。あなたの覚えているすべては、神経終末の変化や、リン酸化されたタンパク質として、どうにかしてあなたの脳の中に入っています。誰もこれがどうやって機能しているかは知りません。にも関わらず、科学の世界におけるほとんど全員が、記憶は脳の中にあるはずだと信じています。

第八の定説。あなたの精神は頭のなかにあります。あなたの意識の全ては、あなたの脳の活動であり、それ以上のものではありません。

第九の定説。これは第八の定説と関係していますが、テレパシーのような超能力は不可能である。あなたの思考や意図は離れた場所へ何の影響も及ぼすことができません。なぜならあなたの精神は頭のなかにあるからです。ゆえに、テレパシーや他の超能力現象のすべての見かけ上の証拠は錯覚に過ぎません。人々はこれらの現象が起こることを信じていますが、それは単に彼らが統計学を十分に知らないから、あるいは、偶然に騙されているか、そうあって欲しいなあと思っているからに過ぎません。

第十の定説。機械的な医学が唯一実際に効くものです。それが、政府が機械的医学の研究にしか資金を投入せず、補完医療や代替医療を無視する理由です。補完医療や代替医療が効くことなど全くあり得ません。なぜなら機械的ではないからです。これらは効くようにも見えますが、勝手に病気が治っただけかもしれないし、プラシーボ効果かもしれません。しかし、唯一、本当に効く医学とは機械的医学です。

まあこれが、世界中の教育を受けたほとんどすべての人がもつ、基本の世界観です。これは教育システム、国民健康保険、医学研究審議会(訳注: イギリスのMRC、アメリカのNIHに相当し研究予算を分配する)、政府の基礎をなしています。高等教育を受けた人のデフォールトの世界観です。

しかし、これらの定説のひとつひとつは大いに疑問の余地がある、と私は考えます。ちょっと考えて見るだけで、これらの定説はバラバラに壊れてしまいます。

自然法則は不変であるという考えをまず取り上げてみたいと思います。

これはビッグ・バン理論が登場した1960年代以前のより古い世界観の名残りです。人々は宇宙全体は永遠であり、永遠の数学法則によって支配されていると考えていました。ビッグ・バンが登場した時、この憶測は持続しました。ビッグ・バンが、根本的に進化的であり、およそ140億歳である宇宙を明らかにしたにも関わらずです。140億年間、成長し、発展し、進化しているのです。この宇宙の中に、成長や、冷却、そしてより多くの構造や模様が現れました。しかし、すべての自然法則はビッグ・バンの瞬間以来完全に不変であり、宇宙のナポレオン法典のようなものだと考えられています。私の友人のテレンス・マッケナ(訳注: 幻覚剤の研究で知られる思想家)がかつて言ったように現代科学は、「我々にひとつ自由な奇跡を与えてくれれば、我々は残りを説明しよう」という原則に基づいています。そして一つの自由な奇跡とは、宇宙のすべての物質エネルギーと、宇宙を支配する全ての法則が、無から、一瞬で誕生したことです。

さて、進化する宇宙において、どうして法則自体が進化してはいけないのでしょうか?

結局のところ、人間の法律(law)は進化します。自然法則(law)の考え方は人間の法律の暗喩に基づいています。これはとても擬人的な暗喩です。人間だけが法律を持っています。実際には、文明化社会だけが法律を持っています。C.S.ルイス(訳注: ナルニア国物語の著者)がかつて言ったように、石が地面に落ちるのは法則(law =法律)に従っているからだと言うことによって、その石は人になり、市民にさえなってしまう。これは私たちがあまりにも慣れ親しんだ暗喩であるために、暗喩であったことさえ忘れられてしまったのです。

進化する宇宙においては、習慣のほうがずっとよい考え方だと私は思います。宇宙習慣は進化すると私は考えます。宇宙の規則性は、本質的に習慣的です。

これは20世紀初頭にアメリカの哲学者C.S.ピアースによって提出された考え方です。他のいろいろな哲学者が考察した考え方であり、私自身が科学仮説へと発展させたものでもあります。これらの進化する習慣の基盤となる形態形成場についての仮説です。

この仮説では、自然界のあらゆるものは集合的な記憶のようなものを持っています。共鳴は類似性を基礎として生じます。キリンの幼い胎仔が母親の子宮の中で成長するに連れ、過去のキリン達の形態共鳴へと周波数を合わせます。この集合的な記憶を利用して、胎仔はキリンらしく成長し、キリンらしく行動します。この集合的な記憶を利用するからです。

胎仔は、正しいタンパク質を作るために正しい遺伝子を持っている必要があります。しかし私の考えでは、遺伝子は著しく過大評価されています。遺伝子は生物が作るタンパク質のみを説明しますが、形や、行動様式は説明できません。あらゆる種が集合的な記憶を持っています。

結晶さえそうです。この理論は、もしあなたが新しい結晶を初めて作ることができたら、一番最初にそれを作る時に、その決勝はまだ習慣を持っていないでしょう。一度結晶化されると、次にあなたが結晶を作る時には、一回目の結晶から世界中の二回目の結晶に対しての影響があるでしょう。形態共鳴によって、二回目は少し結晶化しやすくなるでしょう。三回目には、一回目と二回目の結晶から影響があるでしょう。この理論が予想する通り、新しい化合物は世界中でより結晶化しやすくなっていくという、よい証拠があります。

この理論はまた、もしあなたが動物を訓練して新しい芸当を覚えさせた時、たとえばロンドンでドブネズミに新しい芸当を覚えさせると、世界中で同じ系統のラットは、こっちで同じ芸当を覚えたラットの影響で、同じ芸当をより早く覚えるようになる、と予測します。そして驚くべきことに、既にこれが実際に起こるという証拠があります。

ともかくこれが私の形態共鳴の仮説の概要です。あらゆるものが、不変の法則ではなくて、進化する習慣に依存しているという仮説です。

自然界の定数についても少しお話させてください。というのは、定数もまた一定不変であると想定されているからです。万有引力定数や光速などは普遍定数と呼ばれます。

これらは本当に一定なのでしょうか?この疑問に私が興味を持った時、私は答えが知りたいと思いました。これらの定数は物理学のハンドブックに載っています。物理学のハンドブックは既存の普遍定数を箇条書きにして数値を教えてくれます。

私はその数値が変化するのかどうかを知りたかったので、昔の物理学のハンドブックを集めました。私はここロンドンの特許庁図書館へ行きました。これは昔のハンドブックを保存している場所で唯一私が見つけた場所でした。ふうつ、新しい数字が発表されると古いやつは捨ててしまうんです。

私がそこへ行った時、光速は1928年から1945年の間に秒速20 kmほど低下しているのを見つけました。これは大きな下落です。というのは、この数字は小数点以下の誤差で与えられていたからです。それでも、世界中でこの値は減少し、非常に僅かな誤差と共に、互いによく似た値を取っていました。

そして1945年にもう一度上昇したのです。そしてまた似たような数字が並んでいました。

私はこれにとても興味を持ち、訳が分からないと思ったので、テディントンの国立物理学研究所の計量部長に会いに行きました。計量学というのは、物理定数を測定する科学です。私は彼にこれについて尋ねました。

「1928年と1945年の間の光速の低下についてどう考えるのか」と言ったのです。

そしたら彼は言いました。「あらまあ、君は我々の科学の一番恥ずかしいエピソードを明るみに出してしまったね」

そこで私は言いました。「じゃあ、光速は実際に低下したのかい?もしそうだとしたら驚くべき示唆が得られるぞ」

彼は言いました。「いやいや、光速が実際に低下するわけはない。光速は定数だよ!」

「じゃあこの期間にみんなが同じように光速がずっと低下したのを見つけたことをどうやって説明するんだい?

これは連中が、他の連中が得たであろう結果を得るために結果をごまかしていて、これ全体が物理学者の心の産物なのかい?」

「我々はごまかすという単語は好ましくないと思っている」

私は「じゃあなんと言えばいいんだい?」と言いました。

「えー、我々は知的位相固定 intellectual phase locking と呼びたい」と彼は言いました。

そこで私は言いました。「えー、当時それが行われていたとしたならば、今日同じことが行われていないとどうやって言えるんだい?現在得られている数値は知的位相固定によるものかい?」

そしたら彼は「ああ、それは違うと知ってるよ」と言いました。

「どうやって分かるんだい?」と私は聞きました。

彼が言うには「我々は問題を解決したのだよ」

「えー、どうやって?」

彼は言いました。「我々は光速の定義を1972年に改めたのさ」

そこで私は言いました。「でもまた変わるかもしれないじゃないか」

彼は「そうだ、でも我々はそれを知ることはない。なぜなら光速を基準にしてメートルを定義したので、単位も一緒に変動するからさ」

彼はこれにとっても満足しているようでした。彼らは問題を解決したのです。

でも私は言いました。「じゃあ、ビッグGについてはどうなんだい?」

万有引力定数、その道ではビッグGとして知られ、大文字のGで書かれます。ニュートンの普遍的な重力定数。

「万有引力定数は近年1.3%以上変動している。そして値は場所によってまた時間によって異なるようだ」と言いました。

彼は「ああそれは単なる誤差だよ」と言いました。

「ビッグGについては結構誤差が大きんだ、残念ながらね」

そこで私は言いました。「もしも値が実査に変動しているとしたら?」

それから私は彼がどうやって測定しているのかを見ました。彼らは万有引力定数を複数の研究室で測定し、日によって異なる値を得て、それらを平均します。世界中の他の研究室が同様のことを行い、結構異なった平均値を出してきます。そして国際計量委員会が10年毎くらいに会合を開き、世界中の研究室から得られた値を平均してビッグGの値を得ます。

しかし、もしもGが実際に変動しているとしたら?もし変化していたら?Gが一日の間に、一年の間に変動するという証拠が実際に既にあります。

地球が銀河の中を移動する際に、暗黒物質の塊の中や、あるいは他のGに影響し得る環境要因の中を突っ切ったらどうでしょうか?ひょっとしたらGの測定値は全部一緒に変動するのかも?もし、これらの測定誤差が一緒に上昇したり一緒に下降したら?10年以上のもの間、私は計量学者たちに生データを見ろと説得し続けています。実は、今私は、彼らに生データをインターネット上でオンラインに載せるように説得しているところです。日付と、実際の測定値と、そして測定値同士が相関しているかどうかを。測定値があるとき一斉に上がって、別な時に一斉に下るのかどうかを見るために。もしそうならば、測定値は一緒に変動しているということで、それは私たちに非常に興味深いことを物語るでしょう。しかし、誰もこれをやったことがありません。誰もこれを調べないのはGが定数だからです。変化を見ようとする意味がありません。

お分かりでしょう、これは教条的な仮定によって調査が実際に抑制されるということの、とても単純な一例です。

私自身は物理定数はかなりの幅で変動し得ると考えています。狭い範囲ではあるでしょうが。とはいえ、定数は変化し得るでしょう。Natureのような科学雑誌が物理定数の毎週の報告を掲載する日が来るだろうと思います。新聞の株価変動の報告のようにです。

「今週のビッグGは若干上昇しました。電子の荷電は下がりました。光速は変わりありませんでした。」などなど。

これは、教条的な考えから離れることが新たな可能性を開く分野の一例だと思います。

最大の分野のひとつは精神の性質です。

グラハム(ハンコック)が先程語った通り(訳注: このグラハム・ハンコックの発表も同様に主催者側によってTEDの公式サイトから削除されている)、これは最も未解決の問題であり、科学は我々に意識があるという事実を扱うことが単純に無理なのです。科学は我々の思考が脳の中にはないらしいという事実をあつかうことができません。我々の経験のすべてが脳の中にあるようには見えません。あなたが今描いている私の姿はあなたの頭のなかにあるようには思われません。

しかし、公式の見解は、小さなルパート(シェルドレイク)があなたの頭の中のどこかにいるというものです。この部屋にあるその他のすべてのものもあなたの頭の中にあります。貴方の経験はあなたの脳の中にあるのです。

イメージを外側に投影したものが視覚と関係している、ということを私は示唆します。あなたが見ているものは、あなたの精神の中にありますが、あなたの脳の中には無いということです。

単純な知覚が起こる際に、我々の精神は我々の脳を越えて広がっています。我々が見ているイメージを外側に投影して、これらのイメージは我々が見ているものに触れる、というように私は考えています。

もしもあなたの後ろから私があなたを見ても、あなたは私がそこにいると分からないでしょう。私はあなたに影響をおよぼすことが出来るでしょうか?私が睨んでいることをあなたは感じるでしょうか?人はこれが出来るという多くの証拠があります。見られていると言う感覚、というのは非常に一般的な経験です。最近の実験的証拠は実際にそれが事実であるということを示唆しています。

動物もこの能力を持っているようです。これは捕食-被食関係の中で進化してきたんではないかと思っています。捕食者の視線を感じることができる被食動物は、感じることができない動物よりもうまく生き残るでしょう。これは、捕食者と被食者の生態学的な関係をまったく新しい考え方でとらえることへと繋がります。

また、我々の精神の広がりについてもです。遠くの星々を見る時、我々の精神は、ある意味でそれらの星々に触れるように伸びていき、天文学的な距離を越えて文字通り広がるのだと考えています。星星は単に私たちの頭の中にあるのではありません。

これが21世紀において議論の的となっているのは驚くべきことかもしれません。

我々は自分たちの精神についてあまりにも僅かしか知らないため、我々のもつイメージが一体どこにあるのか、というのは現在の意識研究においてホットな話題です。

これ以上他の定説について割く時間がもうありませんが、そのひとつひとつがすべて疑問の余地のあるものです。もし誰かがそれを問うた時、新しい形の研究、新しい可能性が開かれます。科学を非常に長い間押さえ込んできたこれらの定説に疑問を呈する時、科学は新しい花を咲かせ、ルネッサンスを迎えるでしょう。

私は科学の重要性については完全な信者です。私は人生のすべて、キャリアのすべてを研究科学者として過ごしました。これらの定説を乗り越えていくことで、科学は生まれ変わることができるでしょう。もう一度、科学は面白いものになり、生きる力を与えるものになるだろうと願っています。

ありがとうございました。
 

こんにちは絶學無憂です。

 

先日記事を読み返していて、「7. 筋肉反射テストの前に、必ずスイッチング(エネルギー極性反転)を解除せよ」の記事の中で、任脈のチャレンジに関する記述が、単純に間違っていることに気づいたので訂正しました。

 

以前の内容は、上腕二頭筋を使って任脈の逆撫でによる影響を見る方法を書いていたのですが、これは「指示筋(インディケーター筋 indicator muscle)」という方法を使わないとできない、ということを忘れていました。

 

本来は、任脈の訂正に対しては棘上筋を使います。訂正版ではそのように直しました。誤解を与える内容で混乱された方もおられたかもしれません。申し訳ありませんでした。他にも誤りや再現できない情報がありましたらご連絡ください。

 

正常に動作している任意の筋肉を指示筋として用いることで、他の筋肉の動作状態を調べることができます。上腕二頭筋に、棘上筋の身代わりになってもらうようなものです。は?と言う感じで、馴染みのない方はきっと混乱されると思いますが、これはタッチ・フォー・ヘルスなどの主要なキネシオロジーでも普通に用いられているテクニックです。

 

指示筋というものがなければ、キネシオロジーといっても、個々の筋肉の強さを調べているに過ぎないとも言え、経絡と筋肉との対応関係などはたしかに驚きではありますが、そういうものだと実際に自分でテストして納得してしまえば、まあまあ理解できるでしょう。

 

指示筋の考え方は、もうひとつぶっ飛んでいると言ってよいでしょう。

 

上腕二頭筋に、棘上筋の身代わりになってもらう、って一体どういうこと?

 

実は超簡単で、上腕二頭筋に棘上筋の身代わりになってください、と念じてお願いするだけで良いのです。「棘上筋のテストをする」と念じるだけで十分です。それ以後、頭の中で「設定」を変えない限り、あなたの上腕二頭筋は、棘上筋であるかのように振る舞います。

 

上腕二頭筋が正常に動作している状態で、その上腕二頭筋を指示筋として棘上筋を調べるとします。

 

この状態で、任脈を逆撫ですると、本来は棘上筋が弱くなるが、上腕二頭筋は任脈の対応筋ではないので影響を受けないはずです。ですが、指示筋として意識で「設定」されている間は、上腕二頭筋はすっかり棘上筋になりきっているので、任脈を逆撫でによって見事に弱くなってしまいます。

 

しばしば、筋肉反射テストのメカニズムを説明する時は、脳へストレスが掛かると特定の筋肉を支配する神経回路が異常を示すのだ、というような理屈が用いられますが、もちろんそれを証明した生理学的研究などないでしょうし、この説明で合っているかどうか私は結構怪しいと思っています。一応何とか辻褄があってそうだと思いませんか、というレベルの説明だと思います。意識するだけである筋肉が他の筋肉の状態を再現するという指示筋のような現象は同じような理屈で説明できるのでしょうか?難しいと思います。

 

なぜなら、さらにぶっ飛んでいますが、条件さえ整っていれば、この指示筋を使って、接触していない、他の人の筋肉の状態も調べられてしまうからです。これはタッチ・フォー・ヘルスのマニュアルには出てきませんが、動画を色々見ているとそのようにしてセッションをしているキネシオロジーの例を普通に散見しますし、私自身も実験したらあっさりできてしまいました。念のために申し添えると、ご自身で体験するまではこんな話を信じる必要はありません。

 

が、もしこれが本当で、離れたところにいる人の筋肉反射テストも取れてしまうとしたら、筋肉反射テスト=脳ストレス説はかなり苦しいのではないでしょうか?そもそも、情報が脳の中に閉じ込められているという前提で話をする限り理解不能です。

 

しかし、情報が脳の外、クラウドのようなところに保存されているとすれば話は変わってきますね。まったくトンデモナイ話だ、とお怒りの方すらおられるかもしれませんが、そんな方でも実際に筋肉反射テストを習得して、遠隔で反応を取ってみると、起きたことは起きたこととして認めざるを得なくなるでしょう。

 

宇宙人バシャールが本田健氏との「未来は、えらべる!」のオンラインの付録の中で、本田氏の質問に明解に答えています。

 

本田健「脳のしくみについて訊かせてください。個人的には、人間の記憶は脳の中にはなく、体の外にサーバー的な場所が存在し、そこにすべてあるのではないかと思っています。」

 

バシャールそのとおりです

 

本田健「やはり!ということは.....。」

 

バシャール「脳に情報を送るのは、高次の意識(大いなる自己、宇宙の叡智につながる意識)です。

高次の意識は、いわば発送機(conceriver)。

そして脳は、その情報をキャッチするアンテナ、受信機(receiver)です

物質次元の意識(顕在意識、思考の部分)、つまり個人(パーソナリティ)が、知覚機(perceiver)となります。」

 

 

他にもイギリスの科学者、ルパート・シェルドレイク博士は、「記憶が脳の中にある」というのは現代科学の10のドグマ(教条的な定説、誰も疑おうとしない定説)に過ぎず、大いに疑問である、と述べています。

 

 

彼は実際に、この定説を検証するために、犬が飼い主の帰宅を事前に察知できる研究、人間が知人からの電話を事前に察知できる研究を行っており、論文も出しています。この内容を Science Dellusion (アメリカではScience Set Free)と言う本にしていますが、邦訳はまだ存在しないようです。

 

https://www.sheldrake.org/research

 

 

 

 

皆さんはどう思われますか?

 

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こんにちは。

 

キネシオロジーに相当詳しい人でないと食いつかない、マニアックなタイトルですね。

 

以前スイッチング(エネルギー極性反転)については詳しい記事を書かせていただきました。キネシオロジーやOリングテストに対する誤解の大半は、この問題と関係すると思ったからです。

 

スイッチングというのは、体の中のエネルギーの流れ方の異常で、この状態にあると、キネシオロジーの筋肉反射テストがデタラメになってしまいます。これを解除できないと筋肉反射テストができませんし、このことを知らないと、そもそも筋肉反射テストが全部嘘っぱちだ、と誤解してしまいます。

 

聞くだけで漏れなくスイッチングが体験できる(んではないかと私が思っている)音楽へのリンクと、スイッチングの解除法について、タッチフォーヘルスにも組み込まれている横8の字も有効であるということが分かったので、記事に追記しました。

 

スイッチングを生じる(つまりおそらく有害な)音楽をなんで教えるんだ?と疑問にお思いかもしれませんが、これが誰にでも有効であったならば、「再現性」が得られて、このスイッチング問題を実験的に扱うことが容易になるからです。もし、お試しになられた方がおられたらぜひ結果をお知らせください。

 


 

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ふとキネシオロジーの英語の発音はなんだろう?と思って調べてみるとこれは結構難しい単語ですね。何通りも発音の仕方があるようですが、どれも「きねしおろじー」とは結構違います。
 
 
強勢(アクセント)の付く音を太字ひらがなで、その他を半角のカタカナで表記しました。

 

イギリス

/kɪˌniːsɪˈɒlədʒi/
キニースィラジ
 
/kʌɪˌniːsɪˈɒlədʒi/
カイニースィラジ
 

アメリカ

 
キニースィあーラジ
カイニースィあーラジ
 
/-zē-/
キニージーあーラジ

(アメリカ英語では基本的に短いオと言う音を使わず、代わりにアーという音を使う。
ex. god がード, hospital はースピタル)

実体験としては、イギリスに来てから特に最初の3ヶ月位、その後もじわじわとその感じが弱くなりつつも一年位、主観的な時間の流れが遅くなるのを味わいました。加齢とともに(なんとなく嫌な響きですが….)、時間の流れが早くなるというのを皆さん経験されていると思います。子供の頃は一日がとっても長く、夏休みは無限のように感じられ、でも今は一年ですらそれほど長いと感じません。誰に聞いても、これは止められないし、もっともっと早くなっていくよ、というばかりでした。なので、これは生得的なもので、単純に主観的な時間の流れが早くなるんだろうと思っていました。

それが極端に遅くなったのですね。加えてなんだか周りの景色が色鮮やかに輝いて感じられます。言葉の壁を感じて苦しみながら、一方でそれを遥かに凌駕するような解放感・恍惚感をこの時に味わっていました。そして、頭の中の状態が普通でない、というのをはっきりと感じていました。しかもこの最初の三ヶ月の間に、その後今に至るまで数年間で、一番大きな(といってもまあささやかなものですが)研究上の発見が3つありました。そのうち一つは未だに論文になっていませんが、この時のお陰で今でもこの仕事に就いていられるわけです。

そして、思い出せば、その10年ほど前に初めて、三週間の海外旅行に行ったときも、世界が輝いて見えて、そのために写真を撮ったり、スケッチをしたりしましたが、帰国すると絵を描く意欲が無くなったのでした。また、イギリスから日本へ戻った数年間の間に、私の上司であり恩師があっけなく倒れて再起不能になってしまいましたが、このときも一ヶ月間、時間の流れが遅くなりました。特に最初の数日間は、一日がとても長かったのを覚えています。

イギリスにいる間にこの時間の謎についての答を探し求めていたのですが、エックハルト・トールという人の「The Power of Now」と「A New Earth」という二冊の本(邦訳あり https://amzn.to/2J0XLIF, https://amzn.to/2E4IQcC)が答えとなりました。この中に旅行で見知らぬ土地へ行くと、現在の感覚が主となって思考を遮るため、より生き生きしているように感じる、とあります。

 

Some people feel more alive when they travel and visit unfamiliar places or foreign countries because at those times sense perception — experiencing — takes up more of their consciousness than thinking. [A New Earth]

 

 

詳しくはこの本を読んでいただいたほうが良いですが(無人島へ一冊持っていくならこの本かなあ)、この著者は悟り体験をした人で、その仕組を調べたところ、幻である時間(過去と未来)と言葉による思考の2つが、我々の本来あるべき姿から遠ざけているもので、今ここに意識を集中して、言葉による思考を遮ることができれば、悟り状態に近づき、悩みや問題は消えると説いて、古来から伝えられる瞑想や座禅はこれを方法化したものだといいます。

異国の土地で見慣れぬもの、名前の分からないものばかりに取り囲まれ、日本語が通じなくなったことで、言語障害のような状態となり、ある意味、2歳や3歳くらいの子供と同じような状況に置かれたために、時間が遅くなって世界が輝いて見えたのだろうと、考えています。およそ一年でこれが消えたというのは、季節のめぐりを経験して、次に何が起こるか想像できるようになったこと、そして英語が上達して言語障害状態から脱したことがあると思います。上司が倒れたときも、非常事態によってそれまで描いて未来像がガラガラと崩れたために、意識の中の時間軸が壊れてしまい、否応なしに今ここに集中することになって時間が遅くなったんではないかと思います。

この経験と、この本、さらにはバシャールの本などから、過去と未来は幻想で、今ここだけが本物、というのがあまり違和感なく受け止められています。辻褄が合うな、という気持ちです。