~浅草『とらんくすや。』の浅草徒然日記~ -33ページ目

~浅草『とらんくすや。』の浅草徒然日記~

『とらんくすや。』の親父の毎日を日記に更新していますので、皆様の浅草観光のお役に立てれば是幸いです
今回 ペタ いいね!が受け付けられない事態になりました
お客様の接客を最重要視していかねばなりません
何卒、ご了解の程お願い申し上げます

浅草観音温泉に行かれる

お客様が御来店でございます

「早めに行くと良いんだよ

ゆっくり入れるんだよ 
気兼ねしないでいいからね」

この浅草観音温泉は、何を隠そう

有名な温泉でございます

浅草寺本堂より遊園地花やしきに、
行く途中にある

温泉でございます


日本人は、温泉好きですね


日本人がお風呂が好きな理由は、

日本の気候風土からでしょうか、

暑い夏には、汗を洗って清潔にし、

冬には、身体を温めるという
習慣からでしょうか

もう一つは、神道、仏教の
影響を受けていると言います

入浴によって垢を落とす

つまり、心の中の垢、

所謂(いわゆる)、
煩悩を洗い流すと考えられたのです


そして、一番は、

江戸時代の 銭湯の大流行でしょうか

武士も、庶民も、同じ銭湯に入るのです

昔は、男女混浴でした

江戸の町は、
お水が一番大事な資源だったのです

一人で、個別のお風呂など、
とんでもない事です


さて、この入浴の習慣は、
何処から来たのでしょう


紀元前四世紀頃には、ギリシャに、

大衆浴場があったとせれます

紀元前一世紀には、中東アジアに

蒸し風呂があったとされます


217年には、ローマに、

カラカラ大浴場が出来あがり、
200人も入ったようです


しかし、キリスト教の布教と同時に

ローマのような入浴の仕方は、
退廃的だとされ、

お風呂に入らなくなったのです

貴族は、シャツを着替え、
香水で体臭を隠しました

19世紀に、イギリスで、
シャワーが発明されるまで

続くのです


中国では、沐浴を、
5日に一回行うのが良いとされました

沐浴 とは、身体の一部を洗う事ですが、


宗教的意味では、

沐 は水を頭から浴びること、

浴 は水に身体を浸けること

つまり、身体的、宗教的な汚れを

落とすことと、なるのです


日本人の、風呂好き、清潔好きは

一番ではないでしょうか

日本では当たり前が
世界では通用しないですね

香水の意味も
何か不自然に思えてきますね

香水付けるより
風呂へ入れですかね・・・


温泉 に、朝から浸(つ)かりたいと

思う とらんくすや。親父でございます












世界最大の旅行サイト

「トリップアドバイザー」は

世界の主要40 都市を対象にしたランキング



東京は、

「タクシー運転手の親切さ」

「タクシーのサービス」

「街中の清潔さ」

「公共交通機関」

「安全」

の5項目で

1位となったという ニュースがありました


世界に誇れる東京ですね


現状が当たり前と思っている私たちですが、

世界では違うようです


昔 フランスのパリでは、

トイレが普及していませんでした

貴族も、庶民もですが、おまるで用を足し、

そして、それを道端に毎日捨てていたのです

当然ですが、街は非常に汚い状態でした

「水に気を付けて」

と上から声がかかると

糞尿を今から落とすという意味だそうです

あわてて通行人は逃げたようです

何度も、窓から糞尿を捨てるなという法律を作っても

守られなかったのです

そりゃそうです

ベルサイユ宮殿の庭でもところ構わず

排便していたようですね

それが改善されたのは、

19世紀半ばのナポレオン3世の時代になって

やっと改善されたようです


しかし、犬の糞は放置です

拾う人はいないようです


イギリス ロンドン

馬の糞、犬の糞が放置されるという状況です

また、電車の中で、ハンバーガーを食べると

そのゴミは、椅子の裏側などに

放置するのが常であるといいます


日本では考えられないことですね


中国では、全てが道に捨てられています

食べたものも、鳥の骨など

テーブルの皿に入れるのではなしに

机の上や、下に捨てるのです

中国に行った時に私も自身で確認しました

どうして? とガイドに聞いても

いつも通りとのこと 
愕然とした覚えがあります


江戸時代から、
日本は清潔な国と言われていました

オランダ人が、江戸時代の武士の台所を見て

あまりにも清潔で、驚嘆したようです

盛り付けに、箸を使って盛り付けるなど

本当に吃驚したようです


しかし、喜んでばかりではいられません

煙草のポイ捨てです


とらんくすや。親父 朝の清掃で

毎日10本以上は拾っていますよ

愛煙家の皆様 お気を付け下さい

日本人の誇りを守ってください











本日も、お受験祈願の藩津(ぱんつ)を

お買い求めのお客様が

とらんくすや。 に御来店でございます

有名大学のお受験をされるとの事

お祈願申し上げ、心を込めて包装致しました

合格祈願のシールも貼りました

喜んで頂けました


願いが叶うには、
どうしたら良いのでしょうか

真剣に考えてみました


やはり、神社仏閣でしょうか

さしずめ、浅草では、
浅草寺様、浅草神社様ですね


神様に願いが届けば、

吃驚するような奇跡が起こるやもしれません


と、考えてみれば・・・・・

日頃より、神社仏閣に

挨拶していなければなりませんね


きっと、合格なさった人は、

いろいろなご祈願をされるでしょうが、

日頃の挨拶が行き届いている方だと思います


今からでも 遅くはありませんよ


日本人は、考えてみれば、

神様の子孫であります

日本神話の中の

天地創造
つまり開闢(かいびゃく)で出てこられます

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)様

からの 子孫と言えます

八百万の神様も、天之御中主神様からなのです


当然、私達 子孫である者

(ちょっと恐れ多いですが)

願いをお聞きいただけるのでは

ないでしょうか


その為、家族と考え

(すみません またもや 恐れ多いですが

日頃より、神様とのお付き合いが
必要でございます

神様との信頼関係ですね


お願いごとの有る時だけ

お願いでは、駄目ですね


日々 挨拶です


二拝 二拍手 一拝

(にはい、にはくしゅ、いっぱい)でございます


拍手は、大空に向かって 神様を意識し、

響くような音でお願い申し上げます


きっと神様は、あなたを、感じられるでしょう


また、お願いでは、

念じる 言霊(ことだま)が大事です

言葉に出して、願いを言いますと、

神様は、きっと聞き届けて下さるでしょう


合格祈願を、祈る

とらんくすや。親父でございます

















つい最近及び本日のことですが 

とらんくすや。  に来店されるお客様が

おっしゃいます

「雷門通りに在った店だね

店が、無くなったから捜していたのに

やっと、見つかった 良かった 」

八年ぶり、九年ぶりのお客様です

直ぐに、話で打ち解けます・・・


とらんくすや。親父

探しあてて頂き本当に、感謝でございます


「藩津(ぱんつ)が、長持ちするからね

本当に、見つかって良かった」

更に、感謝、感謝


商品が長持ち・・・

について、こんなお話も頂きます

「藩津(ぱんつ)長持ちしたら、

儲からない のじゃないかい・・・」

心配して頂くお客様もおられます


丈夫で長持ち、和柄で吉祥柄 などから

忘れないで頂けるのでしょうか

あるお客様は、仰いました

「商売正直じゃないとね・・・

 続かないよ、又来たくなる店でないとね

 だから、親父の処に来るんだよ 
    ワッハッハ・・・」


良いものを、作ること

肝に銘じる とらんくすや。親父でございます


もう一つの お蔭がございます

手前共の、
とらんくすや。

見つけて頂けたのは、

東京マラソンのお蔭でございます

沢山の応援の人だかりで、
何時もの通りを通られず

たまに、通った通りで
見つけて頂けたのだと思います


有難う! 東京マラソン 様

すみません

とらんくすや。親父 は 

違う角度から応援致しております


マラソン の 始まりは

昔々・・・

マラトンの戦いで、ギリシャ軍が勝利しました

その勝利を知らせる為に

マラトンからアテネまで
兵士が走ったのが始まりです

その名は、
フェイディピデスという兵士でした

アテネに着くと

「勝った」と叫び

息絶えたという事から始まったのです
走って知らせる 命がけでございます

江戸時代の飛脚も、同じです
走って知らせる 命がけでございます

浅草の人力車の皆様は、

走って儲ける・・・


とらんくすや。親父は、肥満でございますので

ムムム・・・走れません  

それでは、儲けようがない ですかね・・・


只、マラソンのように、
最後に息切れるのではなく

鈍足で、ゆっくり長く
 

とらんくすや。 と共に
生き延びたいと存じます











浅草寺様 寺宝 お話


浅草寺の宝物 寺宝のお話です

寺宝の中に


玉露童女木彫像と、玉露童女追悼集が

保存されているのです


この話に、感銘を受けた

当代一流の文化人が、

追悼の筆跡を寄せたものなのです


文政五年1822年のことです

江戸で六才の少女の死が
多くの人の涙を誘いました

少女の名は 

法名を浄観院殿玉露如泡大童女と言います

因幡国の若桜藩 
老公 松平冠山の娘 露姫です

この年の十一月二十七日、

疱瘡(ほうそう)の為、

本当に短い一生を送ったのです


露姫の没後に、

遺書めいた手紙や和歌や発句が発見されました

父の松平冠山は、亡き露姫を偲んで

模刻して親戚や知人に配ったのです

松平冠山によって配られた遺筆の複製が

視聴草に綴じ込まれています


露姫は、

仏心厚く,法話や聖賢の書,
仏像画を好んだのです

観音様 の再来と言われました


涙を誘う内容です


特に、児桜(こざくら)を詠んだ句は、

死を予感していた露姫の心の内が見え

胸が痛みます


つゆほどの 

はなのさかりや 

ちござくら


天然痘(てんねんとう)とは
感染症の一つです

全身に膿疱を生じます

仮に治癒しても瘢痕を残しますので

世界中では不治、
悪魔の病気と恐れられてきた感染症です

致死率も高いのです

疱瘡(ほうそう)、
痘瘡(とうそう)ともいいます


緒方 春朔 (おがた しゅんさく)先生 です

寛延元年(1748年 文化七年(1810年)


江戸時代医学者筑後国の久留米の方が、

天然痘の治療に成功しています
(1789年~1790年)

天然痘では、

エドワード・ジェンナー 
イギリスの医学者が有名ですが

これよりも先に、
違う方法で成功されているのですよ


有難うございます と言いたいですね

現在、この様な病気が無いのは、

江戸時代の、
先生方のおかげでございます


浅草寺様のお話でございました

ちょいとついでに

とらんくすや。  へも お立ち寄りを

とらんくすや。親父でございました















もうすぐ の季節となります

まだまだ 寒さが続きますが

梅が咲き終わり、

桜が咲く季節が訪れようとしています



先日、御婦人の皆様が御来店頂きました

「大学受験では、お世話になりました

  ありがとうございます」

お礼を頂きました

お受験の縁起担ぎに、

とらんくすや。 の 藩津(ぱんつ)を

ご購入頂いたお方でございます



とらんくすや。親父 恐縮でございます



有名大学に入られ、この度、無事に卒業され

就職もお決まりになったようです



とらんくすや。親父の 長~い ・・・

縁起柄の説明を聞き ご購入されたとの事でした



すみません 


とらんくすや。親父
 の得意技 お許しを



は、登れそうもない急な滝を登り切り

になったお話

登竜門伝説でございます



鯉の柄に更に、桜がついて、

 合格 桜 咲く で

お受験には、最高ですよ 

とお勧めしたのでございます



御贔屓のお客様と御来店頂いた皆様は、

同じ学校の御婦人の皆様でした



皆様、就職活動の成功 及び

御主人様の出世には、何が良いかを

お聞きになりましたので



またもや、
 

とらんくすや。親父 の



 長~い お話 です



は、一気に天まで昇りつめます

は、神を待つ木 です

その為に、常に緑を保ちます

お正月には、
神様をお迎えするのに、門松を立てますね

日本庭園など、お庭に、
松を植えるのも同じでございます

龍に松 の柄がお勧めでござます」



皆様、こぞって お買い上げ頂きました

本当に感謝でございます



龍に松 の藩津(ぱんつ)様

是非、お守りを、成功への手助けをと、

祈願申し上げる


龍に松 黒に紺 (商品コード0001)





鯉に波に家紋 (商品コード0027)
この鯉柄は、鯉に梅と笹に家紋です
梅は、知恵の花と言われます





とらんくすや。親父
で ございます





























とらんくすや。 を 御贔屓頂く お客様で

三味線(しゃみせん)をされる方がおられます


凄いです 頭が下がります

日本の音楽でございます

ドレミファ ではございません


とらんくすや。親父には、判りかねますが

別世界でございます


すみません 猫様 トホホ・・・

この三味線の皮は、

猫の腹の皮を昔は、使用していたのです

かなり高価だったようです

現在は、犬の皮を使用しているようです


この三味線 邦楽と言われるものでは

欠かせないものでした


歌い物では、小唄が、
平安時代及び江戸時代

長きにわたり、流行しました

小唄 は軽く砕けた歌いものでした


語り物では、軍記物語、平家物語、

浪花節 大岡政談など

語りの伴奏的に使われたのです


小唄 この様な 調子でございます


梅一輪 一輪づつに鶯の

うたい初め候
春の景色もととのうままに

実は逢いたくなったのさ

風情が 出ますな

羨ましく思います

とらんくすや。親父 でございます










本日は、女性お二人連れのお客様

御来店です

御主人様に、お土産でございます



浅草寺にちなんだお土産をとの事で、

お勧めし、

風神雷神と唐草藩津(ぱんつ)を

お買い上げ頂きました



とらんくすや。親父 感謝でございます



風神雷神様

神様でいらっしゃいますよ



雷神様 は、神話の中に

伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と

伊邪那美命(いざなみのみこと)のお話で

伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が
黄泉の国に降った時の

お話にも出てきます



平安時代 庶民の間では、

雷様(かみなりさま)

雷電様(らいでんさま)

鳴神(なるかみ)

雷公(らいこう)

とも呼ばれ親しまれました



それは、学問の神様

菅原道真様 が死して天神様 又は、

雷の神になったと伝えられることからです



菅原道真様 大宰府で、讒言(ざんげん)で

無念の死に至るのですが、



菅原道真様の怨霊は雷神と結びつけられ

火雷天神(からいてんじん)が祭られていた

京都の北野に北野天満宮を建立して

祟りを鎮めようとしたのです



これから、天神様として信仰する

天神信仰が全国に広まることになるのです

後に、菅原道真様の、頭の良さから
天神様は学問の神として

信仰されるようになったのです



風神様

伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と

伊邪那美命(いざなみのみこと)が
お生みになった

級長津彦命(しなつひこのみこと)とされます

風は神様の息から起きると信じられ

各地で、暴風を鎮めるために

風の神が祀られるようになったのです



一方、違うお話があります

インド の神とされます



風神様及び、雷神様は

インド最古の聖典
リグ・ヴェーダに登場する神様で、

自然現象を神格化した神様とされます


風神は、ヴァーユで、

数頭立ての馬車で天を駆けて悪神を追い払い、

富貴栄達を授ける神とされます



雷神は、ヴァルナで

水神だといわれ、仏法を守る役目、

悪をこらしめ、
善を勧めて風雨を調える神とされます



風神様雷神様 

お客様のお守りお願いします


とお送りする 

とらんくすや。親父でございます


























七福神 七柱ではなかった?三番


暫くして 七神 
つまり 七福神となるのですが

そこには、 またまた 

天台宗 の僧がかかわっておられるのです


仁王般若経(にんのうはんにゃきょう)

にある


七難即滅(しちなんそくめつ)

七福即生(しちふくそくしょう)


七難
太陽の異変、星の異変、風害、

水害、火災、旱害、盗難


七福
寿命、有福、人望、

清簾、威光、愛敬、大量



転禍為福(わざわいてんじてふくとなす)から、

 つまり 

七福神 が生まれたのです


上野の寛永寺を開いた天海大僧正です

天海大僧正徳川家康公に対し


「公はこの乱世を治め、

天下泰平の基を築く福徳を備えている」



「家康公は、七徳によって天下を統一された」



「皆も神仏の七徳を拝めるようにと」

言うわけです


恵比須  律儀

大黒天  有徳

毘沙門  威光

弁才天  愛敬

布袋   大量

福禄寿  人望

寿老人  寿命


家康公はこれを見て大いに喜び、

狩野探幽に命じて

この七福神の画を描かせたのです

七福神の最初の書画でございます


これ以後 

七福神信仰が大いに盛り上がるのです


最初は、二神が多く

暫くして、三神

そして、五神

最終的に、七神 となりました


また、異論を唱える人もいました

福禄寿、寿老人 は神様では無いと・・・

確かに、中国での仙人でございますね

様 を 付ける 付けない と 議論をし

川柳にも歌われています


むりやりの 七福神 なるが故の
議論だったのでしょうか?

いや~ 紆余曲折の 
七福神様 でございました


とらんくすや。親父でございました



















七福神 七柱ではなかった?二番


最澄(さいちょう)
(767年~822年)様

天台宗の開祖です


先祖は後漢の孝献帝に連なる

登萬貴王(とまきおう)で、

応神天皇の時代に
日本に渡来した人が先祖であるといわれますが?


この、最澄 様が、

比叡山で、大黒天を、
台所の神様として信仰したのが、

七福神の始まりです


室町時代 末期には、
応仁の乱などで、庶民は疲弊していました

また、商業が形作られてきた時代でもあります


その中で、福の神 の信仰が出てきたようです


今までの神様は、護国豊穣など、
国や、村を守る神なのです

個人の福や富を願うものではなかったのです

商業の成り立ちから、

個人主義的な、信仰が、流行りだしたのです


そして、次は、

恵比寿様との組み合わせで、

信仰されたのです


恵比寿様は、根強い 人気が有ったのです


恵比寿 様 は、

伊邪那岐神(いざなぎのかみ)

伊邪那美神(いざなみのかみ)

の子である蛭子命(ひるこのみこと)とか、

大国主命の子である

事代主神(ことしろぬしかみ)といわれます


海神 福神 でもあられます

えびす講なるものがあり、
全国的に、福の神として

信仰があったのです


近畿の地域では今も、

大黒様と恵比寿様の二神を
祀っている商家が多いのです


更に、組み合わせとなったのが

毘沙門天 です


平安時代の

庶民における毘沙門信仰の発祥は、

京都の鞍馬寺でございます

財福の神 無病息災の神 

毘沙門天は、

恵比寿、大黒にならぶ
人気を誇るようになったのです


暫くは、三神 体制が 続くのです


そして、この様な事が・・・


竹生島(ちくぶしま)
琵琶湖の北部に浮かぶ島です

神の棲む島と言われました

宝厳寺(ほうごんじ)の、弁才天

日本三大弁才天の一つでもあります


この弁財天が人気になり、


組み合わせが、変わってしまいます


大黒天恵比寿弁才天 
三神となるのです


可哀想 です 毘沙門天 様
やはり、女性は強いですな・・・

トホホ・・・


それなら、四神でどうだという 
お話になったのですが

日本人 四を嫌います


なにか もう一人神様を入れて、
五神にしてはどうだ

そうすれば、
毘沙門天弁才天
 
どちらもお入り頂けるという

調子でしょうか・・・


布袋 様 を入れて、五神体制となるのです


続きは、明日でございます

とらんくすや。親父でございました