~浅草『とらんくすや。』の浅草徒然日記~ -32ページ目

~浅草『とらんくすや。』の浅草徒然日記~

『とらんくすや。』の親父の毎日を日記に更新していますので、皆様の浅草観光のお役に立てれば是幸いです
今回 ペタ いいね!が受け付けられない事態になりました
お客様の接客を最重要視していかねばなりません
何卒、ご了解の程お願い申し上げます

浅草をお嘆きになる

大お母様のお話です

ひょんなことから、

とらんくすや。 店先での出来事です


何時ものように、午後も3時過ぎ、

店先の清掃を致していた時でございます

品の良いお年を召された女性との
立ち話となったのです

「まあ、お掃除御苦労さまです」

「店主さん 自らやっているのですか?
廻り近所までねえ」

「向こう三軒両隣、お互い様ですからねえ」

とらんくすや。親父の行動を、

ずうっと見ておられたようですね

新仲見世通りにお店を持たれる
大お母様でございました


「可愛がって育ててしまって、
丁稚奉公に出さなかったから

何も出来ない、頭でっかちで、
どうしようもないのよ

商品の事等、さっぱり解らない、
覚えようとしないのだから」

「浅草の息子さん達は、
親が、お金が有り余っているのか、

皆さん、私学に小学生から通わせるのよ」

「甘えが有って、お店の事も出来ないし、

まして、お掃除などしてくれません・・・・」

話が、どんどん続きます

とらんくすや。親父 
どの様に返事していいやら・・・

戸惑います  ・・・トホホ・・・


お客様商売


挨拶に始まり、挨拶に終わります


私チェーンストア時代に、

オーナー二世に、関西弁で、

「挨拶して、なんぼに(いくらに)なるねん
 無駄と違うか」

と言われ、吃驚しました。

おぼっちゃま なのだと思いました

丁稚奉公(でっちぼうこう)が
足りなかったのでしょうか?


挨拶は、計算するものではないのです

人として、躾、気配り、思いやり、
おもてなし なのです


日頃から、買い物をして頂ける
お客様のお蔭を知っていれば

その様な言葉は、出てくるはずが有りません


現場の実践を踏まえず、頭だけで経営する

これほど怖い事は、ありません


お客様商売は、

挨拶、お掃除など、基本の上に成り立っている事を

知るべきであると感じました


丁稚奉公(でっちぼうこう)

いわゆる 商店主育成制度でございます

江戸時代から近年の第2次世界大戦終結まで

続いていたものです


住み込みで働きます

番頭さんや手代から礼儀作法を教えられます

また、商人の「いろは」を叩き込まれるのです

勿論 挨拶、掃除は基本です

店の仕事を終えると、
読み書きや、算盤を教わるのです


さて・・・

浅草も若返り、代替わりがどんどん進んでいます

大お母様を嘆かさない代替わりが良いですね

頭で計算してしまうと、

商売を辞め、物件を貸してしまう

と言うようなことになりかねません


老舗が、伝統を守り、

お客様を大切にする心を忘れず

日本の風情ある浅草で有り続けて欲しいと

願う とらんくすや。親父でございます














浅草 おまんじゅう の老舗多し!


浅草には、有名な

 まんじゅう 

を売る店が多く存在します

甘味処 西山 福々まんじゅう

亀十 の どら焼き など 
お土産に最適です


この おまんじゅう 

漢字は?

饅頭、万十、万頭、曼頭など・・・

中国の饅頭(まんとう)からきていますね


始まりはどうだったのでしょう

始まりには、二つのお話があります


一つ目


南北朝時代 1349年

中国から、禅宗が伝来したおりに、
入って来たと言われます

禅宗での、 
お茶を飲む際の茶菓子として、考えられたのです

中国式饅頭 は、肉を使います

日本では、そのころ、
仏教では、肉食を禁じていました

ですので、

肉の代わりに、小豆(あずき)を
使ったのが始まりとされます

これを考えたのは、

中国から渡来した林浄因と言う人です

林浄因は奈良の漢國(かんごう)神社の近くに住居して

塩瀬という店を立てたことから、

漢國(かんごう)神社内に

林(りん)神社と呼ばれる饅頭の神社があり、

この林(りん)さんを祀っています


日本唯一の 饅頭の神社でございます


奈良に伝わった饅頭は
ふくらし粉を使う「薬饅頭」とされます


二つ目

鎌倉時代 1241年

南宋に渡り学を修めた円爾(えんに)と言う人が

博多でその製法を伝えたと言われます

円爾(えんに)は、辻堂に臨済宗承天寺を創建し

博多の西、荒津山一帯を托鉢に回っていた際、

いつも親切にしてくれていた茶屋の主人に

饅頭の作り方を伝授したと言われます


このときに茶屋の主人に書いて与えた

御饅頭所という看板が、

今では東京赤坂の虎屋黒川にあるそうです

そうです 有名な 虎屋 様ですね


博多の方は甘酒を使う「酒饅頭」とされます


縁起の良い 紅白饅頭

色々な説がございます


源平合戦からという説です

源氏が白旗、平氏が紅旗です

敵同士が仲良くなること、

つまり、戦いの無い平和と言う意味からだとか

また、


赤色は、赤ちゃんというように出生を意味し、

白は、死装束の色で、死や別れを意味するのです

人の一生を表す 色とされます


紅白饅頭 意味が深いですね

生から死を感じさせるとは・・・

深く考え、食せねばなりませんね


とらんくすや。親父


食も、生と死

人間が生きていけますのは 


正に、植物を含め、
あらゆる生き物のお蔭であると

深く感じる思いであります

















我が とらんくすや。 藩津(ぱんつ)道に

書いています

 男の粋は、藩津(ぱんつ)で決まる

 男の御洒落は、和風から

 男こそ勝負藩津(ぱんつ)を持て

 男の気分は、藩津(ぱんつ)で変えろ

 男の開運は吉祥藩津(ぱんつ)から


2項目目の、御洒落についてのお話でございます


御洒落 語源は?


御を取って、 洒落(しゃれ) とは、
垢抜けていること、気の利いていること

洒落の利いていることですが


語源は、一説には、

曝れる(しゃれる)、
曝される(さらされる)の意味で

曝(さら)されて余分なものがなくなった

ということから、きているとのこと

色々なものを身に付けて飾るより、

シンプルに、研ぎ澄まされて
究極の極みと言う事でしょうか?


ならば、 

藩津(ぱんつ)一枚が、
御洒落となるのでしょうか?


とらんくすや。親父だけに、
決め方が一方的ですね

失礼致しました


色々な洒落が有りますぞ!

駄洒落(だじゃれ)

出来の悪い洒落。地口ですね

次の様なものです 
韻を踏んで、リズムをつけたものです


美味かった(馬勝った)、牛負けた

美味しかった(大石勝った)、吉良負けた

驚き桃の木山椒の木

結構毛だらけ猫灰だらけ、けつのまわりは糞だらけ

何か用か(七日八日)九日十日


洒落本(しゃれぼん)

主に遊郭をテーマにした
江戸中期の大衆文学でした

遊女らとの会話を中心にして

吉原の風俗や粋と野暮との対比を
描いているものです

山東 京伝らが作っていましたが、

松平定信の寛政の改革でお縄となるのです

十返舎一九、式亭三馬が、
暫くして、作品を出しましたが、

遊女話から離れ、
滑稽本や人情本へと変化していったのです

洒落本は、
江戸庶民文学の始祖と言えるでしょう


ちなみに、

洒落(しゃれ)女とは、遊女の事を言います


藩津(ぱんつ)のお話から、お洒落のお話へ、

少し、色っぽく遊女のお話に
首を突っ込みましたが・・・

最後は、江戸庶民文学へと導けました


男は、色事から、文学への道へ

王道なのでしょうか?

石川啄木始め、
昭和の文学者も同じなのですね


色事に溺れず、文学に目覚める?

先人達の知恵 肝に銘じる

とらんくすや。親父でございます














寺子屋

庶民の子弟に読み書きや、計算や実務上の知識、

技能を教育した民間教育施設です

手習所 とも言います


江戸では「手習指南所」「手跡指南」と言いました

屋 がどうも 屋号と繋がる為、変えたようです


江戸時代、 人口は、三千二百万人と言われました

そこに、一万五千から二万の寺子屋が有ったそうです


現在、人口は、一億二千万人でございます

人口比で、考えますと、

現在に置き換えますと

少なくみて、5.6万となります


現在のコンビニエンスストアの出店以上の

人口比となります(CVS 4万店)

凄い数ですね

読み書き算盤は出来て
当たり前の風潮があったのです


この寺子屋は、
強制して出来たものではないのです

親は、稼ぎに応じ、
支払える額を払うのです

寺子屋の師匠は、

学門は金銭で売るものでないと
考えていたのです


江戸時代後期には、
70%~86%も、就学していたのです

ちなみに、イギリスの都市で、20~25%

フランスで、1.4%

ソビエト連邦時代のモスクワで、20%です


如何に、

日本人は、お勉強をしていたかが判ります


寺子屋では、今のように御休みがあまりありません

勉強する時間は、現在と比較すると

かなり多かったようです


この様にして、日本男子、日本女子が

育てられたのです


寺子屋のお師匠さん 有難うございます

感謝する とらんくすや。親父でございます











江戸時代の幕府は、
見抜いていたと思われます

西欧諸国が、日本を植民地にしようとしているのを

知っていたのです


しかし、日本と言う国は、海に囲まれ

侵略しぬくいのです

西欧諸国は、キリスト教の布教や、貿易を

話のネタに、征服を考えたのですが、

読みが深い幕府は、
それに乗らなかったということです


日本に入って、目の当たりに見た西欧人は、

皆、感嘆したのです

統率の取れた日本、日本国民の勤勉さ、

武士の強さ、上への忠誠心・・・などです


この鎖国を決定した事により

江戸時代250年の他国から侵略されない

平和が続く事になったのです


フランスの啓蒙思想家ヴォルテールは、

習俗試論 という本の中に、
日本の事を書いています



17世紀の日本と、
同国におけるキリスト教の消滅について



日本人は、寛大で、気安く、誇りの高い、

決断については極端な民族である

最初は、異国民を好意を持って受け入れた

しかし、自分たちが、侮辱されていると判ると、

彼らは、きっぱりと縁を切った


宗教という羊の皮かぶった狼である

西欧諸国の、
植民地政策をきっちりと見抜いたのです


素晴らしいですね

鎖国をしたので、遅れたとお思いですが

其の鎖国政策が、
日本を守ったと言えそうです

気品ある日本の武士の姿勢も、

相手国には、恐ろしく思ったのです

江戸時代有難うでございます


とらんくすや。親父でございました










日本を絶賛する外国人の方は沢山おられるのは

二日間にわたりお話してきましたが

今日お話しする方は、極め付けでございます

日本に来て、帰化し、日本人になってしまわれました


小泉八雲 様 です

そうです 耳なし芳一 作者であられます


耳なし芳一

赤間ヶ関阿弥陀寺に、芳一という名の

盲人が住んでいました

琵琶法師としてあまりにも有名であったので、

平家の亡霊も是非これを聞きたいと、

或夜ひそかに現われて来ました・・・



「御苦労であった、壇之浦の合戦を弾奏せよ」

・・・<中略>

僧侶

「これは平家の亡霊が恨みを以って一人でも

つれ去ろうとするのだ

今宵は声を出すな、動くな、返事をするな」

と固く申し渡し、

身体中に般若心経を書きつづりました、

「さ、これでお前は安全だ」

平家の亡霊

「今宵は声も、返事も無い、

姿すら見えぬ、ハテ如何した事であろう」

とフト見ますと耳だけが闇夜にはっきりと見えました

平家の亡霊

「せめてもの これだけなりと持って帰ろう」

とつぶやき乍ら、

鉄の氷のような、冷たい手先で
耳を持ったかと思うと、

フイともぎ取っていずれともなく立ち去りました

僧侶

「鳴呼全身に経文を書いたが、
耳に経文が無かったからだ」

とつぶやき乍ら、命拾いをした喜びに、

全山の衆僧 総員して、

よく亡霊を弔ったという事でございます。

爾来(じらい)これを

耳なし芳一」と呼ぶように成りました



ラフカディオ・ハーン  なのです

日本名 小泉八雲 


ラフカディオ・ハーン 様

日本贔屓の為、西洋は野蛮であるとまで

言っています


いったい日本の国は、
どうして樹木が美しいのだろう

梅が咲いても桜がほころびても、

西洋ではなんら目を驚かすこともないのに

それが、日本だと、美の奇跡になる


そして、

日本人より日本を愛するが故


日本には、危険が有る

古くからの自然で質素な生活様式を捨て去る危険

質素を保つ限り、日本は強いだろう

しかし、

贅沢な思考を取り入れたならば

日本は弱くなるだろう


本当に、涙ものです

私め、とらんくすや。親

小泉八雲 は、
本当の日本人であると思います











江戸時代のことです


西洋人は、日本の風景に驚嘆するのです


ドイツ人で、
長崎のオランダ商館の医者としてきていた

シーボルト 様 は言っています

日本のことを、


生気に満ちた緑の峰は、
まるで絵のように美しい

傾斜地の常緑の柏、杉、月桂樹は、

なんと豊かに繁茂しているのだろう

自然は、彼らの活動性と勤勉さを表すものだ


日本の国は、装飾用植物で満ちた庭園である

多様性と、美しさは、

世界の他の国々に例を見ない程である


シーボルト 様 
最後は ここまで 言っておられます


なんと 神々しい 神苑であろうか


一方 ゴッホ 様

オランダ出身の
ポスト印象派(後期印象派)の
画家でございます

日本の浮世絵の影響を受けました

パリで万国博覧会が行われ
(1855年、1867年)

浮世絵に出会うのです

安藤広重の 亀戸梅屋敷 や
 千住大橋の雨 などを

模写しています

そして、それまでの暗い色彩から、
明るい色彩へと

変化していくのです


日本の絵を愛し、その影響を受けている

それならば、すなわち、日本へ行かなければ

日本に当る、南フランスに行かなければ・・・

移住し、世に名作を生むのです


向日葵(ひまわり) 
アルルの女 アルルの跳ね橋・・・


注;アルル⇒ 
南フランスのコミュウーン(地方自治体)


日本人の勤勉であるが故の日本風景と、

ゴッホ 様が言っておられますように

日本人は、芸術的伝統を持ち、素朴さと、

心の美しさを持っているからでしょうか

西洋 及び世界の 文人芸術家に
変化をもたらしている
日本を見ることが出来るのです


ゴッホ の言葉

日本人が、稲妻のように
素早くデッサンできるのは、

神経が、我々よりも繊細で、
感情が純真であるからである


純真 な 心 



年を経ても、大事な 言葉だと思う

とらんくすや。親父でございます














相対性理論、ノーベル物理学賞の

アルベルト・アインシュタイン 様

日本についてお話されています


1922年(大正11年)に来日されました

日本と言う国を自分の目で見たい

このチャンスを逃したくないと言われたと言います


憧れの国 日本 桜の花咲く国 日本

と言っておられます


日本は、人類平和実現の為の、盟主であると・・・


凄い賛辞ですね!


凄い理由は、何でしょう?

次の様に語っておられます


東洋の国の中で、早く近代化できたのは、
日本だけです

西欧の技術、物をいち早く取り入れ、

心は、日本を守るという技をやってのけたのです


日本の心  とは、

アインシュタインは言っておられます

日本人の素晴らしさは、

きっちりした躾、心の優しさ

物静か、控え目、知的、芸術好き、

思いやり、非常に感じが良いのが、

日本の人達です


この様な事まで言われていますよ


この地球という星の上に、今もなお、今も優美で

芸術的伝統を持ち、素朴さと、
心の美しさを持っている

国民が存在している・・・ と


アインシュタイン  様が、
一番感銘しておられるのは、


一系の天皇を戴いている事が、素晴らしい

世界では、戦争を繰り返し
、断絶をくり返す歴史です

日本だけが、一系の天皇を戴いているのです


中国の宋の国王太宗が千年前に言っています

日本という国は羨ましい

中国は、分裂断裂の歴史である、

一系で世襲していくとは、羨ましい

継襲して、絶えないのは古の道である・・・と


アインシュタイン様 
最後に 言っておられます


我々は、感謝する 日本と言う 尊い国を

作っておいてくれたことを


日本人 肝に銘じて、

聞かなければなりません

恥ずかしくない行動を、

世界のリーダーとして



とらんくすや。親父

恥ずかしくない行動 肝に銘じます

体系は、恥ずかしながら、
改善が出来ません

トホホ・・・・ 肥満対策頑張りますぞ!

















浅草寺には、梅の花が咲いています


とらんくすや。親父は、

歳寒三友(さいかんのさんゆう)を思い浮かべます


松、竹、梅を表しますが

松は寒い中、常に緑を保ち、神を待つ

竹は、寒さをものともせず、青さを保ち、清く、

  節々に節度を守る

梅は、極寒を耐え、春一番に咲かす 智恵の花 です


寒い冬に立ち向かう

三つの朋友なのです

困難辛苦に打ち克つ

清廉潔白 孤高な品格 節操 
を意味するのです


丁度、春が来る前の
 受験シーズンとマッチしますかな

学問神様 菅原道真公を思い浮かべます

梅とは、切れないお方でございます


東風(こち)吹かば

にほひおこせよ梅の花

主なしとて 春な忘れそ


大宰府に左遷されるときに、

道真公の愛した庭の梅の花に

別れを惜しんで詠んだ歌でございます

この庭の梅は、道真公を追って、

大宰府まで飛んでいったという伝説が有ります

飛梅伝説でございます


梅には、 いろいろ 呼び名があります


御存じですか?


好文木(こうぶんぼく)、春告草(はるつげぐさ)、

木の花(このはな)、初名草(はつなぐさ)、

香散見草(かざみぐさ)、風待草(かぜまちぐさ)、

匂草(においぐさ)・・・


花見 と言えば、
 奈良時代以前は、梅の花だったのです

平安時代から、
桜の花になってしまったのです


梅の花 可哀想ですね


梅 智恵の花 極寒を耐え 咲かせます

受験生のようでは有りませんか


本日は、 桜が咲かないうちに

梅の花のお話をさせて頂きました

とらんくすや。親父でございます














オリンピック5輪のマークは?


五色の輪を重ねたものです

左から   黒   となります


意味は、ヨーロッパ、南北アメリカ、

アフリカ、アジア、オセアニアの五大陸を意味し、

相互の結合を意味するようです


色について、 

大陸の色を示したものでないと言う事です


近代オリンピックの父と言われる

クーベルタン男爵ピエール・ド・フレディ

考えたものです


古代オリンピックの開催地のデルフォイの

祭壇にあった休戦協定の中に刻んだ五輪の紋章

着想を得て作られたものです


ピエール・ド・フレディ


オリンピックは、

勝つことではなく

参加することにこそ意義がある

とも、言っておられます

エセルバート・タルボット大主教が

言われた言葉を引用したものです


五輪の紋章が刻まれていたデルフォイの遺跡

この遺跡は、太陽神ポイボス・アポローン

神殿が有った場所です

ギリシャ神話アポローンの別名でございます


デルフォイの神託

神託 ⇒ 神の意を伺う事です


デルフォイはギリシャ最古の神託所です

ペルシア戦争時に、

アテナイは初め滅亡を暗示する神託を得ましたが

再度 神託を願い出ると、


されどアイギス(防具 盾)保つ

ゼウスの御娘(アテナイ⇒女神アテーナーに由来)は、

木の壁のみを守りとて、

アカイア人(古代ギリシャ人)に与え給う


という 神託  神のお告げでございます


テミストクレス将軍は、お告げ木の壁を、

船を指すものと解釈し、三段櫂船を造らせたのです


三段櫂船(さんだんかいせん) 速いのです

櫂の漕ぎ手170名で、

三段に配置して高い速力を出したのです

地中海は、風に頼る事が出来ません

したがって、人力勝負です


これのお蔭で、サラミスの海戦に

ペルシア軍を破る事が出来たのです


最後に、この神殿入口に、この様な事が・・・

意味深いですよ

三の格言

汝自身を知れ

過剰の中の無

(過ぎたるは及ばざるがごとし、多くを求めるな)

誓約と破滅は紙一重
(無理な誓いはするな)


勝つことではなく

参加することにこそ意義がある



響いてきますね

とらんくすや。親父で ございました