「猫に小判」
の様に過したいものです?
価値の判らない猫に小判を与えても意味が無い
の喩(たとえ)ですが・・・
しかし、小判の価値が判らないのは、
猫だけでしょうか?
立派な千年杉のような、
千年以上も生き続けている方にも判りません
智恵のある猿でも判りませんね
何故? 猫なのでしょうか?
猫のしぐさ、常に関心の無い様子が
ぴったりだったのでしょうか?
小判 つまりお金です
お金の価値 が判るのは人間のみですね
この喩(たとえ)話が生まれた
江戸時代に行ってみましょう
江戸時代 小判は一般庶民には程遠いものでした
基本、銀貨か、銅貨しか使った事がありません
小判 庶民には、別世界のお金です
小判が有れば全てが欲するままになったか?
それは NO です
江戸時代 例えば、
電気は、有りません、日が暮れると寝るのです
空を飛びたい
といっても 出来ません 飛行機が有りません
遠くへ行きたい
といっても 電車が有りません
全てが人力でした
なので、無謀な無駄は無いのです
現在の様に、
多くの石油エネルギー等を消化しないのです
それに比較し、現在の人間は、・・・
平らな土地が欲しいと、山河を潰す
石油や石炭が欲しいと掘り尽くす
原子力発電で、放射能廃棄物を生み出す
その様な、現在の世の中になっています
江戸時代のように、欲望を押さえ
自然に生きる知恵が必要ではないでしょうか
猫に小判 と笑うのでなしに
小判に執着、現代ではお金(お札)に執着している
人間を笑うべきだと感じます
自然にエコで生きよう
江戸時代 着物は、古くなれば、寝巻にし、産着にし
更には、雑巾にし、果ては、燃料として燃やし、
燃やした灰は、野菜などの肥料とする
欲望には限(きり)が有りません
猫のように、お金を見ても、
素知らぬ顔で過ごしたいものです
とらんくすや。親父
お金や小判に縁がございません
