こんばんは、戦争漫画を連続してアップしますと、それ以外の記事でブログを更新しづらくなるものですね・・・
とは言ってもブログの更新頻度は"そこそこ"であっても維持したいところですので、今日は創作活動に関して自分の偏屈さについて記そうと思います。
この落描きは実は今回のブログ記事のために描いたようなものではありますが、「ヨシノとミコト編」の第4部に登場するヨシノです。
・・・と言ってもご承知の通り、史実ではこの様な格好をする場面はなかったわけですので、この姿は限定的なシーンで使うことになります。
不肖トリュフ、実は戦う女の子が大好き・・・だったようです。
昔、mixiをやってたときに当時の上司(ゲーム業界)にそのように紹介されたりしました(笑)。
実際、戦いそうな女の子の絵ばかりを描いていた時期もあります。
(この趣向は宮崎駿さんが自らについて言うところの「兵器は好きだけど反戦派」と一緒だと思います)
それが病気をやったのを境に、描くのを大変に躊躇するようになったことがあります。
その影響で今でも必然がなければ(描かないで済むならば)武器とか戦うシチュエーションは描かないようにしたいという気持ちはあります。
戦いを描く(特に戦争を描く)ときには、同時に人をコロすのは嫌じゃよ、戦争は嫌じゃよということも伝えたいと考えます。
幸いアマチュアであるため、これは自在にできます。
描きたくないものを描かないで済むのはアマチュアならではの贅沢です。
こんな風になってしまったのは、鬱の中でも取り分け重篤な症状として現れた「不安障害、強迫性障害」でした。
不安障害で現れる症状には「加害妄想」があります。
これは自分が取り返しのつかない罪を犯しているのではないか?という妄想です。
妄想とは言っても本人にとっては本物の罪悪感となって襲い来る猛烈な不安です。
(僕にとっては鬱よりも脅威です。日常生活や仕事を大いに損ないます)
例えば、ガン○ムのゲームがあります。
プレイヤーはモビルスーツを操って戦います。
なぜ戦うのかといえば戦争だからです。
敵のモビルスーツをビームサーベルでぶった切ると敵のモビルスーツは爆散します。
ゲーム画面で表現されているのはここまでなのですが、敵のモビルスーツにも操縦者(人間)がいるはずなんですね。
モビルスーツが爆散しているってことは、操縦者も死んでるってことです。
ぶっちゃけ言うと、プレイヤーはゲームの中で人殺しをしてるんです。
人殺しをしてゲームでは爽快感を演出してるんです。
こういう表現物に関わる仕事をしてるってことが不安で、恐怖で、悲しくて仕方なかったのです。
ゲームで人を殺す体験をプレイヤーにさせるならば、同時にそれは忌むべきことだということを伝えないと罪深いことではないか?と感じてました。
奇しくも秋葉原で無差別通り魔事件が発生し「ゲームの中だけでやることを現実でやってしまった」というショックがこの感触に追い打ちをかけました。
今、ある程度まで病状から開放されて言えることは、上記はあくまでも極端な「認知の歪み」だったということです。
ゲームと現実をごっちゃにしちゃいけない、なんて常識ですからね。
こういうことに神経質になりすぎて、武器や戦いの表現を嫌悪したり非難するようなのは、それはそれで芳しくないと、今なら言えます。
ただし、病気がもたらした「幻影」だったとしても、僕はコロシアイは良くないし戦争は嫌だという気持ちを持ち続けています。
これは病気をする前から変わりません。
病気を経て武器と戦いを描くことについて、ポリシーが変わってしまった・・・
そんなところです。
以上、つまらない駄文ですが、ここまでお付き合い下さいましてありがとうございました。
<おまけ>
今から十数年前(20年近く前)の落描き。
みんなフツーに武装してますね。