長崎の原爆忌によせて | トリュフ・ラボ-アクマで4コマ-

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本日はご承知の通り長崎の原爆忌です。

 

 拙作が広島市を舞台にしているため、広島については相応に調べました。

 

 そのため広島の原爆忌については毎年ブログに記すことがある一方、長崎の原爆忌についてはあまり触れていないことは、常々気になっていることでした。

 広島市と同様に説明をしようと考えれば、調べなければなりませんがその余力もなく、個人的な感情を記す程度になること、ご了承下さい。


 世界で最初の核爆弾はアメリカのニューメキシコ州の実験場にて炸裂しました。
 1945年7月16日のトリニティ実験です。

 この実験にて炸裂した核爆弾は長崎に投下されたものと同じ爆縮型と呼ばれる構造でした。

 広島の原子爆弾はガンバレル型と呼ばれますが、物理学的に「確実に核分裂反応が起こる」ことが分かっていたため事前の実験は行われずに投下されました。


 よって、長崎に投下された爆縮型の原子爆弾は実験の実証という側面があったのではないか?と考えずにいられません。

 また、1945年8月9日は未明にソ連が対日参戦を開始しました。
 すでにアメリカとソ連の対立が背景にある中での牽制を思わせる二発目の原爆の使用。

 あくまでも「推測」だと念押しをした上で、個人的には大国の(太平洋戦争の意味とは離れた)思惑により無差別な殺戮が行われた理不尽を感じてなりません。


 もう一つ、今年知ったことがあります。
 広島では原爆ドーム、つまり広島県産業奨励館が遺構として残されていますが、長崎にも昭和三十年代まで大きな遺構と呼べる建築物があったことです。

 浦上天主堂です。
 完全な倒壊を免れた浦上天主堂は、原爆投下から10年以上経過した昭和33年に撤去されました。
 それに至るまでは保存運動もありましたが、アメリカの意向、あるいは浦上教会の意向等があり結果としては別の場所に遺構の一部が保存されるに留まり、建物の大部分は撤去されました。

 やはり、当事者である浦上教会の意向があった以上、それは尊重することだとは思うものの、建築物の遺構は核兵器の恐怖を直感的に伝える存在であるため、今年知ったことではありますが、個人的には残念だったとは思いました。


 核兵器の恐ろしさを後世に伝えていくことは、とても大切なことだと考えています。
 体験者が高齢化していく状況で、それでも残せるものは遺構、遺品です。

 僕のような戦争を知らない世代の者が戦争を学び、伝えようとすることはとても意義があると思ってるのですが、その難しさも感じているところです。

 

 


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