上図のマンガは、東日本大震災から3年後に描いた作品の一コマです。
「カナエとムジャ子 並行時空編」の1シーンで、タイトル通り並行時空で起こったフィクションなのですが、原発事故を意識していることは察して頂けるものかと思います。
ちなみに「並行時空編」は→こちらから。
明日は東日本大震災から6年目の3月11日となります。
被災地ではない場所においては、この3年の間にこの災害の記憶は薄くなっているように感じていますし、それはすなわち僕自身の記憶が薄くなっていることに他なりません。
ただ、言うまでもなく日本の近代史における最大最悪の自然災害です。
自然が人にもたらした理不尽であり、また人が人にもたらした理不尽も多分に起こっていて、それは今なお継続中とも言えます。
それらを伝えていくことは、未来をより良くしていくことのために意義があると思っております。
自然災害に対しては備えることが出来ますし、また(僕個人として重要だと思っているのですが)、人が人に対して行う理不尽は止めることが出来るはずなのです。
僕が体験した震災は千葉県で震度6強ではあったものの、ほとんど被害はゼロと言える程度でした。
それだって、忘れるよりは伝えた方が良いと思っています。
被害のなかった地域も含めて、あの頃は日本中が「揺れて」いたのです。
そして、自然がもたらした理不尽と人のもたらした理不尽が噴出したことを日本中で感じていたと思っています。
それも自分の感じたことであり、体験ですから、伝えていくというのは良いことだと思います。
震災のときには(今とは違う職場でしたが)仕事をしておりました。
電車が止まり、かろうじて動いていたバスも大渋滞で動けず帰宅困難に陥りました。
家族と連絡を取ろうにも電話は繋がらず、ケータイの電池が切れてしまいましたが、どのコンビニも充電器が売り切れでした。
その日の夕食として、それらしいものは売り切れて手に入らず、なんでも良いからということでケーキを食いました。
2kmくらい歩いて入ったコンビニでケータイの充電器を手に入れ実家に連絡がついて自動車で迎えに来てもらうことが出来ましたが日付が変わろうかという時刻になっていました。
震災後は何日間か電車が不通になったため自転車で通勤しました。
計画停電が実施され通勤中の道路の信号の一部は機能していませんでした。
上記のようなことは、ほとんど困った内には入らないのでしょうけど、僕が生の言葉で語ることが出来るし、そしてそれは自然の理不尽と人の理不尽に連なっているものです。
3.11の記憶は人それぞれだと思いますが、全て次の世代に語るに値することだと考えます。
明日は、6年前にご自身がどういうことを経験し、どういう物事を見たのかを振り返ってみてはいかがかでしょうか?と提案して、今回のブログ記事を締めたいと思います。
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