まずは、先日の記事(→こちら)につきましてお礼申し上げたいと思います。
拙作の紹介のツイートに多くのリツートを下さいまして、本当にありがとうございました。
(絶対数は多くないのですけど、僕のブログ記事のリツイート数としては破格の多さでした)
引き続き、押し押しで参りたいと思いますので「かまわないよ~」って思ってくださる方、どうかお力添え下さい。
この絵は2009年2月の作品
日記にはこの頃の事が描いてないのだけど、クリエーター業の戦力外通知を頂く3ヶ月位前に描いたもの。
当時の精神状態は、この絵から推して知るべしと言ってよいかと。
記事のラストで「その後」のイラストもご紹介しますね。
さて、本題です。
僕がうつ病だということは以前より、たまに話題にしていますが、只今、悪化しているところです。
ただし、ご心配には及びません。
これはいずれは回復します。
良くなったり悪くなったりするのです。
何度も繰り返していますし、実は今回の悪化も予想できていました。
とは言ってもしんどいものです。
得体の知れない悲しさ寂しさが起こります。
何に例えようか?と考えて「淀みの底」という言葉を思いつきました。
こんな時、どうしたら良いだろうか?
最近はこんなことを考えました。
(1)他人も自分も正確に把握しようじゃないか
うつ状態になると他人から言われたどうってことないはずの一言がグサっとくることがあります。
これは、その人が自分のことを嫌いだからだろうか?
そう結論するのは尚早です。浅はかです。
疑問を反転させてみましょうかね。
自分は嫌われるようなことをしただろうか?
ここでは正確に判断しないとね。
嘘ついて卑下しちゃいけませんよ。
嫌われるようなことをしてないのならば、自分には落ち度はないです。
嫌われるようなことをした心当たりがあるなら反省のチャンス。
でも、ここで忘れていけないことは、嫌われたのは「やったこと」なのであって「自分そのもの」ではないってこと。
今度はグサッと来る一言を言った人のことを思い出してみましょうかね。
常々そういうキツイ物言いをする人ならば、それは通常運転してるだけなんですよね。
自分が鬱状態でグサッと感じやすくなっているだけ。
また今回に限ってグサッと来ることを言ったとしたら、それは本当に自分のせいなのか?
よくよく相手のことを思いやってみましょう。
もしかしたら自分とは全く関係のない出来事があってイラついているのかもしれない。
しんどい時じゃなくても、こういう視点で考えることは有意義だと思います。
(2)他の何かになろうとは考えない!
これは、うつ状態がひどい時には特に意識したいですね。
実は他の何かになろうと考えてもいいと思ってます。
・・・そこに至る道筋とビジョンが見出だせるなら、と僕は考えます。
逆に言うと、方法論もビジョンもなく漠然と他の何かになりたい、と考えるのはあまり有意義じゃないなあと考えます。
「他の何か?」ってなにさ?(笑)
ところが、うつ状態だと「このままの自分はダメだ、今までの自分はダメだ」と考えがち。
その焦りから「他の何かになる」ことを考えて、もがくわけです、自分の場合は・・・。
もう、この段階であまりいいことがなさそうですけど、実際「過去のどこで道を間違えたのか?」とか「◯◯になったとしても、どうせ何も満たされない」とか「とどのつまり自分は何も出来ない(絶望)」といった、ただただ辛いだけの疑問文がループして何も良いことないです。
これがうつ状態ですので・・・。
こういうとき、もしも体が動かせるのだったら「今の立場で、今の仕事や趣味を、いつもと同じように」とりあえずやる。
「他の何かになろうと考えず、とりあえず今の自分をやる」ことを意識したいです。
このようなことを、淀みの底で最近、考えました。
もしかしたら誰かの参考になるかもしれないし、ならないかもしれません。
こうやってブログを書くのも「自分をやってる」ってことで淡々といきます(笑)
ブログを書いてると落ち着いてきますよ。
このイラストのタイトルは「After war」
このブログが開始されて間もなくの2011年5月の作品
冒頭のイラストのキャラと同一人物ですが、武器を道具に持ち替えて「さあ復興するぞ」ってイメージで描きました。
どうでもいいことですがサインが現在のものになってます。
(自画自賛だけど、スゴイな・・・今はこれは描けないと思う(^^;))
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