おはようございます。
当ブログで現在、原爆に関わりのある作品を掲示している以上、本日、コメントを掲載せぬわけにはいかないと考え、筆を執ることにしました。
ここ何年かの当ブログの8月6日の記事はムジャ子が妙な行動をするシーンを描写してきましたが、本年はもうその必要もないでしょう。
ですので、その代わりとして私個人として思うところを記させていただきたいと思います。
核兵器を二度と使用させないと宣言する、この碑文の主張はあまりにも当然のことで、その趣旨に異論を挟む余地はありません。
その一方で、この「過ち」とはなにか?、誰の過ちなのか?ということは度々論争となり、近年には碑文を損壊する事件まで起こっています。
公式には「過ち」に対応する主語は「人類全体」となっており、私もそれに異議はありません。
ただし漫然と「人類全体」と述べるだけで、そこで思考を停止してはならないと考えます。
原爆の投下はどのような理由があれ「過ち」であったと考えます。
原爆によって戦争終結を早め、死者の増加を回避したと正当化する意見もあり、それには一理あるとは思いますが、多くの無辜の市民の未来を奪ったことを「過ちではない」とする理由にはなりません。
原爆を投下した主体者は米国です。そこには米国の過ちがあると考えます。
しかし、原爆を投下するに至った戦争を起こしたのは何か?
例えば中国に進出し戦線を拡大した日本の軍部の暴走にも過ちを認めることができるでしょうし、日本を米英に宣戦布告をするほどまで追い込んだハル・ノートにも過ちを認めることができるかもしれません。
そのハル・ノートを受けて日本は米国に戦いを挑んだ・・・その選択はどうだっただろうか?・・・
このように原爆の投下そのものだけでなく、そこに至る歴史的な様々な過程に対し冷静に向き合い、検証すること。
そのように各論の確認を経た上での総論として「これは人類全体の過ちである」と考えるのであれば、その「過ち」を繰り返さないための未来を作ることに繋がるでしょう。
また、「過ちを繰り返さない」のは誰か?、これも私は「人類全体」であることに異論はありません。
ただし、これも同様です。
漫然と念じるだけでなく、今日、この国の誰が何をしようとしているか?、あるいはこの世界の、どの国が何をしようとしているのか?・・・そういうことを私達が目を背けずに且つ冷静に見つめられるようになってこそ「過ちを繰り返さない」動きができるものと考えています。
<おまけ>
ちょっと堅い語り口で述べてしまいましたので、息抜きに今描いている作品の制作裏話をします。
登場してくる女子学生の服装は、今の時点では「セーラー服とモンペ(下図)」なのですが、このキャラクターデザインをした当時はイメージ先行で考証が甘かったのです。
最近になって昭和16年に女子学生の制服を統一する政策が行われたらしく、それはセーラー服ではなかったということを知りました。
考証上はセーラー服は誤りではないだろうか?とも考えました。
その服を先日、博物館に行って見てまいりました(見たものが実物なのか複製なのかは定かではありません)。
下図のような服装でした(原爆の被爆者の遺品にもこのタイプと思われる服があります)。
ただし、資料写真を見ますと昭和18年、19年の時点でも「セーラー服とモンペ」はかなり見受けられます。
また、少なくとも昭和17年の時点で広島の女学校でセーラー服を着用していた資料を確認しています。
おそらく、実際のところはセーラー服を含む各校独自の制服と、国が統一しようとしていた制服が併用されていたのではないかと考えました。
ということで拙作の女学生の服装については描き直さないといけないかな?(本音では描き直したくない)と検討した時もありましたが、春服は、このままのデザインで続けていきます。
それは考証の問題もあるのですが、せめて夏服になるまでは多少は美しい格好をさせてあげたいという作者のエゴでもあります。