「日本におけるキリスト教の真実 ㉗ 聖書が教える異邦人と福音宣教」
聖書を読めば、イスラエルの民(ユダヤ人)以外の異国の人々を「異邦人」として区別しています。
現在のキリスト教会の教えも同じで、「日本人」は「異邦人」として教えられています。
ちなみに「異邦人」と言えば、日本では歌手の久保田早紀さんの1979年の大ヒット曲「異邦人」を思い出す人は多いでしょう。
さらに2003年、日本が誇るロックバンドB'zのギタリスト・松本孝弘氏が日本の歌謡曲をカヴァーするというソロ・プロジェクトの第1弾は、日本が誇る歌手の坂井泉水さん(ZARD)を起用した「異邦人」でした。
聖書が教える「異邦人」はイスラエルの民(ユダヤ人)から忌み嫌われていました。
使徒ペテロでさえ、異邦人はきよくないとか、汚れているとか言ってはならないと、神から示されたほどです。(使徒への手紙10章28節)
また、使徒パウロでさえも「私たちは、生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません。」と言うほどでした。(ガラテヤ人への手紙2章15節)
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使徒パウロは異邦人がどのような罪人であるかを具体的に詳細に次のように教えています。
「この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。(エフェソの信徒への手紙2章2節)
「そこで、わたしは主によって強く勧めます。
もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。
彼らは愚かな考えに従って歩み、 知性は暗くなり、彼らの中にある無知とその心のかたくなさのために、神の命から遠く離れています。
そして、無感覚になって放縦な生活をし、あらゆるふしだらな行いにふけってとどまるところを知りません。
しかし、あなたがたは、キリストをこのように学んだのではありません。 キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んだはずです。
だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、 心の底から新たにされて、
神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。
だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。
わたしたちは、互いに体の一部なのです。
怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。 悪魔にすきを与えてはなりません。
盗みを働いていた者は、今からは盗んではいけません。
むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい。
悪い言葉を一切口にしてはなりません。
ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。
神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。
無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。
互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。
(エフェソの信徒への手紙4章17~32節)」
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つまり、「異邦人」とは、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。
彼らは愚かな考えに従って歩み、 知性は暗くなり、彼らの中にある無知とその心のかたくなさのために、神の命から遠く離れています。
そして、無感覚になって放縦な生活をし、あらゆるふしだらな行いにふけってとどまるところを知りませんでした。
なので至極当然に、情欲に迷わされ、滅びに向かっています。
それから、隣人に対して真実を語らず、偽っていました。
ずっと怒っていて、悪魔が入り込んでいました。
また、盗んで生活をしていて、悪い言葉を言い放っていました。
そして、無慈悲でした。
さらに、悪意に満ちて、憤り、怒り、わめき、そしりが当然の行為になっていました。
このように、神の命から遠く離れて、滅びに向かっている罪人が「異邦人」であると聖書は明確に教えています。
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それゆえ「異邦人」は至極当然に、最も小さき者たちが飢えていても食事も与えず、渇いていても飲ませず、旅人を泊まらせず、裸であった時に着る物を渡さず、病気の時や牢にいた時も訪ねたりすることはなかったでしょう。
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そして、そのような滅びに向かっている罪人の異邦人に対しての福音宣教が、繰り返しますが次の御言葉でした。
「以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、 心の底から新たにされて、
神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。」
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さて、「現在の日本人」は、聖書が教える「滅びに向かっている罪人の異邦人」と同じでしょうか?
まったく同じとして教えているのが、「イエス・キリストを信じなければ救われない」という聖書解釈と福音理解のプロテスタント教会です。
また「教会の外に救いなし」と教えるカトリック教会もそうでしょう。
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そして、私は無教会の立場で正直に純真に伝えさせてもらいますと、この聖書が教える「滅びに向かっている罪人の異邦人」と「現在の日本人」はまるで違うと断言します。
現在の日本は、聖書の御言葉に共感する教えに満ちています。
ドラマ「ひとつ屋根の下」で主人公のあんちゃんのよく言うセリフが「幼稚園で習わなかったか、ウソをついてはいけませんと」
このように、日本人は、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語るように教えています。
また、怒ったままだと暴言や暴力をふるうことになるので、怒ることがあっても罪を犯してはいけないと教えています。
盗みを働く者は犯罪者となります。
自分の手で働くのが常識であり、困っている人に分け与えることも多々あります。
慈悲深くあれと教えられます。
困っている人が飢えている時は食べる物を与え、渇いている時は飲ませます。
また、困っている旅人には無料で宿を貸します。
そして、裸な人がいれば着る物を着せてあげます。
病気の時には見舞いますし、拘置所に入れば面会に行って励まします。
それから、憤り、怒り、わめき、そしりは悪いことであり、悪意は捨てなさいと教えられています。
さらに、互いに親切にして、憐れみの心で接し、赦し合うことに努めています。
それが現在の日本人、世界の人々の常識であります。
つまり、聖書に書かれている滅びに向かっている罪人の異邦人とはまったく違うのです。
現在はまさに、聖書の使徒たちが教えていることが受け入れられているのです。
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それゆえ至極当然に、イエスさまの来臨時の最後の審判の基準も「イエス・キリストを信じたか、信じていないか」ではなく、
最も小さき者のひとりが助けを求めている時に助けた人か、助けない人かということでした。
もしも、現在の日本人も滅びに向かっている罪人の異邦人と同じであれば、最後の審判の基準は「イエス・キリストを信じたか、信じていないか」ということになったはずです。
なぜなら、滅びに向かっている罪人の異邦人が救われるには、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、 心の底から新たにされて、
神にかたどって造られた新しい人を身に着けなければならないからです。
しかし、現在の日本人はイエス・キリストを信じていなくても、滅びに向かっている罪人の異邦人のような生き方とはまったく違って、聖書の御言葉と同じことを教えているのですから。
つまり、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んではいないということです。
正確にいえば、そういう者もいますが、そういう者たちは犯罪者として逮捕されてしまうか、闇の中で生きて行くしかありません。
また、そういう者たちが全員、不従順な者たちの内に今も働く霊に従っているとは限りません。
誰からも愛されず、見捨てられ、自暴自棄になっている場合もあるからです。
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こうして聖書を理解すると、聖書の書かれている時代は、この世は悪魔が支配していましたが、現在は聖書の神の教えを基にした教えが広まり、その素晴らしい教えに聞き従って生きる人が大勢いる世の中になったと思います。
「また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。(エフェソの信徒への手紙1章19節)」
次回へつづく










