「日本におけるキリスト教の真実 ㊲ プロテスタント教会から批判されたクリスチャン中村哲医師」
聖書にはイエスさまが「あなた方は世界の光です。」と教えられました。
最近、日本人のクリスチャンで世界の光となったのは、アフガニスタンで殉教された「中村哲」医師です。
2024年12月の文藝春秋にも次のような特集記事が掲載されています。
「 “アフガニスタンの60万人を水路で救った”といわれる医師の中村哲さんは、2019年12月4日の朝、武装勢力に襲われて命を落とした。あれから5年、親交の深かったノンフィクション作家の澤地久枝さんのインタビューを一部紹介します。」
引用以上
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あの2019年12月4日から、世界中で中村哲医師について報道され続けているわけです。
中村哲医師がクリスチャンだということで、クリスチャンたちは大喜びしましたが、次のような報道によって、一転して、中村哲医師を批判することになったのです。
AbemaTV より引用
中村さんは用水路や井戸の建設に尽力し、事業で潤った土地は東京ドーム約3500個分にあたる約1万6000ヘクタール。
約60万人が恩恵を受けたとされる。
またそれだけにとどまらず、モスクやマドラサ(イスラム神学校)を建設し、
「水が来た時ももちろんよろこびましたけど、モスクが建つと聞いてもっとよろこんだんですよ。『これで解放された』と言った。
それまで自分たちが営んできた伝統的な生活がすべて、外国の進駐によって否定されてきたわけですよね。
イスラム教徒であることが悪いことであるかのように、一種のコンプレックスが(村を)支配していた。
やっぱり“地元の人が元気がでるには”というのはありましたよね」と話している。
引用以上
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なんと、中村哲医師はクリスチャンでありながら、イスラム教のモスク(礼拝堂)やマドラサ(イスラム神学校)をいくつも建設して喜んでいるのです。
中村哲医師の著書「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る アフガンとの約束」の中で、プロテスタント教会のバプテスト派で洗礼を受けて、「いちおうキリスト教徒になりました。」と言っています。
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プロテスタント教会の教えは、イエス・キリストを信じない人々は地獄へ行くということが信仰の根本です。
プロテスタント教会の中でも「日本キリスト教団」は神学的にいうと『自由主義神学』をベースにしており、『リベラル』とも呼ばれているそうです。
その日本キリスト教団の中でも最も寛容な教えをしていると言われているのが「佐古純一郎」名誉牧師です。
それゆえ、NHKの番組「こころの時代」で、1996年4月~1997年3月の一年間「新約聖書を語る」というタイトルでメッセージを語る牧師に抜擢されたのです。
その後、反響が大きかったので、NHK出版から「新約聖書を語る」が出版されたのです。
なので、プロテスタント教会の中で、最も多くの日本人に顔と名前が憶えられて影響力がある牧師は、佐古純一郎名誉牧師ということになるでしょう。
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テレビを視聴することが出来なかった人々も本を購入して、キリスト教の教えを知ることが出来ました。
私も昨年、NHK出版の佐古純一郎名誉牧師の著書「新約聖書を語る」を購入しました。
その著書の中には次のように書かれていました。
「いちばん大事な点は、神はお創りくださった私たちが一人も滅びないように願っていてくださるということです。
『滅び』というのは、私たちの感覚では、地獄に行くこと、と考えていいと思います。
先ほど述べた『ローマの信徒への手紙』七章でパウロは、『善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっている』ということを、
『わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか』(二四節)と、
『死に定められた体』というところまで突きつめていきます。
この『死に定められた体』は『地獄行き』と言い換えてほとんど違わないと思います。
神は罪人としかいいようのない、この私をなお、滅びないように願っていてくださる。
〈中略〉
神の側から言えば、『死に定められた体』としかいいようのない人間が一人だって滅びないようにというのが、お創りくださった神の愛の御心なのです。
〈中略〉
「したがって『イエス・キリストの福音』ということは、ナザレの大工の息子として生まれたイエスが神の独り子であり、
そのイエス・キリストによって罪が赦され、永遠の命を得ることができるようになるという、まことに喜ばしいおとずれのことなのだといってよいのです。」
引用以上
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この著書を読めばわかるように、多くの人々は、佐古純一郎名誉牧師を通して、
キリスト教の教えはイエス・キリストを信じていない人々は地獄へ行くことになり、イエス・キリストを信じれば永遠の命を得るということを認識したことでしょう。
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なので、プロテスタント教会の教えは、無神論者や他宗教、イスラム教徒のままで死んでしまえば、地獄へ行くのです。
ですから、クリスチャンの使命は至極当然に、イスラム教徒たちを悔い改めさせて、キリスト教に改宗させて、救いに導かなければなりません。
それゆえ、プロテスタント教会で洗礼を受けた中村哲医師が、イスラム教の礼拝堂のモスクやマドラサ(イスラム神学校)をいくつも建設しているのは、背信行為です。
まるで、イスラム教徒の人々が地獄へ行くことに協力しているという行為は、批判されて当然です。
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しかし、前述の中村哲医師の著書を読めば、中村哲医師はそのような教えのプロテスタント教会をやめて、無教会派になったことがわかりました。
次のように発言されています。
「実際、私はクリスチャンになっても、三位一体とか、教理(プロテスタント教会の教理)を聞けば聞くほどよくわからないんですよ。
どうして、イエス・キリストと聖霊が一体なのか。どういうことかなと。
その疑問を解いてくれたのは、内村鑑三という人でした。
日本的な色彩の強いクリスチャンですが、内村鑑三のインパクトというのが、非常に大きかったです。
それもあって、クリスチャンになったということだと思います。」
「滝沢克己教授という方が九州大学にいて、クリスチャンでした。その先生を通じて、神学者のカール・バルトの著作に触れることがありました。
自分は、いちおうクリスチャンで(笑)、クリスチャンであるということと、儒教徒に近いということがどう折り合えるのか。
内村鑑三を通して感じたものをさらに明瞭にしてくれた。
フッと『あ、これでいいんだな』と……。」
「だからよく、キリスト教会のほうから、イスラム教徒と接して、最近はモスクまでつくっているので、
『矛盾はないのか』と言われるけど、矛盾はありません。」
「私は、日本人がキリスト教というときに、あれはほんとうのキリスト教ではなくて、ヨーロッパ教というものがあって、それをキリスト教と勘違いしているんじゃないかという気がします。」
引用以上
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中村哲医師は、イスラム教徒のまま、儒教徒のままで、イエス・キリストを信じることなく死んでも地獄へ行かないという信仰が、イエスさまから与えられていると思いました。
その信仰は「十字架につけられたキリスト」によって成立します。
十字架につけられたキリストは『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。』(ルカの福音書23章33~34節)」と
イエスさまを信じることができない人々を赦しました。
また、聖霊に満たされたクリスチャンのステパノは『主よ。この罪を彼らに負わせないでください。』と大声で叫びました。
そして、最後の審判において、イエス・キリストを信じなかった罪とイエス・キリストとクリスチャンを迫害して殺した罪は無罪放免となっていたのです。
ここに御父と御子イエスと聖霊が一つとなって、イエス・キリストを信じなかった人々をそのままで赦している「あわれみと愛」が現わされています。
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それは、使徒パウロが体験したことでも現わされていることが次のように書かれています。
「さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、
大祭司のところに行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。
それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。
ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。
彼は地に倒れて、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか』という声を聞いた。
彼が、『主よ。あなたはどなたですか』と言うと、お答えがあった。
『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」
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さて、主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えているサウロに対して、イエスさまは『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。』と言われたのです。
プロテスタント教会の教えでは、まず罪を指摘し、悔い改めさせて、イエス・キリストを信じなさい、そうすれば、あなたの罪は赦されて、救われます。ということです。
しかし、イエスさまは、罪を指摘せず、悔い改めもさせず、信じることも求めませんでした。
それは当然です。十字架につけられたキリストによって、イエス・キリストを信じずに殺した罪は
『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。』という理由によって、すでに赦されているわけです。
それゆえ、その罪を指摘したり、悔い改めをさせたり、信じることを求めることをするはずがありませんでした。
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イエスさまは、クリスチャンに対する脅かしと殺害の意に燃えているサウロに、「わたしがイエスである。」と自己紹介をされたあと、
もうすでに弟子と同じ扱いで「立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」と言われたのです。
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サウロ(のちの使徒パウロ)は、このことについて、
「イエス・キリストを信じていない時に、知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。」と語り、
さらにクリスチャンたちに同じようにしなさいと教えています。
長くなったので、次回、そのことについて詳しく見ていきますが、この教えから、中村哲医師の信仰が正しいことがわかります。
つづく











