「日本におけるキリスト教の真実 ⑦ 神さまの御心にかなう人間について」 | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

「日本におけるキリスト教の真実 ⑦ 神さまの御心にかなう人間について」

 

聖書を読めば、神さまの御心にかなっている人間とはどのような人であるかが具体的にわかります。

 

イエス・キリスト御自身が教えられている「最後の審判」では、主イエス・キリストを信じているクリスチャンたち(聖霊の証印がある)は、最後の審判が行われる直前に空中に引き上げられて、主イエスと出逢って、いつまでも主イエスと共にいることになります。

 

そして、地上に残っている人々に対して「最後の審判のさばき」がくだされるわけです。

 

イエス・キリストを信じていても不法を行なっている「大勢のクリスチャンたち」は、地上に残されています。

 

そして、「不法を行なう者どもよ、わたしから離れ去れ!」という宣告を受けます。

 

イエスさまは、その不法を行なうクリスチャンたちは大勢いると教えられています。

 

この「不法を行なっている」というのは、次のような者たちのことです。

 

聖書の御言葉を曲解して自分自身に滅びを招いている者たち(第二ペテロ3章16節)

 

罪のうちを歩む者たち

「罪の内を歩む者は、悪魔から出た者です。(第一ヨハネ3章8節)

 

聖霊に逆らっている(汚している、欺いている)者たち

「聖霊に逆らうことを言う者は、この世でも次に来る世でも赦されません。(マタイの福音書12:31~32)」

 

小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えている者たち

「しかし、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。

 

つまずきを与えるこの世はわざわいだ。

 

つまずきが起こるのは避けられないが、つまずきをもたらす者はわざわいだ。

 

もし、あなたの手か足の一つがあなたをつまづかせるなら、それを切って捨てなさい。

 

片手片足でいのちに入るほうが、両手両足そろっていて永遠の火に投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。(マタイの福音書18章6~8節)」

 

 

さらに、旧約聖書では次のように教えられています。

「見よ

お前たちは断食しながら争いといさかいを起こし

神に逆らって、こぶしを振るう。

 

お前たちが今しているような断食によっては

お前たちの声が天で聞かれることはない。

 

そのようなものがわたしの選ぶ断食

苦行の日であろうか。

 

葦のように頭を垂れ、粗布を敷き、灰をまくこと

それを、お前は断食と呼び

主に喜ばれる日と呼ぶのか。

 

わたしの選ぶ断食とはこれではないか。

悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて

虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。

 

更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え

さまよう貧しい人を家に招き入れ

 

裸の人に会えば衣を着せかけ

同胞に助けを惜しまないこと。

 

そうすれば、あなたの光は曙のように射し出で

あなたの傷は速やかにいやされる。

 

あなたの正義があなたを先導し

主の栄光があなたのしんがりを守る。

 

あなたが呼べば主は答え

あなたが叫べば

「わたしはここにいる」と言われる。

 

軛を負わすこと、指をさすこと

呪いの言葉をはくことを

あなたの中から取り去るなら

 

飢えている人に心を配り

苦しめられている人の願いを満たすなら

 

あなたの光は、闇の中に輝き出で

あなたを包む闇は、真昼のようになる

 

主は常にあなたを導き

 

焼けつく地であなたの渇きをいやし

骨に力を与えてくださる。

 

あなたは潤された園、水の涸れない泉となる。

 

人々はあなたの古い廃虚を築き直し

あなたは代々の礎を据え直す。

 

人はあなたを「城壁の破れを直す者」と呼び

「道を直して、人を再び住まわせる者」と呼ぶ。

(イザヤ書58章4~12節)」

 

 

最後の審判において、地上に残っているイエス・キリストを信じていない人々(未信者・ノンクリスチャン・聖霊の証印がない)に対してのさばきの判断基準は次の通りです。

 

すべての国々の民が、その御前に集められます。羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、

羊を自分の右に、山羊を左に置きます。

 

そして、右にいる人々に次のように宣告されます。

『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』

 

こういうわけで正しい人たちは永遠の命に入ります。

 

そして、左にいる人々に次のように宣告されます。

『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』

 

こうして、この人たちは永遠の刑罰に入ります。

 

つまり、イエスさまの最後の審判では、最も小さい者たちが裸であったり、飢えていたり、渇いていたり、旅人であったり、病いであったりした時に、助けたか助けなかったかということが判断基準でした。

 

 

前述のように聖書の教えを見てみると、

 

イエス・キリストを信じている人々に対しても、イエス・キリストを信じていない人々に対しても、神さまの最後の審判の判断基準は一致しているように思います。

 

神さまの御心にかなう人間は、イエス・キリストを信じている人々も信じていない人々も同じです。

 

ただ前述のイザヤ書58章のように、イエス・キリストを信じている人々については、さらに深いものになっています。

 

 

前回記事では、イスラエル建国について伝えましたが、

争いといさかいを起こし、神に逆らって、こぶしを振るうように建国されました。

 

それゆえ、最も小さい者たちの多くが虐殺されたり、家を失い、親を失い、さまよう旅人となりました。

 

そのようなイスラエル建国を素晴らしい神の御計画の成就とか、イエスさまの御業だとか言っているクリスチャンは大勢います。

 

多くの教会の牧師たちがそのように教えているわけです。

 

どうして、そのような教えになるのか?

 

それはイエス・キリストの再臨と最後の審判が行われるには、聖書に書かれている通りの状況にならなければならないからです。

 

聖書に書かれている状況は、イスラエルはユダヤ教徒とキリスト教徒しか書かれていません。

 

イスラム教徒のことは書かれていないのです。

 

イスラム教は7世紀初め、アラビア半島で預言者のムハンマドが天使を通じて神の啓示を授かったことをきっかけに布教がはじまったとされています。

 

それゆえ、イスラム教をエルサレムから排除しないと都合が悪くなります。

 

さて、イエスさまが教えられている主イエス・キリストの再臨と最後の審判の時期はいつでしょうか?

 

聖書には具体的に教えられています。

 

つづく