「日本におけるキリスト教 68 教会の同性愛者に対する教えについて」
「献金」のことや「病い」についても無教会と福音派の教えとはまるで違うことを前回記事に書きました。
ちなみに「無教会」とは、内村鑑三先生の教えを著書からそのまま継承している人たちもいますが、そうではない人のほうが圧倒的に多いと思います。
私自身は、プロテスタント福音派の教会の教えは「論外」であり「ナンセンス」と思うことが多々あり、そのことを内村鑑三先生が明確に訴えていたので、かなり影響を受けました。
ですが、アフガニスタンで殉教されたクリスチャン医師「中村哲」先生のように、どこの教会にも所属せず、独自の聖書解釈と福音理解をしているクリスチャンということで「無教会」ということです。
この「無教会クリスチャン」はかなり多い印象を持っています。その多くはプロテスタント教会から離れた人々でしょうね。
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さて、前回記事の「病いの教え」について、思い起こされるのが、福音派の教会の「同性愛者は罪&病い」という教えです。
カトリック教会も同性愛は罪と教えているそうです。
BBC NEWS JAPAN 2021年6月23日の記事は次のように伝えています。
「現在のカトリック教会の教義では、同性愛は「逸脱した行為」とされている。
ローマ教皇フランシスコは2013年に教皇に選出されて以来、同性愛に対してよりリベラルな姿勢をとってきた。
昨年公開のドキュメンタリーでは、同性カップルにも婚姻関係に準じた権利を認める「シビル・ユニオン」を認めるべきだと発言していた。
一方で、教皇はこれまで、同性愛は罪であるというカトリック教会の立場を繰り返し表明している。2018年には聖職者の間での同性愛は「深刻な問題」で「心配」だと述べた。」
引用以上
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次はプロテスタント教会の同性愛者についての教えです。
大和田香菜さんの論文から
現代における日本のキリスト教と LGBT
――牧師と信者との対話から――一部引用
「また『船の右側』という雑誌では、新城教会主任牧師滝本順が『同性愛と神の裁き』という題で同性愛はキリスト教の中では罪であると明記し、聖書の言葉を基準にしなくてはならないと主張している。
しかし、キリスト教徒が最も多いとされる国アメリカでは同性婚が全面解禁されたこともあり、日本もそれに影響されたりするのではないかと懸念している(滝本 2015)。
一方で平良愛香の『あなたが気づかないだけで神様もゲイもいつもあなたのそばにいる』では、実際に著者の平良愛香自身がゲイの牧師をやっていて、きっかけや実体験と LGBT を肯定する主張が述べられている。
キリスト教の中でも LGBT の教職者もいることが明らかだ(平良2017)。
このように、日本のキリスト教内での LGBT の見解や主張は、否定側と肯定側に別れているように見える。
引用以上
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この日本のキリスト教というのは、プロテスタント教会のことで、否定側は「福音派」で、肯定側が「日本基督教団」です。
「滝元順」牧師は「福音派」の重鎮の1人「滝元明」牧師の息子さんで、福音派の教会の中で大きく用いられています。
そして、ゲイの「平良愛香」牧師は「日本基督教団」の牧師です。
日本基督教団はレズビアンを公言されている堀江有里牧師もいますので、ゲイやレズビアンでも牧師になれます。
「福音派」では「聖書のいくつもの御言葉で同性愛者は罪と書いている!」という教えにより、同性愛者が牧師になるなど言語道断というような風潮があります。
また、戦後、日本の福音派指導者として聖書信仰の確立のために働いてきた福音派の指導者のトップの1人とも言われている「尾山令仁」牧師が訳して好評発売中の聖書「創造主訳聖書」では、同性愛者が絶望するように聖書が訳されています。
「同性愛にふけるなら、二人共、殺される。それは当然のことである。レビ記20章13節」
その他の聖書箇所も恣意的に「同性愛」という言葉に変えて、同性愛は「恐るべき罪」であることを強調しています。
それゆえ、聖書を読んだクリスチャンたちは、同性愛者を恐るべき罪人と判断するのです。
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今度は「世の中」が教える同性愛についての教えです。
これまで浸透していた「同性愛者」という言葉は、現在では「LGBT」という言葉に変わって使われています。
「L」は「レズ」、「G」は「ゲイ」、「B」は「バイセクシャル」、「T」とは「トランスジェンダー」のことだそうです。
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「株式会社JobRainbow」のマガジン記事は次のように教えています。一部を抜粋します。
「トランスジェンダーとは、こころの性とからだの性が一致していない人を指し、医学用語の”性同一性障害”とは、厳密には異なる言葉になります。
例えば、生まれた時の性は男性で自身のことを女性と認識している方はトランスジェンダー女性(MtF)、その逆をトランスジェンダー男性(FtM)といいます。
最近では、テレビや映画などでトランスジェンダーの芸能人のドキュメンタリーも見ることがありますね。
そして、トランスジェンダーという言葉と同じくらい、性同一性障害(GID)という言葉も頻繁に使われるようになりました。
今回は、「トランスジェンダー」について説明しながら、「性同一性障害」との違いについてもわかりやすく解説します。
※「障害」という言葉に抵抗がある方もいらっしゃるかもしれませんが、今回のコラムでは公益社団法人 日本精神神経学会などの用例に基づき、こちらの単語を使わせていただきます。
ただ、2019年5月にWHOが「性同一性障害」を「精神障害」の分類から除外し、「性の健康に関連する状態」の「性別不合」に変更する(参考:WHOが性同一性障害を「精神障害」の分類から除外しました)など、世界の潮流は変わりつつあります。
性同一性障害とは、医学用語です。GID(Gender Identity Disorder)ともいわれ、性自認と身体的性が一致しておらず、外科的手術による一致を望む状態を指します。
先ほど紹介した、「トランスセクシュアル」と非常に近い意味の言葉ですね。つまり、広い意味では、トランスジェンダーの中に、性同一性障害は包括されることになります。
しかし、「性同一性障害」という言葉を手放しで使うことには疑問が残ります。というのも、「性自認と身体的性が一致していないため、それを一致させたい」だけにもかかわらず、それを果たして「障害」と呼んでよいのでしょうか(もちろん、この話をするとそもそも障害って何を指すのだろう……となってしまうのですが)。
また、現行の制度においては、「障害」として診断されるからこそ「手術」ができる、という論理のジレンマも存在しています。(参考:厚生労働省「みんなのメンタルヘルス」)
なお、世界的には既に「性同一性障害」は「性別違和」や「性別不合」と呼ばれ、WHOでは「精神疾患」でなく、「健康に関連する状態」として扱われています。(参考:WHOの「国際疾病分類」が改訂され、性同一性障害が「精神疾患」から外れることになりました)
なお、「トランスジェンダー=病気」という思い込みは残ってしまっていますが、2018年6月の段階でWHOはトランスジェンダーを「精神疾患」から除外すると宣言しています(参考:WHOの「国際疾病分類」が改訂され、性同一性障害が「精神疾患」から外れることになりました)。
トランスジェンダーは一般的に、上述で説明した性自認(こころの性)と身体的性(からだの性)が一致していない方全般を表す言葉ですが、その中にもいろいろな状態の方が存在しています。
そのため、必ずしも性自認が男性/女性だけでなく、中性や無性と言われるXジェンダーの方もトランスジェンダーに含まれます。
引用以上
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このように、世の中では「LGBT」は病気ではないという教えに変わってきました。
日本の芸能界では昔から「LGBT」の方は大きく用いられて、信頼されている人も多い印象を受けています。
個人的に覚えているのは「NHK紅白歌合戦」の時、小林幸子さんとの派手な衣装合戦の「美川憲一」さんです。
美川憲一さんは「オネエ(LGBT)」の言葉遣いで化粧もしていますが、LGBTではないとカミングアウトされました。
しかし、世間一般ではすっかり男性(体)だけど女性(心)の人として認知されてきました。
そして、男なのに女として生きる存在は、微笑ましい気分になりました。
それから「はるな愛」さんや「マツコ・デラックス」さんたちが活躍されていますが、和ませる存在です。
つまり、個人的には「LGBT」の方々は好感を持っていました。
しかし、プロテスタント教会の福音派のクリスチャンになった後では、「聖書の教え」によって「LGBT」の人たちを「恐るべき罪人」として認識するようになり、忌み嫌うようになりました。
そして、福音派の教会を離れて、「無教会」になった今は、「聖書の教え」によって「LGBT」の方々を神に造られた存在であり和らぐような好印象を持つようになったのです。
私たちは互いに愛し合うべきという聖書の教えがあります。
そして、イエスさまの御目は、特にこの世の弱い立場の人たちに注がれていると教えています。
長くなったので、次はその聖書の教えをみていきます。
つづく