無教会の現代についての福音 21 あなたを忘れない | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

「無教会の現代についての福音 21 あなたを忘れない」

 

これまで、同じ投稿記事をプロテスタント教会の福音派の人たちが多いクリスチャングループで記事を投稿していたのを、やめることにしました。

 

「あなたは、サタンにとりつかれている事を覚えなさい!」などと痛烈に批判非難してくるからです。

やはり、福音派の人たちにとって、無教会の教えは「異端」であり、到底に受け入れられないことを痛感しました。

 

私は長年、プロテスタント教会の福音派の教会に通う信徒でした。しかし、教会の牧師や神学・教理につまずいて、いくつもの福音派の教会を渡り歩きました。そして、結局はどこも同じだと痛感したので教会と離れました。

 

そして、既成の教会に行かなければ、クリスチャンとして認められないという認識がありました。

 

ところが、アフガニスタンで殉教されたクリスチャンの中村哲先生が「無教会の内村鑑三先生によってクリスチャンになることが出来た」という話を聞いたのです。

 

 

「無教会」の内村鑑三先生の教えは、福音派の牧師たちの教えとはまるで違いました。

最も大きかったのは、「普遍的救済」という教えです。

 

プロテスタント教会の「イエス・キリストを信じた者だけが救われる」という教えを「少数救済説」と呼び、無教会の普遍的救済の教えを「万人救済説」と呼びました。

 

そして、「両説いずれも真理であると言わざるを得ない」と結論づけていました。

 

 

福音派の牧師たちは、死後にも福音を聞いて救われるチャンスがあるという「セカンドチャンス論」について、間違った教えだ!と反証する牧師たちが多いです。

 

しかし穏健派の牧師の中では支持する人たちも少数ですがいます。

 

けれど、内村鑑三が教える普遍的救済(万人救済説)だけは、福音派で支持する牧師はいないと思います。

やはり、イエス・キリストを信じる以外に救いはない!と断言しているので、無理もないでしょう。

 

「セカンドチャンス論」を教える福音派の大和カルバリーチャペルの枝教会の牧師が、カトリックの晴佐久司祭の普遍的救済の福音理解「イエス・キリストの十字架によって、すべての人は救われている」という教えを反証していました。

 

 

プロテスタント教会の牧師やクリスチャンたちは、普遍的救済の教えは「人間中心」という指摘があります。

 

それは人間は「地獄行きがふさわしい罪人」という認識であり、その罪人である人間の感情を中心とした教えは危険だということだと思います。

 

 

無教会の教えは、そうではなく、「人間」は、神にかたどって造られたことと、罪を犯す罪人であるという二重人格者である。

 

神にかたどって造られた人間は、聖書を知らなくても、聖書に書かれている神の教えを行なえる。

 

例えば、最近では聖書の教えだとは知らない人たちの間で「神は乗り越えられない試練を与えない」という教えが流行しています。

 

また幼稚園でも「お父さん、お母さん、おじいちゃんおばあちゃん、友達を大切にしましょう。ウソをついてはいけません。人を叩いてはいけません。人の物を盗んではいけません。」ということを教えます。

 

聖書を読んだから、聖書の教えを守り行なうことが出来るのではなく、神にかたどって造られた人間に聖書の教えはすでに心の中に刻まれているという思想もOKです。

 

神さまに対してもそうです。

「悪いことをしてはいけないよ。神さまが見ているから。」と教える人は多く。

絶望的で、誰も助けることが出来ない局面では「神さま。助けてください!」と祈る人は多いです。

 

 

それは、この御言葉の教えに基づきます。

 

「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとえ女たちが忘れても、このわたしは、あなたを決して忘れない。

見よ。わたしは手のひらに、あなたを刻んだ。イザヤ49:15~16」

 

人間の母親は、自分の子を忘れることはなく、あわれまないことはない。

人間を造られた神は、それ以上であり、決して、あなたを忘れない。神の手のひらに刻まれているから。

 

 

神にかたどって造られた人間中心の教えの先に、神と出逢うようになると信じています。

 

ですから、人間は神にかたどって造られているので、神の手のひらに刻まれている存在だと信じる人たちは、無教会やフレンド派、マザーテレサ、カール・ラーナー、ヴァリニャーノ宣教師、晴佐久司祭たちの普遍的な神の愛を教える教会が合っています。

 

正教会や聖公会もそうかもしれません。

 

そして、人間は生まれながら神の御怒りがとどまっている罪人であり、自分は地獄へ行って滅びて当然だと信じている人たちはプロテスタント教会(一部を除く)、福音派が合っている。と個人的に判断しています。

 

どちらも正しく、どちらの教えも必要ですね。