「キリスト教会」は女性の性的暴行と、子どもの性的虐待を行なう加害者たちの温床・巣窟になっている | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

「キリスト教会」における性的暴行や性的虐待について告発し連携する「チャーチトゥー」の記事を紹介します。

 

セクハラや性的暴行の被害体験を告発し連帯する運動「#MeToo」や、日本の職場で女性がハイヒールおよびパンプスの着用を義務づけられていることに抗議する「#KuToo(クートゥー)」への認知が拡がる昨今。

欧米では近年、その流れを汲んだ「#ChurchToo(チャーチトゥー)」が注目されています。 これは、教会や宗教団体における性的暴行や性的虐待について告発・連帯する言葉です。

 

※本記事は、2020年10月に<マリ・クレール アメリカ版>に掲載された記事の翻訳版です

助けを求めるも「悔い改めたの?」と聞かれ…

ライターでアクティビストのシャノン・ディングルさんも、教会での性的虐待の被害者の一人。

彼女は、子どもの頃から幾度にもわたって牧師からレイプをされた経験があるといいます。16歳のときには、自身の経験を教会の青年会(若い世代のグループ)担当の女性ボランティアスタッフに涙ながらに告白したことも。

「その日、青年会で“純潔と貞操について”をテーマに議論をしていました。これは教会でセックスが語られる唯一の機会なので、今こそ告白するチャンスだと思ったのです。青年会では『性行為での選択』について話されていましたが、私が体験した性的暴行被害は、自分で選んだものではありません」

若者が何か困っているときに助けを差し伸べるのがスタッフの役割。しかし勇気を出して告白したディングルさんに対し、スタッフの対応は意外なものでした。

「私の告白が、理解されないなんて予想もしていませんでした。彼女は『レイプされるに至った、あなたの行動を悔い改めたの?』と聞いてきたのです。なぜ私が“悔い改め”なくてはならないの? と驚きました」

ディングルさんには、他にも苦い経験があります。それは、牧師の妻にレイプの経験を打ち明けようとしたときのこと。

「私が受けた虐待は、性的なものに加えて肉体的暴行(暴力)も多々ありました。はじめに暴力について彼女に伝えようとしたのですが、牧師の妻は恐怖と嫌悪の表情を浮かべながら『でも夫(牧師)はあなたをレイプしていないでしょう?』と言ったのです。 彼女は夫の暴力については理解できたようですが、もし性的虐待のことまで話したら、私のことを蔑視したかもしれません」

ディングルさんは長い間、過去に受けた暴行や性的虐待、そしてこのようなやりとりをなかったことにして生きてきました。セラピーを受け、 結婚し、子どもを授かりました。

 

そして2017年、「#MeToo」運動で生まれた流れのひとつである「#ChurchToo」運動に出合ったのです。

#ChurchToo運動のはじまり

2017年11月20日、詩人で作家のエミリー・ジョイさんと、作家でありトラウマ研究家のハンナ・パーシュさんの二人によって生まれた「#ChurchToo」のハッシュタグ。

聖職者による虐待を経験した人、虐待の事実を訴えたものの、無視されたり、隠蔽されたり、被害者本人のせいにされた人たちが、SNSなどのオンラインの場で告白したり連帯するために作られたものです。

ジョイさんの一連のツイートは、こんな告白から始まりました。

「16歳のとき、イリノイ州ピオリアにある福音派の大規模な教会『ノースウッズ・コミュニティ教会』に通っていました。ここで青年会担当のリーダーをしていた30代前半の男性に虐待されたのです」

そして、このツイートを見て行動を起こしたのが、ディングルさん。彼女の投稿に返信する形で、「#ChurchToo」のタグと共に自身の経験を告白することにしたのです。すると24時間も経たないうちに二人のツイートが<Time誌>で取り上げられ、この運動が広まるきっかけとなったのです。

 

教会や宗教団体で性的暴行が蔓延る理由

聖職者による性的虐待の事例は、この数十年にわたって度々、ニュースのヘッドラインを飾っています。アメリカ、カナダ、オーストラリア、オランダ、ドミニカ、アイルランド、ブラジルなどで告発が相次ぎ、調査が行われていますが、特にこの数年は多くの事件が明るみになっています。

 

カトリックの総本山であるヴァチカンの最高幹部の1人、ジョージ・ペル枢機卿が1996年に2人の少年に対して性的虐待をおこなった疑惑で起訴された件は、2018年に有罪判決を受けたものの、2020年に逆転無罪となりました。

 

しかし、オーストラリア政府の報告書によると、彼がさまざまな虐待を行っていたことは、1970年代から神父たちの間で知られていたとも言われています。

 

アメリカでも、福音派や南部のバプテスト教会で「(聖職者から)性的暴行を受けた」という証言をする人が増えています。

 

こうしたムーブメントは「前進」と言えるはず。ところが、宗教的リーダーが本当に性的虐待や暴行を犯したかどうかが問われる前に、女性がこうした被害を告発すると「まず被害者の容姿や性癖、貞操観念がを責められてしまう傾向があるのです」と、ジョイさんとパーシュさんは指摘。

性教育の欠落と“純潔思想”

また「この歪んだ信仰体系の根底にあるのが、“純潔思想”です」と、パーシュさん。

一般的に(宗教的団体では)性教育があまり行われていないこと、また、女性は“服従する存在”として捉えられ、男性のリーダーシップがより重視されていることなどが組み合わさり、性的暴行に繋がっているというのがパーシュさんの意見。
「性に対するルールがとても厳しい宗教は多いですが、自分の体や性にまつわる正しい判断についての知識がない若者は、ただただ性的欲求を抑えつけられています。そして目上の人から性行為を強要された場合であっても、“性的同意”の概念を知らない若者たちは従うしかないのです」

守られる加害者と、自分を責める被害者

性的虐待の告発があった場合、教会では「(性行為をすることが)神の意図だったから」などと、加害者側に寛大な態度をとる傾向があるとも言われています。そして被害者は無力感にさいなまれ、ガスライティング効果などにより「悪いのは自分」だと思ってしまうことも。

 

教会は長きにわたり、性的虐待の事実をうやむやにし、なかったことにしてきました。公にさえならなければ教会側の権威に傷はつかない―― そういう姿勢だったのです。

 

しかし、被害者はそうではありません。作家で公衆衛生アドバイザー、そして児童への性的虐待問題を提起するNPO団体(沈黙するのをやめよう:子どもへの性的虐待をなくそう)のスピーカーでもあるジョアン・ステべロスさんは、次のようにまとめています。

「罪の重さに関わらず、加害者には(事件後)すぐに悔い改め、許される機会が与えられています。しかし被害を受けた人たちは違います。法的権利や基本的人権、そして正義を追求することなく、『加害者を許しなさい』と圧力をかけられているのです」

加害者の懺悔が褒め称えられることも

加害者が自らの不正行為を認めると、すぐに許されるだけでなく「立派な人だ」と褒められることさえある…という事実には驚愕する人も多いでしょう。

 

2018年、アンディ・サベージ牧師(既婚者、5児の父)は、メンフィスのメガチャーチで“ある告白をしました。

1998年、サベージ牧師が22歳のとき、女子高生に対して犯した性的事件を信徒の前で話したのです。なんと、公の場で「許しを請うた」姿勢はスタンディングオベーションで称賛されました。

 

被害者であるジュール・ウッドソンさんは<ニューヨーク・タイムズ>のインタビューに対し、こう答えています。

「彼がズボンのチャックを下ろし『ペ〇スをしゃ〇って』と言ったのを覚えています。当時の私は彼を尊敬し信頼していたので、彼にそうして欲しいと言われたとき『彼は神に仕える人なのだから』と思ってしまったのです」

パーシュさんによれば、「男性の教会リーダーは権威そのものであり、神の言葉を伝える人だと考えられている」とのこと。そのため、良き教徒でありたいという葛藤が被害者の中で生まれてしまうのです。

「被害者は『これは信徒の間で起きた罪であり、神はあなたが加害者を許すことを望んでいるはず』と説得され、『許さなければ良い教徒ではない』と思い込まされるのです。サベージ牧師の例は、教義を加害者に都合の良く解釈している、わかりやすい例のひとつでしょう」

 

告発は、氷山の一角

「#ChurchToo」は、虐待被害者やサバイバー、特にこれまで見過ごされた存在だった「聖職者から性的虐待を受けた女性被害者」から共感を持って受け止められています。

 

プロテスタント系キリスト教団体の活動を通じて発生した「児童に対する性的虐待の嫌疑326件」を2018年に分析した情報によれば、聖職者による性的虐待被害者の約20%が女性(※既知分のみの調査)だと言います。

 

またジョン・ジェイ刑事司法大学がカトリック教会の公的なデータにアクセスしてまとめたレポート「1950~2002年、アメリカで発生したカトリックの神父と奉仕者による未成年者への性的虐待の性質と範囲」によると、1950~2002年に活動していたアメリカ在住の神父(司祭)の4%が性的虐待を行ったとして告発されていたことが判明しています。

 

一方で、前出の「Stop the Silence」によると、子どもへの性的虐待が報告されるのはその3分の1ほどであり、上記の数値は事実よりもずっと少ない数値だと想定されているんだそう。

 

#ChurchTooの行方

「#ChurchToo」運動のリーダーたちは「純潔文化の完全な解体と拒絶なしで、宗教団体内の変化は起こらない」と考えています。

「女性は男性を性的に惑わせないように控えめな服装をするべき。異性愛者であることやシスジェンダーであることは“神が与えた最善”のひとつ。LGBTQのアイデンティティはセクシュアリティの崩壊が生んだ現象。男性は教会や家庭のリーダー的存在であり、女性は男性に従うべき。…など、キリスト教の一部に残るこうした考え方はすべてやめるべきなのです」と、ジョイさん。

 

「Stop the Silence」の創設者であるパメラ・J・パインさんによれば、宗教団体内での性的暴行を防ぐためには、長きにわたって虐待が起こりつづけてしまった原因である構造を解きほぐし、変革に取り組む必要があるとのこと。

「聖職者だけではなく、教会メンバーや警察も同罪です。社会において影響力や権力を持つ多くの人々が、お互いをかばいあってきました。少年少女の身に何が起こっているのか、それを隠すために壁を作ってきたのです」

ジョン・ジェイ刑事司法大学の報告書によると、1950年〜2002年の間に性的虐待を告発されたアメリカ在住の神父のうち、有罪判決を受けたのはわずか6%。現在までに実刑判決を受けたのは約2%と、とても少ない数字です。

 

しかし、世界はこうした負の遺産の清算に向けて動き出しています。「Bishop accountability(司教の説明責任)」によると、アメリカの196の教区の内、約152の教区が「確かな証拠」と共に告発された加害者(神父)の名前を公表しています。

 

(上記の)サベージ牧師は、スタンディングオベーションを受けた約2ヵ月後の2018年3月20日に辞任を表明。「私はこれが正しい判断だと思います。教会にも正しくあってほしいです。ジュールズさんにも、教会が変わるのを見てもらいたいです」と述べました。

山積みの課題

このように、たしかに前進はあるものの、今なお被害者が名乗り出ることは困難であり、課題は山積みです。

ジョイさんのSNSには、「まだ被害を告白する心の準備ができていない」「公表するのが怖い」という女性たちからのダイレクトメッセージがたくさん寄せられているといいます。

 

また、 「#ChurchTooのハッシュタグを一度でもシェアしてしまえば、所属しているコミュニティから疎外されてしまう。教会や地域社会から追放される、と感じている人も多いでしょう」と、パーシュさんは語っています。

 

沈黙を貫くことは、かえって痛みやトラウマを助長してしまいます。しかし聖職者による虐待の被害者の多くが、宗教的な生活や信仰を捨てる準備ができていないことも事実。

「教会から離れてしまうことは、一部の人にとって自分が属するコミュニティから離れてしまうことを意味するからです。被害者は、心の支えも必要としています。信念や信仰があることで心を整理し、自分を落ち着かせることができるからです」

教会をなくしたいわけじゃない

まずは、教会リーダーたちから暴行の事実を“なかったこと”にされてきたディングルさん。彼女は、現在もPTSDからの回復途中です。しかし黒人女性が牧師を務めるユナイテッド・メソジスト教会に通うようになり、ようやく癒されはじめていると言います。

「配慮や共感に欠け、ただ権威を行使することに終始する男性の存在が、私にとってトラウマを思い出させるトリガーになります。男性リーダーのもとで私自身が信仰を守り、また教会への希望を見出せるのかは正直疑問です。だから、男性の牧師のいる教会には通わないことにしました。そうすれば、信仰心と教会の両方を大切に思うことができるからです」

エミリー・ジョイさんは、現在「とても小さな、ゲイの信徒もたくさんいる聖公会系の教会」に通っているといいます。彼女の信仰は時間の経過とともに変化しているものの、今もなお教会にまつわる活動や教会周りのコミュニティが彼女の大きな慰めとなっているんだそう。

 

ジョイさんもパーシュさんも、教会が滅びるのを見たいわけではありません。むしろ、「正義のための機関」として、教会がしっかりと機能することを望んでいます。

 

教会の持つ純潔文化について、2人の意見は現在も厳しいままです。

「私は“純潔”を教える方法を改善すべきと言っているのでありません。しかし、リーダーとなる男性の資質はもっと問われるべきですし、虐待が起こった場合の報告は迅速に行われるべきです。
虐待の温床になっていた忌まわしいシステムは一掃されるべきなのです」
以上がチャーチトゥの記事でした。
 
次は福音派の教会の性的虐待の記事です。

米最大のプロテスタント教派である南部バプテスト連盟(SBC)で、過去20年間に牧師や執事、日曜学校の教師ら約380人が性的虐待を行い、被害者が700人以上に上ることが報じられた。

 

テキサス州の新聞2紙が共同で調査報道したもので、SBCの指導者らは被害の究明に乗り出す考えを示している。

SBCの性的虐待問題を報じたのは、ヒュースロン・クロニクルとサンアントニオ・エクスプレス・ニュースの2紙。

 

両紙はそれぞれ10日から13日にかけ、「信仰の虐待」と題した3部からなる特集記事を各紙のサイトに掲載した。

 

第1部は「指導者たちが改革に抵抗するため広がる南部バプテストの性的虐待」と題するもので、SBCの指導者やボランティアら約380人により、過去20年間で700人以上の性的虐待被害者が出たことを伝えるもの。

 

第2部は「性犯罪で告発された数十人の指導者を雇用した教会」と題し、性的な不正行為により告発されたSBCの牧師やボランティア少なくとも35人が現在も教会で働いていることを伝えている。

 

そして第3部は「100人以上のユースパスター(青年担当牧師)が性犯罪で有罪判決を受けた、または告訴された」とするもの。

 

報道を受け「心が折れた」と言うSBCのJ・D・グリアー議長は10日、ツイッターにコメント英語)を投稿。「この記事で伝えられている声は、教会に悔い改めを求める神からの警告として聞かれるべきだ。クリスチャンとして、われわれは罪的なすべてのものを光の前にさらす必要がある。この記事に出てくる被害者たちはそれをしたのだ」と語った。

 

SBC倫理宗教自由委員会のラッセル・ムーア委員長も10日、自身のブログ(英語)に、報道に対する見解を掲載。「これは天にまでとどろくスキャンダルだ」とし、「被害者に対する教会のメッセージは、彼らを罪を犯した者ではなく、罪を犯された者と明確にするものであるべきだ。彼らは教会の問題児ではなく、本当の『問題』を明らかにする手助けをしているのだ」と述べ、被害を告発した人々が不当な扱いを受けることがないよう訴えた。

 

SBC執行委員会のオーガスト・ボトー暫定議長は、ヒューストン・クロニクル紙の取材を受け「(同紙は)南部バプテスト連盟の敵ではない」とコメント。

 

「あなたたちは、われわれを助けているのだ。犯罪に日の光を当てることは全面的に賛成だ」と語った。

 

ムーア氏もブログで「どの教会もヒューストン・クロニクル紙の報道にストレスを受けるべきではなく、むしろ神に感謝すべきだ」と述べ、報道が真相究明につながるものだとし、前向きな姿勢を示している。

 

2紙の報道によると、性的虐待を行った約380人のうち約220人が有罪判決を受けており、100人近くは現在も服役中だという。

 

さらに被害者たちは、SBCの元議長を含む数人の指導者たちが虐待を隠蔽したり、適切に対応しなかったりしたと訴えている。