子どもたちを救うために 日本では宗教に対する恐怖が広がっていることについて ⑨ | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

「子どもを救うために 日本では宗教に対する恐怖が広がっていることについて ⑨」

 

アフガニスタンで大勢の人々の命を救われる尊い働きをされたクリスチャン医師「中村哲」先生を通して、内村鑑三先生と無教会キリスト教のことを知り、そこから「無教会主義キリスト教」の信仰に入ることが出来ました。

 

そこでは、プロテスタント福音派の教会の聖書の教えとは、根本的に違うことがあったのです。

 

私自身、不思議と子どもたちに好かれることが多いので、特に子どもたちを愛することを教える聖書箇所に着目しています。

 

ところが、プロテスタント福音派の教会の教えは、その聖書箇所を曲解して教えているので、子どもたちが危険にさらされていることに気づきました。

 

 

福音派の教会では「イエス・キリストを信じた者は、永遠の命を持ち、さばきに会うことがなく、死から命に移っているのです。ヨハネ5:24」の教えなどから、

 

イエス・キリストを信じるクリスチャンたちは、過去に犯した罪も現在から未来に犯すどんな罪も赦して頂けます。決して救いが取り消されることはない。と教えます。

 

それゆえ、福音派の教会では、牧師やクリスチャンたちが陰で行なっている「子どもたち、未成年の少女たちへの犯罪行為」が後を絶ちません。

 

日本全土から世界を震撼させた事件が、福音派の教会の「聖神中央教会事件」です。

 

金主管牧師が「これは祝福だ。拒否すれば地獄に落ちる」と脅して、少女たちに性的虐待を5年にわたり犯し続けた容疑により逮捕されたのです。

 

裁判では、「欲望の赴くままに被害者らを次々と強姦したもので、性犯罪事案の中でも極めて悪質」と懲役20年の実刑が言い渡されました。

 

 

私自身が長年、福音派の教会にいて、何十という教会と交流がありましたが、子どもたち、未成年の少女たちの被害はよくありました。

 

世の中では、子どもたち、未成年の少女たちに抱き着いたり、体を触ったりすれば、大きな罪となり逮捕されます。

実名報道される場合も多いです。

 

ところが、福音派の教会においては、そんな事は罪になりません。

 

教会のすべてのクリスチャンを互いに愛せよ。兄弟が罪を犯せば赦しなさい。という教えに堅く立つからです。

 

子どもや未成年の少女が「体を触られた」と言っても、兄弟が「そういうつもりはなかった。コミュニケーションだ」というように否定すれば、その兄弟を信じて、赦しあうことが神の喜ばれることだと信じているのです。

 

 

まして、牧師や伝道師、宣教師、信徒リーダーがそのような罪を犯していても、子どもや少女の言うことと、否定する教会の偉い立場の人の言うことでは、教会の偉い立場の人の言うことが信じられるようになるのが教会です。

 

 

アメリカの巨大教会の一つ「ハイポイント教会」では、このような事がありました。

 

ジュールス・ウードソンさんが自身のブログ記事で、今から20年前の17歳の時に、サヴェッジ牧師に性的暴行を受けたことを告白しました。

 

事件当時、ウードソンさんは、他の牧師に性的暴行事件のことを相談したのですが、「内密にする」という一言だったのです。

そして、サヴェッジ牧師は別の教会に移って、事件をうやむやにしたのです。

 

ところが、20年経って、ウードソンさんの告白が大きな波紋を起こし、サヴェッジ牧師は教会で、17歳の少女を性的暴行した罪を悔い改めました。

 

すると、教会の信者たちは、サヴェッジ牧師に対して「素晴らしい!」と絶賛し、拍手喝采をしながらスタンディングオベーションをしたのです。

 

そして、その巨大教会のクリス・コンリー主管牧師は「被害者女性の心の傷が癒えておらず、我々は残念に思う。」とコメントしたのです。

 

 

このニュースを聞いた日本人は非難ごうごうでした。

 

「牧師は未成年の少女を強姦しても平然と牧師を続けて天国へ行ける。。。とち狂っている!」

 

「懺悔すれば、それで赦される。。。だからキリスト教は大嫌いだ!」

 

「何が、被害者女性の心の傷が癒えていないことに残念だ、そういうコメントをすることが恐ろしい!」などなどです。

 

 

個人的に、聖神中央教会事件のことで、このような疑問がわきました。

 

「少女たちを汚した牧師はイエス・キリストを信じているので天国へ行き、もし被害にあった少女がつまずいて、イエス・キリストを信じることが出来ずに死んだとすれば地獄へ行ってしまうのか?そうだとすれば理不尽すぎる」と

 

それで、いくつもの福音派の教会の牧師、伝道師、宣教師、信徒リーダーたちに質問しまくったことがあります。

 

そして、その答えを集約すれば、このようになります。

 

「何人もの少女たちを汚した牧師は、イエス・キリストを信じているので永遠の命を持ち、天国へ行ける。この救いは取り消されません。

 

どんな罪も赦して頂けるのですから。

 

そして、牧師に汚された少女は、キリスト教会での性的暴行が原因で、イエス・キリストを信じることを出来ず、死んでしまったら、地獄に行きます。

 

人間にとっては、それは理不尽に思えるのですが、どんな理由があれ、イエス・キリストを信じずに死ねば、

 

その少女の罪(アダムの原罪とウソをついたり日々犯す罪、何よりもイエス・キリストを信じないという罪)は赦されることはなく、最後の審判で、命の書に名の記されていない者は地獄へ行ってしまうのです。」

 

福音派の教会の牧師、伝道師、宣教師、信徒リーダーたちは「少女を性的暴行した牧師は天国へ行き、教会で牧師に汚された少女がイエス・キリストを信じることなく死ねば、地獄へ行く」という教えで一致していました。

 

そして、「人間の思いでは到底に受け入れることが出来ない理不尽なことでも、それが「神の義」なのです。その神の義を受け入れることが、本当のクリスチャンなのです。」と説得してきました。

 

 

このような、ノンクリスチャン(未信者)たちが聞けば、非常におぞまじい教えです。

 

前のブログ記事に書きましたが。福音派の教会の牧師たちは、イエス・キリストが地獄行きについて教えていることは、すべてイエス・キリストを信じない人たちが地獄へ行くことを教えているという解釈だからです。

 

これでは、福音派の教会の中に侵入している義のしもべに変装した悪魔の手下どもが、陰で悪い行ないをし続けます。

 

特に子どもたち、少女たちが危険な環境です。

 

あの聖神中央教会事件を起こした金牧師も始めは成年の女性が性欲のターゲットでしたが、難しくなり、少女をターゲットにしたのです。

 

 

さらに福音派の教会では、前回記事で紹介したユダ6~7「ソドムとゴモラ、また周辺の町は、この天使たちと同じく、みだらな行ないにふけり、不自然な肉の欲の満足を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受け、見せしめにされています。」について、

 

このような解釈をしています。

 

「この『みだらな行ないにふけり、不自然な肉の欲の満足を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受けた』というのは、『同性愛者』のことです。

 

同性愛者は男は男と、女は女という不自然な肉の欲の満足を追い求めたので、永遠の刑罰を受けると聖書は教えているのです!」と、同性愛者たちを断罪する神の言葉として教えているのです。

 

アメリカで「同性婚合法化」の法が行われる時に、福音派の教会の牧師やクリスチャンたちが、同性愛者たちを断罪しているニュースを見て、驚いた日本人は多いです。

 

 

さて、無教会主義キリスト教のクリスチャンとして、聖書を読めば、このユダ6~7の教えは、同性愛者はまったく関係がありません。

 

ソドムとゴモラの時代、天使たちが現れて、人間と交流していました。

 

「二人の天使が夕方ソドムに着いた時、ロトは彼らを見ると、立ち上がって迎え、地にひれ伏した。創世記19章1節」

 

そして、ソドムの町の男たちが、ロトの家に若者も年寄りもこぞって押しかけました。

 

ロトの家にいる二人の天使を「出せ!なぶりものにしてやるから」と集団レイプしようとしたのです。

 

ですから、ソドムの民は「天使」を性的暴行しようとするくらい、みだらな行ないにふけり、不自然な肉の欲の満足を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受けたと聖書は教えているのです。

 

 

現在では、天使が地上にいて、人間と交流することはありませんが、ノアの時代も天使が人間と交流していたので、イエスさまが来られる時は「ノアの時と同じだからである」と教えられていることから、これからの未来に、また天使と人間が交流する時代が来ると解釈する人もいます。

 

 

そして、聖書では、天使は子どもたちと交流していると教えています。

 

イエスは一人の子どもを呼び寄せて、弟子たちにこのように忠告されました。

 

「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。

 

言っておくが、彼らの天使たちは天で、いつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。マタイ18:10」

 

つまり、子どもたちと天使は交流があるのです。

 

私自身は独身ですが、児童養護施設で小学生の子の音楽と絵画教室を開催していた時、幼児さんたちが慕って来たので、幼児さんたちも参加するようになりました。

 

その幼児さんたちを肩車してあげると、ある幼児さんは愛しそうに、こちらの髪をずっとなでてくれるのです。

 

その小さな手、ぬくもりは、まるで天使のように感じました。

 

子どもたちと一緒にいる時は、天使も共にいるのです。

 

その子どもたちの一人にでも「つまずき」を与える者は、地獄に行くと、イエスさまは弟子たちに教えられました。(マタイ18:1~9)

 

まして性的いたずらや性的虐待するなど、「獣」以下です。そのような恐ろしい罪を行なっていながら、「私はクリスチャンだ」と信仰生活を平然と行っているのは、悪魔から出た者と言えるでしょう。

 

牧師でも、イエス・キリストを信じていると言っているクリスチャンでも、子どもの一人にでも不自然な肉の欲の満足を求めて性的虐待する者は、地獄の火の中に投げ込まれるのです。

 

それが主イエス・キリストが教えられていることです。

 

 

世の中の人たちでも同じです。

天使と共にいる子どもたちの一人にでも、性的虐待する者は、ソドムとゴモラと同じです。

 

子ども、未成年の少年・少女たちに対して、みだらな行ないにふけり、不自然な肉の欲の満足を追い求めるような者は、永遠の火の刑罰を受けるのです。

 

世の中では懲役数年~20年とかです。

 

福音派の教会では、発覚すれば、謹慎期間があったり、他へ移って終わりです。

悔い改めれば赦したり、拍手喝采します。

 

だけど、聖書を読めば、主イエス・キリストは、イエス・キリストを信じている者に対して、この小さい者たちの一人にでもつまずきを与える者は、永遠の火の刑罰を受けるのです。と明確に教えているのです。

 

そして、世の中の人々に対しても、天使と共にいる子どもの一人に対して、みだらな行ないにふけり、不自然な肉の欲の満足を追い求めれば、永遠の火の刑罰を受けると明確に教えられているのです。

 

 

性的虐待を受けた子どもたちは、大きな傷を受け、大人になって、オーバードーズ(精神的な苦痛から逃れようと大量に薬を摂取すること)によって自殺を図り、救急車で運ばれる人は少なくないのです。

 

神さまは、そのような被害者が起こされないように、小さな子どもたちが守られるように、最大限に警告されているのです。

 

そして、もし被害にあってしまい、神さまなんか信じられないという思いで生涯を閉じたとしても、貧乏人ラザロのように、天国に行って、慰められるのです。

 

前の記事で書きましたが、貧乏人ラザロは神さまを信じないで、金持ちにより頼んで死にました。

 

その教えは、多くのノンクリスチャン(未信者)の方々も共感できる教えだと思います。

 

子どもたちを最大限に守っていきましょう。

 

それを、多くのキリスト教会では、曲解して教えているのが現実です。

 

 

個人的にこれから、どんどんと正しい聖書の教えを広げていきたいです。

 

既成のキリスト教会では無理ですが、無教会主義キリスト教だから出来ることです。

 

そして、無教会主義キリスト教のクリスチャンの中村哲先生、内村鑑三先生、サザエさんの著者の長谷川町子先生、矢内原忠雄先生の教えに感謝しています。