「キリスト教の教会とは何か?間違っている教会と異邦人の教会」について
アクセス解析を見ると、最近の記事が大反響でびっくりしましたが、それだけ使徒や牧師について知ることは重要な優先事項だということがわかりました。
関連して「教会」について知ることも重要な優先事項なので、聖書から調べてみました。
聖書に書かれているのは「異邦人への使徒」はパウロだけです。
「ペテロに御業をなして、割礼を受けた者への使徒となさった方が、私(パウロ)にも御業をなして、異邦人への使徒としてくださったのです。ガラテヤ2:8」
使徒パウロが異邦人の国へ伝道旅行をして、そこでキリスト教会が誕生して、それぞれの教会へ手紙を送っています。
まずローマ(現在のイタリア)人への手紙では、「使徒として召されたキリストのしもべパウロが、ローマにいるすべての神に愛されている人々、召された聖徒たちへ」という見出しで、「兄弟たち」と何度も言っています。
使徒パウロはローマの教会に行くのを何度も妨げられて、なかなか行けませんでした。
そこでパウロは「ケンクレヤにある教会の執事で、私たちの姉妹であるフィベを、あなた方に推薦します。
主にあってこの人を歓迎し、どんな事でも助けてあげてください。」と言っています。
つまり、ローマの教会は聖徒(兄弟・姉妹)だけのようで、執事が派遣されたようです。
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次にコリント(現在のギリシャ)にある神の教会を見てみます
兄弟たちはめいめいに「私はパウロにつく」「私はアポロ」「私はケパ(ペテロ)に」「私はキリストにつく」と言っていました。
アポロは「兄弟アポロのことですが、」と言われているので、兄弟の中のリーダー的存在のようです。
「テモテがそちらに行ったら、あなた方のところで心配なく過ごせるように心を配ってください。第一コリント16:10」とあるので、
つまり、コリントの教会は、アポロやテモテなど、使徒パウロが認めた兄弟の中の信仰者が派遣されていましたが、聖徒(兄弟・姉妹)たちだけの教会だったようです。
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次にガラテヤ(現在のトルコ共和国)の諸教会への手紙を見てみます。
何度も「兄弟たちよ。」と言われていますが、他に執事とか、出てこないので、兄弟たちだけの教会のようです。
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次にエペソ人への手紙を見てみます。
ここでは「キリストは教会のかしらで、夫が妻のかしらである」
「主にあって愛する兄弟であり、忠実な奉仕者であるテキコが、一部始終を知らせるでしょう」
つまり、エペソの教会は、兄弟・姉妹だけのようであり、妻は夫に従い、忠実な奉仕者の兄弟テキコが遣わされています。
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次にピリピ人への手紙を見てみます。
「キリスト・イエスのしもべであるパウロとテモテから、ピリピにいるキリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、また監督と執事たちへ」
「早くテモテをあなた方のところに送りたいと、主イエスにあって望んでいます。」
つまり、ピリピ人の教会は、監督と執事がいて、兄弟テモテが遣わされます。
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次にコロサイ人への手紙を見てみます。
「私がテキコをあなた方のもとに送るのは、あなた方が私たちの様子を知り、彼によって心に励ましを受けるためにほかなりません。」
つまり、コロサイ人の教会は兄弟・姉妹だけのようで、兄弟テキコが遣わされます。
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次にテサロニケ人への手紙を見てみます。
「神の同労者であるテモテを遣わしたのです。それは、あなた方の信仰について、あなた方を強く励まし、このような苦難の中にあっても動揺する者が一人もないようにするためでした。」
「兄弟たちよ。あなた方にお願いします。あなた方の間で労苦し、主にあってあなた方を指導し、訓戒している人々を認めなさい。」
つまりテサロニケ人の教会は、兄弟テモテが遣わされる時があり、兄弟・姉妹の中で、主にあって労苦して指導・訓戒してくださる人々がいる教会です。
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次にへブル人への手紙を見てみます。
「兄弟テモテが釈放されて、あなた方に会えるでしょう。」
「すべてのあなた方の指導者たち、また、すべての聖徒たちによろしく言ってください。」
つまり、兄弟テモテが遣わされる時があり、指導する人々がいる教会です。
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次に神のしもべヤコブが、国外に散っている十二部族へのあいさつの手紙を見てみます。
「私の兄弟たち。多くの者が教師になってはいけません。
ご承知のように、私たち教師は、格別厳しいさばきを受けるのです。
私たちは皆、多くの点で失敗をするものです。
舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲヘナの火(火の池)によって焼かれます。」
「あなた方のうちに病気の人がいますか、その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブオイルを塗って祈ってもらいなさい。」
つまり、多くの者が教師になることを禁じています。
もしも、舌(言葉)によって失敗すれば、からだ全体を汚し、ゲヘナ(火の池)で焼かれるからです。
そして、長老がいます。
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次にヨハネの黙示録を見てみます。
7つの教会(現在のトルコのアナトリア半島)へのことば
エペソの教会へのことば
「使徒と自称しているが、実はそうではない者たちを試して、その偽りを見抜いたことを知っている」
つまり、教会に「使徒」と自称する不届き者たちがいるということです。
スミルナの教会へのことば
「スミルナにある教会の御使いに書き送れ」
つまり、教会に御使いがいるようです。
ペルガモの教会のことば
「そこにはサタンの王座がある」
「バラムの教えに奉じている人々がいる」
テアテラの教会のことば
「イザベルという女をなすがままにしている」
このヨハネの黙示録の7つの教会については「教会の御使いたちに書き送れ」となっていて、ここでの主旨の知りたいことが書かれていないので、後は省略します。
ちなみにヨハネの黙示録の著者は21:14などの言い方などから「使徒ヨハネ」ではなく、著者不詳と解釈する教会が多いです。
(福音派の教会では、使徒ヨハネだと教える牧師が多いように思いました。)
ルターやカルバンも使徒ヨハネが書いたとは思っていないようで、重要視していないそうです。
※
こうして異邦人の教会を見てみましたが、まとめますと、異邦人の教会の使徒はパウロだけであり、基本的に不在である。
兄弟・姉妹たちだけの教会で、時々、使徒パウロが認める兄弟が遣わされて来た。
また、兄弟・姉妹の中で、監督や執事、長老、教師に任命された人がいる教会もあり、
教師になる人は少ない。
兄弟・姉妹の中で、指導し訓戒している人々がいる。
これが聖書が教えている異邦人の教会になるでしょう。
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さて、現在の教会はどうでしょう。
無教会の矢内原忠雄先生は「平信徒=兄弟」の立場で教えていますが、それは聖書で教えている異邦人の教会と同じでした。
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それから、異邦人の教会には「使徒パウロ」は不在が当たり前のことでした。
「使徒」は特別な存在です。
現在に使徒はいない。使徒という立場にいる人もいないという認識が正しいと思われます。
使徒に近い立場として、食卓に仕える御霊と知恵に満ちた評判の良い7人は、使徒たちの按手を受けて特別な存在になりました。(使徒6:2~6)
その7人の中のステパノとピリポは素晴らしい不思議なわざとしるしを行なっていました。(使徒6:8&8:6)
そのステパノが殺されてから、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者は皆、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされました。(使徒8:1)
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どうして使徒たちだけが残ったかといえば、その前に大祭司とその仲間たちが妬みに燃えて立ち上がり、使徒たちを捕らえ、留置場に入れたが、
主の御使いが牢の戸を開き、無事に逃がしました。
そこで宮の守衛長や祭司長たちが驚いて、当惑しました。
それから、守衛長は役人たちと、使徒たちを連れて来ましたが、手荒なことはしなかった。
人々に石で打ち殺されるのを怖れたからである。(使徒5:17~26)
そのような出来事があったので、使徒たちに手を出すのは慎重にならざるを得ず、教会の聖徒(兄弟・姉妹)の家々に入って、捕らえて牢に入れたからです。(使徒8:3)
ですから、使徒たち以外は皆、逃げる必要がありましたが、使徒たちは超特別な存在であったのです。
その聖書に書かれてある使徒たちは皆、召天しました。
現在は、使徒は不在であり、キリスト教会は使徒や使徒の立場となる存在は不在ですが、それで良いと思いました。
そして兄弟・姉妹の中から、監督、執事、長老がいて、主にあって指導・訓戒する兄弟・姉妹を認めてください。と教えられます。
「認めてください」ということは、認められる人であるか吟味されるということです。
不祥事を起こせば、直ちに降ろされます。
なによりも、イエス・キリストが教会のかしらです。コロサイ1:18ということが堅く掲げられています。
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なので、まるで使徒か教師のように権威を持った指導者が主権を持っている教会は、非聖書的だと言えるでしょう。
また、多くの教師がいるのも非聖書的です。
「私の兄弟たち、多くの者が教師になってはいけません」と命じられているからです。
このように、聖書を論理的に考えて見ていけば、理解できると思いました。