聖書が教える指導者(使徒)と、現在の教会の牧師と、無教会の教師について | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

「聖書が教える教会の指導者(使徒)と現在の牧師」について

 

聖書に書かれている「使徒」の条件は、まず、主イエス・キリスト御自身の選びがありました。

 

そして、イエスは「まことに、あなた方に告げます。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者で、後で永遠の命を受けない者はありません。」と言われました。

 

12弟子は、イエス様が命じられた通りに、すべてを捨てて、イエス様に聞き従いました。

 

ペテロとアンデレは漁師で網と舟を持っていました。

 

また、ペテロには妻子がありました。

ペテロの家は繁華街の中にあり、そこそこの暮らしをしていたと解釈されています。

 

それから、ヤコブとヨハネは、零細規模の漁家ではなく、父セベダイと一緒に雇い人たちもいる漁業企業体を共同経営していました。

なので、成功者で、良い暮らしをしていたと解釈されています。

 

12弟子は、妻子、家、会社、職、両親を捨てて、イエス・キリストに聞き従いました。

 

 

その後、初代教会が誕生して、イスカリオテのユダを除く11人は使徒となりました。

 

当時のヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、ヤコブを剣で殺しました。それがユダヤ人の気に入ったのを見て、次にペテロをも捕らえにかかったのです。

 

そして、ペテロは捕らえられ、牢に閉じ込められました。

間違いなくヤコブのように殺されます。

 

ところが、ペテロは牢の中で平然と寝ていたのです。

そこに天使が現われて、牢の中から救い出しました。

 

 

驚くのは、使徒たちの信仰です。

 

妻、子供、家、会社、仕事、両親、すべてを捨ててイエス・キリストに聞き従いました。

 

そして、国の王と国民から命を狙われる状況になっても、命を捨てる覚悟で、イエス・キリストに聞き従うという信仰だったのです。

これが、聖書が教える「使徒」たちです。

 

自分が「使徒」になるのは、到底無理だと思いました。

 

現在、独身ですが、ペテロのように妻子と一緒に暮らしていれば、その生活を捨てることは無理です。

まして、妻子を捨てるのは到底無理です。

 

ヤコブとヨハネのように、企業体を成し遂げていれば、それを捨てるのも無理です。

現在、音楽制作と障害者就労支援事業所の仕事をしていますが、それを捨てるということは無理です。

その仕事で神の栄光を現わされることが、神の御計画だと信じています。

そういう人たちも必要です。

 

また、国の王と国民から命を狙われるなんて、「そんなの聞いてないよ~」と逃げ出すでしょう。

 

ですから、自分には「使徒」になるのは無理なのですから、イエスさまも選びません。

まして不純な動機では、イエスさまが認める使徒には絶対になれないと思いました。

 

 

さて、現在のプロテスタントの福音派の教会では、「牧師」が「使徒」の立場になると教えています。

 

牧師(使徒)になるためには、個人的にイエスさまからの使命があり、福音派が認める「神学校」に入学して、卒業すれば「資格」が得られます。

 

そして、教会で使徒リーダーや伝道師となって、実績を積み、教会の牧師に認められれば「牧師(使徒)」になれるのです。

 

現在は牧師が不足していて、約1000は、無牧師教会なので、神学校や大学の神学部を卒業して、それなりの評価を得れば、けっこう早く牧師(使徒)になる人たちもいます。

 

 

「神学校」に入学すれば、授業料を全額納めて、2年~4年間、真面目に授業に出席して、勉強し続ければ、全員が卒業できるイメージを持っています。

 

私の福音派の教会の友人や知り合いが何人も神学校に入学して、全員が卒業して「牧師(使徒)」の資格を持っているからです。

 

中には、女性にもてないので、牧師になれば女性にもてるとか、牧師になれば「先生」と言われて、一目置かれる存在になりたいからとか、不純な動機があると思われる人も多いのですが、不純な動機パワーで頑張って、無事に卒業して、資格をゲットしているのです。

 

一応、神学校に入学するには、牧師の許可がいります。

 

ですが、教会では、元ヤクザや元チンピラなど、問題児と思われる人でも「イエスさまを信じて変わった」ということから、「神学校」を希望する人が多いように思います。

 

そして、問題児と思える人が「牧師」を目指すというビジョンを持つと、教会の牧師や信徒たちは喜んで応援してあげる教会が多いとも思いました。

 

 

私自身の経験では、行く先々の教会で、神学校を在学中や卒業した信徒リーダーや伝道師、牧師の不祥事が目に余りました。

 

私はいくつもの福音派の教会に行ったのですが、そこでは美人や可愛い女性(姉妹)が必ずいました。

 

その女性(姉妹)は、神学校を卒業した牧師、伝道師、信徒リーダーのいずれかのターゲットになっていて、助けを求められるケースも少なくありません。

 

また、牧師を目指したり、神学校を卒業した人は、教会で一目置かれる存在になるので、特に女子中・高・大学生は安心して相談しているうちに、不適切な関係にもちこまれそうになったというケースも少なくありません。

 

 

元ヤクザで牧師をやっていた人が、ある福音派の教会に来て、路傍伝道を提案して、先頭に立って、毎週熱心に路傍伝道が始まりました。

 

教会のリーダー的姉妹たちは「素敵~」と、元ヤクザで牧師をやっていた人を尊敬して慕うようになりました。

 

すると、次々に姉妹たちをホテルに連れ込む事件が発覚したのです。

 

後で二人きりになって、事情聴取をすると、「教会の子は可愛いでしょう。俺は元ヤクザやから、女を無理やり抱くのが当然の世界だった。だからついキスして、いけると思ったから、それからホテルに連れ込んだ。けっこう喜んでいたで」と言いました。

 

ですが、ホテルに連れ込まれた姉妹は、かなり落ち込んでいました。

 

好きでもない、外見も不細工な男と寝て、イエスさまや教会の牧師や信徒たちを裏切り、教会に行けなくなりました。

 

他にも、神学校を卒業した連中が、それと同じような事件を起こしたことをよく見聞きしています。

 

また、元チンピラの男性クリスチャンが「神学校に行って牧師になる」と言うビジョンを語り、そのビジョンに教会の姉妹たちが応援しているうちに惹かれるように、次々に牧師を目指す元チンピラの誘惑に姉妹たちがのるようになり、好色・姦淫へ導いた事件が発覚した教会もあります。

 

私が牧師を目指す元チンピラを事情聴取をすると、

 

「コラ!俺は元チンピラやぞ、姉妹と二人きりになったら、抱きしめてあげるのが礼儀や!イエスさまも上着を脱いだら下着も脱ぎなさいって、教えてるやろ!そのイエスさまの言う通りにして何が悪いんじゃ!お前は聖書の教えを知らんのか!」と激怒して殴りかかって来ました。

 

私はブルース・リーに憧れて格闘技を習得していたので、ひょいとよけました。

それ以後は礼拝後「お前、殺したる!」という怒号が教会で響き渡りました。

 

 

私は、そういう神学校を卒業したり、牧師を目指している奴らの好色・姦淫の手口を察知して、いつも邪魔をするので、敵意まるだしで嫌われていました。

 

ところが、発覚しない限りは、教会では平信徒より、神学校を卒業したり、牧師を目指す人たちの方が信頼されるのです。

 

それ以外にも、神学校を卒業した牧師、伝道師、信徒リーダーたちの「えこひいき」する。「金・不正」の問題などが多々ありました。

 

それで、福音派の教会を転々とするはめになったのです。

 

 

SNSを見ても「教会・牧師の不祥事問題」に着手している牧師たちのホームページには、教会・牧師の不祥事であふれています。

 

ですので、不祥事を起こしている神学校を卒業した牧師や牧師を目指す人たちは、想像以上に多いという印象があります。

問題児、元ヤクザ、元チンピラで牧師になった人でも不祥事を起こしていない人たちもいると思います。

 

ですが、不祥事を経験すれば、警戒せずにいられなくなるのです。

 

 

ですから、聖書の「使徒」たちと、現在のプロテスタント福音派の教会の「牧師(使徒)」は、まるで違う印象があります。

 

聖書の使徒たちには、自分には到底なれないと思いましたが、現在の福音派の教会の牧師(使徒)にはなれる自信があるからです。

 

使徒たちのように、すべてを捨てなくてもいいし、すべてを持ったままでもいいからです。

 

そして、今では通信という手段もあり、「いつでも、どこでも、誰でも神学校に入れます」と言われる時代になりました。

 

「神学校」では福音派の神学に基づく新約・旧約聖書学、牧会学、牧会カウンセリング学、キリスト教史、神学概論、教義学、ギリシャ語・ヘブライ語聖書学、人間学を授業で学び、祈りや伝道の実践があります。

 

それらを学び、一生懸命に覚えて、たゆまず祈り、神学生と協力し合っていれば卒業できます。

 

 

また、福音派の神学は非常に楽で簡単です。

「聖書にこう書いてある」というのを字義通りに信じればいいからです。

 

前回記事では、4福音書について、旧約聖書に預言されているメシア(救世主)がイスラエルに来ることを確信して信じて待ち望んでいるイスラエルの民に対して教えられている事として読めば論理的に理解が出来ると書きました。

 

そこから、異邦人である日本人に対して聖書全体から教えていけば、奥が深くなります。

 

しかし、福音派の神学では、そういう読み方をせず、イスラエルの民も日本の民も関係ない、まったく同じである。

 

ただ聖書に書いてある通りのことを信じる。という教えです。

 

例えば、イエス・キリストの来臨前は、サタン(竜)と二匹の獣が支配する世界となる。と黙示録に書いてある。

 

その大患難時代の前に本当のクリスチャンは携挙されることが第二テサロニケに書いてある。というように、ただ聖書に書かれてあることを字義通りに信じるのです。

 

ですが、聖書を読めば、イエスさまが教える来臨前は、イエスさまの御父に祝福されて永遠の命を与えられる羊たちも、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火に入る山羊たちも、嫁いだり、食べたり飲んだり、家を建てたりして、平和に暮らしていました。

 

イエスさまの来臨の時のことが、第二テサロニケで教えられていることだと理解が出来ます。

 

なので、イエスさま御自身と黙示録が教えている来臨の時とは矛盾していますが、福音派の神学では矛盾しているとか論理的に考えるとか関係ない。

 

ただ聖書に書かれている聖書箇所を信じこむだけでいいのです。

 

 

また、イエスさまが教える地獄行きについても、誰に対して教えているかといえば、弟子たち、イエスさまにつき従って来た群衆に教えています。

 

なので、論理的に考えれば「御子を信じる者は永遠の命を得て、信じない者はすでにさばかれている」という聖書箇所などによって「イエス・キリストを信じる者は天国、信じない者は地獄行き」と教えることは矛盾しています。

 

ですから、福音派の教会の牧師の秘訣は、聖書を論理的に考えさせない。矛盾していると思わせない。

 

とにかく、福音派の神学で信じ込ませることが求められます。

「聖書にこう書いてある」

「聖書はすべて、神の霊感によるものです。」

 

イエス・キリストを信じない者は神の御怒り・さばき・滅び・地獄行きと思わせる聖書箇所だけを寄せ集めて、信じ込ませます。

 

その上で「イエスさま御自身が地獄行きについて多く教えているのです。」と教えれば、地獄についての聖書箇所はすべてノンクリスチャン(未信者)が地獄へ行くと教えていると思い込ませるというテクニックで、そういう矛盾を吹き飛ばします。

 

そういうテクニックを身に着ければ、福音派の教会の牧師の受けがよくなります。

カリスマと言われる福音派の教会の牧師たちは、そういうテクニックに長けていると思います。

 

 

無教会の場合、教える立場の先生は「使徒」ではなく「教師」の立場になると思いました。

 

聖書の「使徒」は妻、子供、家、会社、仕事、両親、命、すべてを捨てて、キリストに従う。

国の王と国民から命を狙われても、捕らえられても、イエス・キリストに聞き従うという信仰でした。

 

無教会の内村鑑三先生の場合、天皇陛下を崇拝しなかったという「不敬事件」で、「非国民」になったことが日本中に広まり、教師という職も、教会も、家族以外のすべてを失いました。

 

その後、娘さんを亡くされました。

 

ですが、すべてを捨ててという信仰ではなかったようです。

無教会の先生は神学校に行きませんし、神学校を否定するような言動が多いです。

 

 

個人的には、経験上、「教師」という立場で教えてくださる無教会の先生たちに共鳴していますが、福音派の神学、福音派の教会に賛同していて、福音派の教会が合っている人たちも大勢います。

 

しかし、個人的に、聖書の「使徒」になる条件と、現在の福音派の教会の「牧師(使徒)」になる条件とは、まるで異なってくると解釈しています。

 

中には、聖書が教える使徒に近い牧師がいるかも知れませんが。

そういう牧師とは未だに会ったことがないからでしょう。