「キリスト教」福音派と無教会の決定的な違い 子供たちの救い
金子みちひと|牧師・参議院全国比例区支部長
@kanekomichihito
日本中の教会が子供たちを何とか守りたい、育てたい、支えたいと今祈って動き始めています。 日本中の8000の教会が5人ずつ子供たちを受け入れれば4万人。つまり施設に入る子供がゼロになるんです。日本の社会も喜ぶことだと思います。
午後6:13 · 2022年6月26日·Twitter for iPhone
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つまり、維新の会の議員の金子牧師は、日本中にある約8000の福音派の教会が、児童養護施設の子供を5人受け入れることを勧めています。
この件について個人的には経験上において賛同できないことを、無教会の立場から伝えたいと思います。
以前、仏教が運営する児童養護施設に、12月のクリスマスのイベントで「コンサート」を開催した時です。
翌年の3月に卒園する高校3年の男子が「まだ就職先が決まっていません。音楽の会社で働きたいんです。助けてください!」と嘆願して来ました。
こちらはまだ音楽制作会社を準備中だったのですが、信仰によって助けることにしました。
それから韓国の牧師が運営する音楽制作会社の働きを手伝うことになり、その男子を受け入れることが出来たのです。
また、見ず知らずの人から毎月「10万円」が定期的に郵送されて来たのです。
後から判明したのですが、私の音楽制作を通して、孤児や難病で苦しむ子供たちのための働きを知った人からでした。
「子供たちを助けるために寄付します」と一行の手紙が同封されていました。
それで、その男子の家賃と食事代、光熱費が払えることになりました。
それが「神からのしるし」だと確信して、神に感謝したのです。
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その男子を教会の近くのハイツに住ませて、教会と教会のクリスチャンも協力してくださいました。
また、他のいくつもの教会と牧師も協力してくださったのです。
ところが、数か月過ぎると、音楽制作の仕事と寄付金がストップしたのです。
こちらは断食して、自分の食事をその男子に与え続けました。また、毎日、教会で熱心に何時間も祈り続けました。
これ以上は無理だと限界に来た時に、その男子は「これ以上は迷惑をかけることが出来ない」と出て行ったのです。
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このような体験から、一人の子供を受け入れるのは、神からの使命でなければならないと痛感したのです。
自分自身はマザーテレサの影響で、いつかは助けが必要な、親から捨てられた子供を受け入れてみたいという願いがありました。
それで、導きがあって、神からのしるしがあり、一人の男子を受け入れました。
その男子とよく話をしました。
彼は5歳の時、3歳の妹と共に、親から捨てられて、仏教が運営する児童養護施設に入れられました。
初日に風呂に入っている時、頭を洗っていると、生温いものがたくさん頭にかかってくるので、見上げると、中学生と高校生たちが小便を頭にかけていたのです。
恐ろしくて恐ろしくて、施設を脱走したと言います。
イジメは日常茶飯事でした。無理やりAVを見せられ、気持ちが悪くなり、トイレでゲーゲーあげていたといいます。
夜、寝ていると襲われたといいます。
その男子は、先生たちからのしつけも、虐待だと思うことがありました。
先生のストレス発散として「思い切り耳を引っ張られて、引きずり回された」など、苦々しい思い出が多かったのです。
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5歳から18歳まで、地獄のように思える日が多かった子が、イエス・キリストの元に来ることが出来たのです。
「これまで食い尽くされた年月を、神はこれから償ってくださるという御言葉が実現していくよ!」という信仰と希望と愛でいっぱいでした。
初めの数か月は休むことができて、その男子も感謝していたと思います。
ですが、その後が、どうして神は、そのまますべてを満たしてくださらなかったのか?その答えがわからずにいました。
けれど、今はわかります。
その男子も自分自身も「福音派」の教会が合っていなかったのです。
福音派は「善悪」をはっきり決めます。
その男子は長年、仏教で育てられていたので、イエス・キリストの元に来たからには、その「偶像崇拝」を断ち切らないといけない。そして、その悪霊を追い出すための祈りもしていました。
ある牧師が、口の中に手を入れたこともありました。
「イエス・キリストを信じれば永遠の命が与えられ、信じなければ神の怒りがその上にとどまっている」という教えも、その男子は毛嫌いしていました。
「僕は骨の髄まで仏教なんです」と言って抵抗していました。
その仏教が運営する児童養護施設で、いじめられ、虐待を受けているように感じたことがあっても、大好きな先生がいて、大好きな妹がいる場所であり、13年間もお世話になった施設に愛着があるのです。
その仏教を「偶像崇拝」と言って憎んでいるキリスト教(福音派)は、とても受け入れることが出来なかったようです。
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また、教会とクリスチャンの支援協力も、限定されていました。
「どうして、この男子の面倒を教会が見なければならないのだろう?」という雰囲気もありました。
そのような場所では、聖霊の風はどこかへ行ってしまうのでした。
その助けを求めている子供を、教会が助けるということで一致しなければなりません。
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そして、これが0歳~3歳の赤ちゃんであれば、四六時中の面倒を教会が見れるのか?
それから、親から見捨てられた子は、初め「試し行動」をする子が多いのです。
わざと、そこら辺に小便をしたり、飲み物をまき散らしたり、部屋中を汚したりします。
それが数か月も続く子もいます。
その時、叱ったりしてはダメです。愛は忍耐忍耐また忍耐、愛は寛容寛容また寛容です。
そのお試しで、信頼できると思ったら、こんどは愛に飢えて「甘え行動」をしてずっと密着して来ます。
それも、愛は忍耐忍耐また忍耐、愛は寛容寛容また寛容です。
その後も紆余曲折あり、試練の日々が続くのです。
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また、いたずらや性的虐待のことも考えなければなりません。
経験上、悲しいことに、教会の中にそういう事をする人がいると思っていたほうがいいからです。(すべての教会ではありませんが)
自分の経験では、ある教会の礼拝後、隣の物置で、長椅子のところで6歳の女の子の背後に座った兄弟が、下腹部を女の子のおしりに密着させて腰をゆるやかに動かしていたのを目撃したことがあります。
また、ある教会では、ある兄弟が小学6年生の男の子を教会の中に連れ込んで、性行為をしました。
また、ある教会では、…もう気分が悪くなったので、これ以上は書きませんが、そういう話が現実には少なくはないと思います。
親から見捨てられたり、虐待された子供たちは、ターゲットになりやすい。
性的虐待された子は、特にそうです。他に行く場所はないし、大人は信じられないので、被害を受け続けてしまいます。
いずれも福音派の教会の中での話です。
ですから、福音派の教会の金子牧師が、約8000の福音派の教会が、施設に入っている子供を受け入れることを勧めていても、個人的には反対の立場です。
最も良い方法は、マザーテレサや石井十次氏、石井亮一氏、留岡幸助牧師のように、神さまからの使命によって、神さまが選ばれた器を通して、神さまが育まれる施設が増えることだと思います。
最後に、聖書の御言葉から、子供たちの救いを思って作った曲です。