なぜ日本にキリスト教が広がらないのか?⑭ キリストの再臨とヨハネの黙示録 | ルーク4のブログ

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〈後編〉   主イエス・キリストの再臨される時の世界について

 

まず、ヨハネの黙示録に書かれている主イエスの再臨前後の出来事の要点をまとめます。

 

天で戦いが起こり、巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれる者は地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。(黙示録12:9)

 

獣が海の中から上って来て、42カ月(3年半)の間、活動する権威が与えられた。(黙示録13:5)

 

獣は聖なる者たちと戦って、勝つことが許された。

また、あらゆる国民を支配する権威が与えられた。(黙示録13章7)

 

地上に住む者で、天地創造の時から、ほふられた小羊の命の書にその名が記されていない者たちは皆、天使たちの大声の警告があっても、この獣を拝んだゆえに、最後の審判で、火の池に投げ込まれます。(黙示録13章8,14章9~10、17章8,20章15)

 

獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。また、すべての者に、その右手か額に刻印を押させた。

この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることも出来ないようにした。この刻印とは獣の名、その名の数字で666である。(黙示録13章15~18)

 

 

そして、天が開かれるのを見た。頭には多くの王冠があった方が、白い馬に乗って現れた。この方の口からは鋭い剣が出ていて、諸国の民を打倒す。

また鉄の杖で彼らを治める。(黙示録19章11~15)

 

獣と偽預言者の両者は捕らえられて、生きたまま火の池に投げ込まれた。(黙示録19章20)

この天使は、悪魔でもサタンでもある、年を経たあの蛇、つまり竜を取り押さえ、千年の間、縛って、底なしの淵に投げ入れ、封印した。(黙示録20章2,3)

 

イエスの証と神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。

彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。(黙示録20章4)

 

 

この千年が終わると、サタンはその牢から解放されて、ゴグとマゴグを惑わして、戦わせようとするが、天から火が下って、彼らを焼き尽くした。

そして悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた。(黙示録20章7)

最後の審判で、死もよみも火の池に投げ込まれた。その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。(黙示録20章14,15)

 

 

新しい天と地を見た。聖なる都エルサレムが天から下って来た。

その都には、小羊の命の書にその名が書いてある者だけが入れる。(黙示録21章10,27)

 

もはや、呪われるものは何一つない。神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。

彼らの額には、神の名が記されている。(黙示録22章3,4)

 

この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証する。

これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。

 

また、神は、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。(黙示録22章18,19)

 

 

これが、ヨハネの黙示録が教えている世の終わり、主イエスの再臨直前から再臨後の世界です。

 

イエスさまが再臨される日は、この地上で物を買ったり売ったりしている人たちは皆、獣の刻印を押されていて、その名が命の書に記されていない者たちです。

 

イエスの証と神の言葉を守る者は皆、首をはねられて殉教していますが、イエスさまの再臨によって、生き返り、イエスさまと共に千年の間統治します。

 

 

ところがぎっちょんちょん

 

聖書には、イエスさま御自身が教えられている再臨前後の御言葉があります。マタイ24章29~25章46にその全貌が詳しく書かれています。

 

「その時、人の子が大いなる力と栄光を帯びて、天の雲に乗って来るのを地上のすべての民族が見る。(マタイ24章30)

 

人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。

そして洪水が襲って来て、一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。

人の子が来る場合も、このようである。

 

その時、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。(マタイ24章36~41)

 

そこで天の国は次のようにたとえられる。

十人の乙女がそれぞれ灯火を持っていて、5人は愚かで油の用意をしていなかった。

賢い5人は灯火といっしょに壺に油を入れて持っていた。

油を用意していなかった乙女が油を買いに行っている間に、花婿が迎えに来て、戸が閉められた。(マタイ25章1~13)

 

 

人の子は、栄光に輝いて、天使たちを皆従えて来る時、その栄光の座に着く。

そして、すべての国の民がその前に集められると、羊を右に、山羊を左に置く。

王は右にいる人たちに言う「さあ、私の父に祝福された人たち、天地創造の時から、あなたたちのために用意されている国を受け継ぎなさい。

 

あなたたちは、わたしの兄弟である最も小さい者の一人が、飢えた時に食べさせ、渇いている時に飲ませ、旅をしている時に宿を貸し、裸の時に着せ、病気の時に見舞ってくれたからだ。

 

それから、左にいる人たちにも言う「呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその使いたちのために用意してある永遠の火に入れ!

 

お前たちはわたしが飢えた時に食べさせず、渇いた時に飲ませず、旅をしている時に宿を貸さず、裸の時に着せず、病気の時や牢にいた時に訪ねてくれなかったからだ。

 

こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人は永遠の命にあずかるのである。(マタイ25章31~46)

 

 

イエスさま御自身が教えられている、イエスさま再臨直前の状況は、イエスさまの父に祝福されて永遠の命にあずかる人たちも、呪われた者どもで永遠の火に入る人たちも、食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていました。

 

ルカ17章にはもう少し詳しく、人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていた。と書かれています。

 

そして人の子が現れる時に、その夜一つの寝室に二人の男が寝ていれば、一人は連れて行かれ、一人は残される。

ロトの時代にも同じようなことが起こった。ロトの妻のことを思い出しなさい。(ルカ17章28~35)

 

 

イエスさまの再臨の日は、ノアやロトの時代と同じく、人々が現在と同じように暮らしている時に突然来て、イエスの羊たちは連れて行かれ、山羊たちは残される。

 

これがパウロが言う空中に引き上げられて主と出会うことになるのでしょう。

 

そして、最後の審判で、最も小さい者たちを助けている正しい人たちは永遠の命にあずかり、

最も小さい者たちを助けなかった呪われた者どもは、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火に入ります。

 

このイエスさまが教えられている再臨前後のマタイ24章から25章の話は、ヨハネの黙示録が教えている再臨前後の話とはまるで違います。

まったく違う話になっています。

 

どちらの教えも正しいとすれば、こうなります。

 

マタイ24~25章が先で、黙示録が後の場合だとすれば

 

呪われた者である山羊どもは、永遠の火に入ったので、地上では、イエスさまの父に祝福された人たちが、永遠の命にあずかって、イエスさまの父の家に入っています。

 

それから、黙示録に書かれていることが始まるとすれば、またまたイエスさまは、天に上られなければ始まりません。

 

そして、獣と竜が地上にやって来て、支配し、獣の刻印を押します。押さない者たちは皆殺しです。

イエスさまの父に祝福されて、永遠の命にあずかった人たちに対する虐殺が始まるのです。

 

そして、イエスさまの父に祝福されて、イエスさまから永遠の命にあずかった人たちは首をはねられて殉教します。

 

しかし、イエスさまの再再臨の日、イエスさまが三度目の地上で現れて、生き返らせて千年の間統治します。という話になります。

 

 

また、その反対で、黙示録の話が先で、マタイ24~25の話が後になると、こうなります。

 

黙示録の最後は、呪われるものは何一つない世界となり、小羊の命の書にその名が記されている「神の僕たち」の額には神の名が記され、聖なる都で神を礼拝し、御顔を仰ぎ見ています。

 

ところが、またまたイエスさまは天に上ります。

 

そして、再再臨の日が来ます。イエスさまは、天使たちを皆、従えて三度目の現われになります。

 

それから、地上にいる小羊の命の書にその名が記されていて、額に神の名が記されていて、神を礼拝している者たちを、羊と山羊とに分けます。

 

そして、山羊の者たちに「呪われた者ども、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火に入れ!」と言い放ちます。

 

 

聖書にはこう書かれています。

「キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を捧げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。ヘブライ人への手紙9章28節」

 

キリストが現れるのは、二度だと教えられています。三度目になる再再臨のことは書かれていません。

 

ですので、黙示録で教えられているイエスさまの再臨前後の話と、マタイ24~25で、イエスさま御自身が教えられているイエスさまの再臨前後の話の両方が正しいとするのは、不可能に思います。

 

誰か、この両方のまるで違う「イエスさま再臨前後の話」を一つにまとめる事が出来る人がいれば、ぜひ教えて頂きたいですね。

 

 

ですから、どちらか一つを選択しても、イエスさまは良しとされるでしょう。

そして、自分自身は、イエスさまの再臨前後の話は、イエスさま御自身が教えられているマタイ24~25の教えを信じています。

 

 

ですので、再臨については、周りの人々、関わる人々には、こう教えます。

イエスさまが再臨される日は、人々は食べたり飲んだり、結婚したり、物を買ったり売ったり、植えたり建てたりしています。

 

賢い乙女のように、灯火といっしょに壺に油を入れて持っていましょう。油とは聖霊のことです。

イエスさまは求める者に聖霊をくださると教えています。

 

そして、ただイエスさまに従うことを考えていればいい。

ロトの妻のように、地上に未練があって振り返ってはいけないよ。

 

 

ですから、黙示録のイエスさまの再臨前後の話を信じる人たちは、獣と竜が支配する大患難時代のことを考えて、非常に恐れて、生活していきます。

 

けれど、イエスさま御自身が教えられているイエスさまの再臨前後の話を信じていれば、安心してください。

 

再臨の日まで、今と同じように、食べたり飲んだり、結婚したり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていますから。

 

 

ただ、マタイ24では、患難はあると教えられています。

 

ウクライナのように、ある日突然に戦争になったりする国があります。

 

日本ではこれから、関東大震災や南海トラフ巨大地震が恐れられています。

他の場所での地震もあります。

他にも毎年のように起きる信じられないほどの自然災害にも気をつけなければなりません。

 

他の国で、戦争が起きれば、いろいろな面で支障が出て来るでしょう。

 

偽預言者が大勢現れて、多くの人を惑わします。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えます。

 

 

イスラエルでは、憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つので、その時、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。

神が天地を造られた創造の初めから、今までなく今後もないほどの苦難が来ると教えられています。

 

ユダヤの人たちは、恐るべき苦難に備える必要がありますね。

しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われると教えられています。

 

 

聖書を読めば、イエスさまは弟子たちに「わたしは、平和をあなた方に残し、わたしの平安を与える。心を騒がせるな。おびえるな」と教えられます。

 

悪魔とその手下どもの策略は、聖書の箇所を悪用して、不安や怖れを植えつけることです。

 

イエスさまは、平和を残して、平安を与えられます。