現在、ロシアのウクライナに対する戦争行為によって、福音派の牧師たちの中で「エゼキエル戦争が始まった。いよいよ7年間の患難・大患難時代に突入する」というデマ、いや失敬、憶測が声高らかに発信されています。
エゼキエル戦争というのは、エゼキエル書38と39章に預言されていることで、イスラエルから見て北の果てにあるゴグが、イスラエルの地を襲うのです。そのゴグがロシアになるという解釈です。
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その聖書箇所を確認すれば、「メシャクとトバルの総首長ゴグよ。わたしはお前に立ち向かう。わたしはお前を立ち帰らせ、お前を導いて北の果てから連れ上がり、イスラエルの山々に来させる。
そして、お前とそのすべての軍隊も、共にいる民も、イスラエルの山の上で倒れる。
わたしはお前をあらゆる種類の猛禽と野の獣の餌食として与える。まことにわたしがこれを語った、と主なる神は言われる。エゼキエル書39章1~4」と書いているので、特に騒ぎ立てることはないでしょう。
もう一つは黙示録20章に書かれてあることで、千年王国の後で、サタンがゴグとマゴグを惑わして戦わせようとしますが、天から火が下って来て、彼らを焼き尽くしますので、ロシアの侵略とはまるで違う話であり、すぐに解決します。
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今のところ、福音派の中でも、今回のロシアの戦争行為がエゼキエル戦争になるかは半信半疑のような人が多いように思いますが、昔から福音派の教会(一部を除く)でよく聞かされる教えは、今は世の終わりの時です。
しかも、イエス様が十字架上で死なれてから2000年になる「2033年前後」に、イエス様の再臨があるような予感をしている福音派の牧師・伝道師・宣教師・預言者は少なくありません。
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福音派の教えでは、イエス様の再臨の前に患難時代が3年半、さらに大患難時代が3年半あり、合計7年間の患難・大患難時代があります。
それはマタイ24章3~22に書かれています。「預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら、読者は悟れ!ー」「その時には、世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。」
そして、その患難・大患難時代について詳しく書かれているのが黙示録だと教えます。
黙示録8章から、天使がラッパを吹くと、地上の三分の一が焼け、太陽と月と星という星の三分の一が損なわれます。大きな星が落ちて来て、多くの人たちが死にます。
他にも想像を絶する災いがふりかかります。
天で戦いが起こり、サタンが地上に投げ落とされ、獣と竜が地上にやって来て、3年半地上を支配します。
手か額に獣の数字666の刻印を押された者は、物を買ったり売ったりできますが、刻印のない者たちはできません。
獣の像を拝まない者たちは皆殺しになりました。
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この恐ろしすぎる患難・大患難時代に突入する前に、クリスチャンたちは救い出されます。
先に召天した(眠りについた)クリスチャンたちと一緒に、生き残っているクリスチャンたちが、空中に引き上げられて、イエス様と会い、いつまでもイエス様と共にいることになる(第一テサロニケ4章15~18)
これを「携挙」といいます。
そして、大患難時代が終われば、地上のサタン、獣、竜、悪ども、バビロンは絶滅されます。「見よ。主の日が来る。残忍な、怒りと憤りの日が、大地を荒廃させ、そこから罪人を根絶やしにする(イザヤ13章9)
「倒れた。大バビロンが倒れた。そこは悪霊どもの住みか、あらゆる汚れた霊の巣窟、黙示録18章2節」
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それから、イエス様は、患難・大患難時代の前に携挙されたクリスチャンと共に千年王国を統治します。
「彼らは神とキリストの司祭となって、千年の間、キリストと共に統治する。黙示録20章6節」
これが、福音派の教会(一部を除く)の真髄といってもいい教えです。
ですから、「携挙」は、終末期直前を生きるクリスチャンたちにとって、中核をなしている極めて重要な教えなのです。
論議されているのは、患難・大患難時代前か、大患難時代前かという事です。
いずれにせよ、黙示録が教えている獣と竜が支配する大患難時代には、神の御心にかなったクリスチャンたちは携挙されて、地上にはいないという事です。
福音派の教会の牧師たちの中で、よく耳にすることが、「携挙を教えない教会は信じられない」ということです。
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さて、福音派の教えは置いといて、
それでは、黙示録を調べてみましょう。
「神と小羊の大いなる日が来たからである。誰がそれに耐えられるであろうか。黙示録6:16」
「天使が、生ける神の刻印を持って、4人の天使に大声でこう言った「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。黙示録7章3」
「わたしは刻印を押された人々の数を聞いた。それは14万4千人で、イスラエルの子らの全部族から、1万二千人が刻印を押された。黙示録7章4」
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「地上に住む者で、天地創造の時から、ほふられた小羊の命の書にその名が記されていない者たちは皆、獣を拝むであろう。黙示録13章8」
「また、別の天使たちも続いて大声でこう言った。『誰でも、獣とその像を拝み、額や手にこの獣の刻印を受ける者があれば…神の怒りのぶどう酒を飲むことになり、天使たちと小羊の前で、火と硫黄で苦しめられることになる。黙示録14章9,10」
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「わたしはまた、イエスの証と神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。
この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。
彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。
その他の死者は、千年たつまで生き返らなかった。
これが第一の復活である。この者たちに対して、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。黙示録20章4~6節」
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黙示録を読めば、大患難時代の状況は、天使たちが神の僕たちの額に神の刻印を押されます。イスラエルの全部族14万4千人と数は決まっています。
そして、獣も像も拝まず、獣の刻印を押されなかった者たちは、首をはねられて殉教しますが、生き返って、キリストと共に千年の間、統治すると教えられているのです。
福音派の教えは、この重要な教えを取り去って、携挙されたクリスチャンたちがキリストと共に千年の間、統治すると付け加えているのです。
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福音派は「他の聖書箇所と総合的に考えて、黙示録のある箇所を取り去って、他の聖書箇所に入れ替えただけ。
また、黙示録のある箇所に他の聖書箇所を付け加えているのだから、まったく問題はない。すべて神の御言葉なんだから」と説明するでしょう。
ところがぎっちょんちょん
「この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証する。
これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。
また、この預言の書の言葉から、何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。黙示録22章18~19節」
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つまり、黙示録に書かれてあることをすり替えて教えると、非常に恐ろしいことになると明確に警告されているのです。
これはクリスチャンたちに対する警告です。
ほとんどのノンクリスチャン(未信者)は、聖書は読みません。
読んだとしても、その教えに付け加えたり、取り去ったりしないでしょう。
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キリストと共に千年の間、統治する者たちは、イエスの証と神の言葉のために首をはねられた者たちの魂で、獣もその像も拝まず、獣の刻印を押された者たちです。
その首をはねられた者たちが生き返って、キリストと共に千年の間、統治すると明確に教えられているのです。
それ以外の者が統治するとは書かれていません。
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また、福音派の教会の中で、黙示録の「その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。黙示録20章15節」この聖書箇所を、
「その名が命の書に記されていない者は、ノンクリスチャン(未信者)のことです。」などと付け加えて教えることがあります。
回復訳聖書には命の書にその名が書かれていない者たちのことについて、「未信者は主イエスを信じなかったので」と付け加えて説明しています。
前述した黙示録13章8節、17章8節には、天地創造の時からほふられた小羊の命の書にその名が記されていない者のことが書かれていますが、「主イエスを信じなかった者たち」とは書かれていません。
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クリスチャンのうち、誰が携挙されて、誰が大患難時代に残されるのかなど、その時になってみないとわからない事です。
しかし、確実に言えることは、黙示録に書かれていることに付け加えて教えている者たちは、黙示録に書かれてある災いが加えられます。
そして、黙示録に書かれているある箇所を取り去って、違う教えにすり替える者たちは、黙示録に書かれてある命の木と聖なる都から取り除かれるのです。
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だから、黙示録の著者ヨハネは最後に念を押して、この書物の預言を聞くすべての者に、この預言の書に付け加える者がいれば、この書物に書いてある災いをその者に加えられる。
この預言の書の言葉から何か取り去る者がいれば、命の木と聖なる都を取り除くと、警告しているのです。
ヨハネが「シカトかよぉぉぉぉぉぉ!!!」と絶叫することがないように、黙示録の災いを受けないように、命の木と聖なる都を取り除かれないように、
惑わされないように非常に気をつけないといけません。
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さて、では、キリストと共に千年の間、統治するには、大患難時代に生きて、首をはねられた者でなければならない。
「そんなのイヤだぁぁぁぁぁ!!!」という人たちに朗報があります。
日本在住であれば、大患難時代を体験することもないし、首もはねられないので、安心してください。
長くなったので、後半へつづく