「新しい時代への信仰」⑤ ウイルスと災害の大きな国難が来る前に | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

最近のニュースで、アメリカの研究発表で、新型コロナウイルスは突然変異によって、致死率30%のウイルスになることがあったと報道されて、職場の人が話題にしていました。

 

東京のほうでは連日50人超えで、「第二波か」と騒がれていますが、他の地域は感染者数もごくわずかなので、収束ムードのような感じがします。

 

しかし、これから突然変異して致死率がかなりアップしたウイルスが襲来した時に、関東大震災や南海トラフ巨大地震などの災害が起きるという最悪なことにも備える必要があると思う人は増えて来たと思います。

 

 

致死率が今回の数倍アップしたウイルスが襲来すれば、ロックダウンします。そこへ大震災が起きればどうなるか?

 

これまで大震災がどこかで起きても、被災地以外の全国の地域や全世界から救助や支援が出来ました。

 

それが脅威のウイルスから、家族、子供たちや自分自身を守るだけでも限界なのです。被災地の救助は困難な状況でしょう。

 

今回の新型コロナウイルス禍が襲来するまで、そのような事を考えることはありませんでしたが、備える必要がある状況になったと思います。

 

ウイルス感染で、最も危険な場所は、人が多い都会です。

人口密度が最も高い東京が、その事を証明しています。

また、大震災も都会が被害が大きいです。

 

 

聖書には「その時、ユダヤにいる人々は、山へ逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる者たちは都に入ってはいけません」と教えられています。

 

 

個人的には、不思議な神さまの導きで、昨年8月から、自然の山の中で開拓事業の仕事を準備しています。

 

ことの始まりは、2017年から2018年12月末まで、鑑別所や少年院を出所した少年たちを支援するNPO法人の理事長が友達の牧師で、その牧師に、苦しんでいる子供たちに福音を伝える「御言葉の歌」のCDを制作したので、コンサートを教会で開催することを依頼したことでした。

 

牧師は承諾して、コンサートを開催しました。

そこに鑑別所や少年院を出所した少年たちも来てくれたのです。

 

それで、そのNPO法人を手伝うことになりました。

しかし、少年たちは職場でのストレスや、町では職場の仕事が出来ることで存在価値が決まるので嫌気がさし辞めたりして、将来が不安になり、仲間の不良少年たちと遊ぶ(犯罪行為も含む)ことで発散させていました。

 

毎日の面談もぶっち(すっぽかす)しますし、窃盗・暴力事件やレイプ事件などに巻き込まれていました。

そして警察に逮捕・補導が何度もありました。

 

町(都会)では、更生は困難だと痛感しました。

しかし牧師はそうは思わないので、クビにされました。

 

 

事情を知らない少年たちから「見捨てるのか」と電話があったので、不良少年の父と呼ばれた「留岡幸助牧師」の著書を読んで学びました。

 

留岡牧師は「元来、人間は自然と一緒にいるべきなのに、自然を離れた状態の最も甚だしきものが、今日の都市生活というものだ。

 

不良少年の発生は、すなわち都市生活から来る一つの弊害たる現象に過ぎないのであるから、これを改良するには、その児童を自然の懐に入れて育ててあげることである。これが家庭学校の主張であり、恵の谷の開かれたゆえんである。」と主張されていました。

 

それで、留岡牧師の信仰にならって、神さまは自然の懐を用意してくださるはずだ。と祈っていますと、超自然な導きで、見ず知らずの和歌山県美浜町三尾地区日ノ岬にたどり着いたのです。

 

美浜町に唯一の教会も受け入れてくださって、月に一度、自然の山の中に行っています。

 

 

新型コロナウイルスが騒がれ出した時、町にいると不安ですが、自然の山の中にいる時は平安です。

 

留岡先生が主張されているように、元来、人間はアダムとイブのように自然と一緒にいるように造られたと思うようになりました。

 

しかし、町に自宅があり、仕事がありますので、その生活を続けながら、自然の山での開拓事業(死んだ地に命を与える仕事)が与えられることが、これからの時代には必要です。

 

コロナ疎開に平安と希望を見出した人々は少なくありません。

 

自然の山の中は過疎地で、死んだ地が多いのです。

 

留岡先生はそこを不良少年たちと開拓して、命を与えました。

その功績によって、家庭学校(少年たち)は、北海道開拓功労賞を受賞しました。

 

 

また、町に住んで働いていると、自然の山の中に行くことは、ほとんどありませんでした。

 

しかし、命を与える事業によって、自然の山の中に行くことが増えると、聖書を読んでも生きてきます。

 

なぜなら、聖書には、神さまが自然の山の中で大切なことを成される話がいくつもあるからです。

 

山上の垂訓。山上の変貌。復活されて「指示した山へ行きなさい」

 

ロトに山へ逃げなさい。アブラハムは「主の山に備えあり」と言いました。

 

 

これから、世の終わりは、「この地に大きな苦難が臨み」と預言されています。

 

しかし山へ逃げた人は助かります。

 

どこの山でもいいというわけではありません。

災害時は、土砂崩れで危険な場所もあり、ヒルやマムシ、蚊などが多い場所もあり、湧水が飲めない場所もあります。

 

また、そこで住む家を作り、自給自足できなければ、生活できません。

 

これから脅威のウイルスと災害の大きな国難が来る前に、ヨセフのように、備えて収穫の時代が必要です。

 

神さまは日本各地に、クリスチャンたちが立ち上がり、この世から見捨てられたような少年少女、障害者たちと共に、自然の山の中(死んだ過疎地)に命を与える開拓事業を始める必要があると思います。

 

聖書の「神さまは、荒野に道を作り、砂漠に大河を流される」良い働きです。