前回記事で紹介した、るちゃんのブログの中で、リアル(現実)ではなく、トゥルース(真理)が重要ということが、強く心に響いていました。
その理由が今朝、突然に示されました。
クリスチャンでも現実(リアル)を見て、物事を判断してしまいます。
現実(リアル)で判断すると、聖書に書かれている、盲人が見えるようになる、耳が聞こえない人は聞こえるようになるという事は現実に起きていないと思います。
しかし、そうではありませんでした。
自分自身が、初めてクリスチャンを知ったのは、スティービーワンダーでした。
スティービーワンダーは盲人で、クリスチャンミュージシャンと呼ばれていました。
盲人=暗闇の中に生きているのに、輝いて見えました。楽曲も前向きで希望にあふれているので、イエス・キリストを信じるクリスチャンって凄いな~と思いました。
♪ スティゴールド は輝き続けるという意味だそうです。
歌詞は、何も永遠に続くことなどない、太陽も必ず沈んでしまうんだ
でも、一筋の光だけが残って、とても輝いているんだって
この曲は映画アウトサイダーの主題歌で、SMAPの木村拓哉さんの超お気に入りです。
ドラマ「若者のすべて」でも使用されていて、感動的でした。
輝き続ける光はイエス・キリストという意味でしょう。
☆ そして、キリスト教には耳が聞こえず、話せないローアの方たちの「ローア・キリスト教会」がいくつもありました。自分自身も3つのローア教会に導かれて、約100人の信者さんと会いました。
ローアの信者さんたちは、落ち着いた、おだやかな雰囲気で、好感がもてました。
しかし、不可思議に思ったのは、スティービーワンダーにしろ、ローアの信者さんにしろ、なぜ何年も何十年も経つのに「盲人は見え、耳しいは聞こえ」という御言葉が成就しないのか?
彼らは信仰が薄いのか、それとも癒しを信じていないのかということでした。
※ そうではなかったのです!
聖書では、福音=神の御言葉を聞いて、イエス・キリストを信じる、信仰で生きる、癒しが起きる。
癒しとは、体の癒しというものだけではなく、神様との関係を意味していました。
イエス様の救いはイザヤ35章で書かれていました。
「その時、盲人が見えるようになり、ローア者は聞こえ、話すようになる。・・・」
※ この事は、イザヤ6章に書かれてある、それは彼らがその目で見ず、その耳で聞かず、心で悟らず、主に癒されることがないためである。」
イエス・キリストを信じる信仰によって、神様の福音が見え、聞こえるということだと思わされました。
当時の盲人は、罪人として捨てられ、一生を道端で物乞いして暮らすという悲惨な運命でした。
ローア者も足なえも悲惨な運命です。
ですから、体が癒される必要が不可欠だったのです。
神のあわれみによって、体の目も見えるようになり、耳も聞こえるようになり、足も歩けるようになりました。
現在では、捨てられて物乞いをすることがなく暮らせますので、神様の栄光を現わす方法は、
盲人のまま、ローア者のままでも、イエス・キリストを信じれば、魂が癒されて、愛、喜び、平安で満ちているという証によって、人々を救いに導かれています。
☆ クリスチャンの盲人の方、ローア者の方は全世界にたくさんいます!
体は癒されていないのに、イエス・キリストを信じて、生き生きされているって、凄い証です!
イエス様の教えは、まさに見えないことに真実(トゥルース)があるのです!
他の宗教やニューエイジなら、奇跡としるし、ご利益がある。体が癒されたから信じるのです。
まるでキリスト教と真逆の証ですね。
☆ たくさんの盲人の方やローア者の方、足なえの方、難病の方たちが、イエス・キリストを信じているのです!!!
まさに、イエス・キリストは昨日も今日も、いつまでも同じです!という証明です!!!
※ しかしながら、たくさんの奇跡としるしを重要視するならば、
「終わりの時代には、偽キリスト、偽預言者たちが現れて、たくさんの奇跡としるしで、選民を惑わします。」という御言葉の教えを思い起こす必要があるでしょう。
反キリストの登場は、リアル(現実)に、奇跡としるしを見させて、多くの民を信じさせると書かれています。
獣(反キリスト)が現れて、頭に死ぬほどの傷を受けたのに、致命的な傷は直った。そこで全地の民は驚き恐れて、その獣に従い、竜を拝むようになった。
「信仰とは、まだ見ていていない実物の保証です。」へブル11:1
体は、盲人のままでも、ローア者のままでも、足なえのままでも、難病のままでも、イエス・キリストを信じたクリスチャンがたくさんいるのです!魂・心の癒しが成されています!
その神のわざを見て、イエス・キリストに心を開くことができた人々が大勢いるのです。
自分自身もクリスチャン・ミュージシャンで盲人のスティービーワンダーさんを見て、イエス・キリストを信じる力って凄いな~と思いました。
聖書の奇跡としるしは、現在も起き続けているのです!