「キリストの大宣教命令」と「使徒の働き」について | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

今日、ある伝道師の方が、これ以上、だまされる人々が増えないようにと、使徒の働きを自称する牧師の危険性について教えてくださいました。

聖書の教えは「御言葉⇒いやし⇒御言葉」です。
病いの人々は福音=御言葉を先に聞いて、主イエスを信じる信仰が与えられています。
その信仰によって、癒されています。

「あなた方の信仰とおりになれ!」
「あなたの信仰が、あなたを癒したのです。」
「ルステラでパウロは、癒される信仰があるのを見て、足なえの人を癒した。」
「彼の信仰は、彼の行ないと共に働いたのであり、信仰は行ないによって全うされる。」
などなどです。

※ 信仰がなければ癒されません。
「彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇跡をされなかった。」

◇ しかし自称使徒の働きの牧師の教えは「いやし⇒御言葉⇒いやし」です。
聖書の教えに真逆です。
まず、いやす行為によって、イエス・キリストを信じさせる。そこには信仰は必要ありません。
いやすという奇跡としるしによって、信じさせるのです。

聖書の教えでは、信仰は聞くことから始まりますが、
その真逆で、奇跡としるしによって信じさせるのです。
これは、真光(まひかり)教やニューエイジムーブメントの特徴です。
聖書にも、偽預言者が大きな奇跡としるしを行なって、選民を惑わすと警告しています。

アンダーソン博士は、悪魔のわざを神の成された御業である。としてしまうことの重大さを著書「鎖を解き放つ主」で警告されています。

病いの癒しと悪霊の追い出しは、イエス様の大宣教命令だと教えて、町に出て行って、知らない人々に癒しを行なわせて、つまずかせます。

☆ イエス様の大宣教命令に「全世界に出て行って、福音を伝えて、弟子としなさい」があるので、町に出て行って、その教えを実行するように強要させる教会がいくつもありました。

自分自身も初めて行った教会が、そういう教会でした。まだクリスチャンになったばかりですが、イエス様の大宣教命令なので、従うしかありません。
教会の青年たちが「人には出来ないが、神には出来る!エイエイオー!」と雄叫びをあげて、礼拝後に、町に出て行き、伝道し、癒しを祈り、悪霊を追い出します。

もう嫌で嫌で仕方がありませんでした。御言葉を行なうことが苦痛となり、町に行く前は、吐き気をもよおして、ゲーゲーとあげていました。それでも町へ行き伝道することが、イエス様の御心だ!と心にムチを打ち、喝を入れて、伝道に行くのです。

町は狼の群れでした。チンピラにからまれたり、「何をしとるんだ!」と怒られたり、セールスの女性が近寄り、二人きりで誘惑されたり、話しかけて来た男に5000円で何かを買わされたりしました。

迫害にも負けない!大宣教命令に聞き従うぞ~と、仲良しの信仰の友たちと励ましあいました。

二年後、ついに信仰の友たちは教会を去って行きました。キリスト教は真理・道・命ではないと判断したのです。自分自身もクリスチャンをやめました。

その教会は500人の信徒がいたのですが、何度も分裂して、200人が出て行きました。

※ その教会と交流があったのが、九州のトータルクリスチャンチャーチ(現在は消滅)でした。
その牧師の方針が「刈り取り伝道」でした。

とにかく、駅前や人通りに出て行って、勢いよく伝道し、病いの癒しなどの話をして、行なったり聞いてくれる人を、教会に連れて来て、その場で洗礼を授けるのです。

たった4年間で4400名が洗礼を受けたのです。
つまり信徒数5千人以上の日本一の教会になりました。

しかし、その大勢は、キリストの十字架の贖いを理解していないのに、とにかく洗礼を授けられたので、つまづき、教会を去って行きました。
教会は分裂して、ついに消滅したそうです。

いまだに、あの伝道と洗礼は「恐怖の体験」だと言う人は多いです。
被害者の方たちのコミュニティで知りました。

☆ そのような体験から、クリスチャンは誰でも、町に出て行って、知らない人々に伝道をして、癒しを実行することが、聖書の教え、宣教命令だとする牧師やクリスチャンを警戒していたのです。

これまでは「伝道」が主流でしたが、今度は最も危険な「癒し・奇跡としるし」を主流とする働きです。

クリスチャンになったばかり、まだ整えられていないのに、町に出て行って伝道することは苦痛でした。セールスの訪問販売も苦痛でしたが、まだ家をピンポーンするのでマシでした。

しかし今度は、知らない人たちの痛みや病いを聞いて、イエスの御名によって癒すのです。
それが宣教命令なのです。

しかも全員が癒されるわけではありません。かなりつまずきます。

 

 

☆ 

 
自称・使徒の働きと真逆の信仰が、マザーテレサの働きです。


マザーテレサは当時のインドの道端で、死にかかっている人々を介抱しました。
そこで、人々は「もう死ぬ人間に、貴重な薬や包帯や、水や食料を与えるのは、もったいない!助かる人間にまわすべきだ!」と非難していました。

マザーテレサは「死にゆく人にこそ必要なのです。神様に愛されて、人にも価値がある存在ですよと愛されていることを伝えるのです。」と答えられました。

その時にクリスチャンとすれば、奇跡としるし・病いのいやし・死人は生き返るという権威を行なうべきだと思いましたが、その権威を行使されませんでした。

病いの癒し・奇跡としるしよりも、見えないイエス様の愛・福音を伝えて、信じる信仰とイエス様の御元に送り届けることが、クリスチャンの使命なのです。

イエス様の愛が最も偉大なのです。

そのマザーテレサの信仰によって、多くの貧しい人々に福音が伝えられました。

日本でも、最も有名なクリスチャンはマザーテレサと言われています。

イエス様も「あなたの隣人を愛することは、半殺しにされた人にあわれみをかけて、介抱してあげることです。」
「あなたも行って、同じようにしなさい!」と言われたのです。ルカ10:25~37

奇跡としるしを行使しなさい!とは言われませんでした。

自分自身もマザーテレサの信仰によって、イエス・キリストが道・真理・命だということがわかりました。

御言葉に聞き従っているクリスチャンから学びます。