間違った信仰者たちを信じると恥ずかしいことになりました。 | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

今まで、教会の牧師やクリスチャンたちから、様々なことを教えてもらいました。
しかし、その教えが聖書に書いてあるのか調べずに、ただ信じて行なっていると、後で恥ずかしいことになりました。

90年代終わりから日本で、トロントブレッシングやペンサコーラリバイバルなどの「驚く聖霊の働き」が流行しました。プロテスタントの教会の多くは受け入れました。

リバイバルミッションの滝本牧師の教会でも起こっていたのも大きな理由です。
ある牧師の著書にもその事が紹介されています。

「近年になって世界規模で起きている「聖霊」の著しい働きと注ぎによって、これまで経験しなかった霊的体験や現象を見ています。聖霊によって「倒れる」「笑う」「震える」「踊る」「吠える」「転がる」
〈中略〉これらは聖霊がなさる事だと信じます」

うちの教会でも行われました。ある人は聖霊?によって「ウオー」と狼になって吠える。
ある女性は聖霊?によって正気を失ったように、笑いながら転げまわるので、下着が丸出しになったり、胸があらわになる時もありました。(しばらく、その女性を見ると恥ずかしくなりました)

聖霊?によって倒された時に椅子にぶつけて骨折した伝道師もいます。
ある美人女子大生は聖霊?によって「淫乱」と誰もが思う顔に変身して、ビックリ仰天しました。
「イーヒヒヒ」と不気味な笑いを出しながら、男を虜にしてやるという顔をしています。
それから評判の良かった女子大生は、婦人の間で「怖い、私の息子と関わらないでほしい」と噂になりました。

こんな現象が「聖霊の著しい働きと注ぎ」と教えられて、皆は信じていました。
今は超恥ずかしいです。聖書のどこに書いてあるのか?「聖霊?」ではなくて、まさに「悪霊の所業」と思えます。

それから、うちの教会でも、神社や寺に行って、偶像崇拝の罪を清める儀式も流行しました。
神社や寺には特に「神様が忌み嫌われる偶像崇拝」が行われ続けているので、呪いを解放する為に、十字架と油、塩を持って「とりなしの祈り」に、神社や寺の敷地内に入って行き、儀式を行ないます。

すると、その場所と地域が呪いから解放されるという信仰でした。
そんな事は聖書のどこに書いてあるのでしょう?それは「犯罪行為」だと最近立証されました。

2014年10月から2015年9月までの、携挙(主の再臨)の日を定める騒ぎも、うちの教会の牧師も言い広めていますが、聖書のどこに書いてあるのか?

「なまぬるいクリスチャンが目覚める事になる!」と説明していますが、
これまでの携挙日指定騒動でも絶望したように、9月23日が過ぎれば絶望します。
そして非難したり、裁いたりします。

ですから、なまぬるいクリスチャンを起こすために「携挙を定める」事はないのでしょう。

2011年3月11日に起きた東日本大震災で、多くの日本人が目覚めました。
ある日突然に、愛する家族や家、町を失ってしまう。
家族の絆、人との絆を大切に生きよう!今ある命を大切にして生きよう!と痛感しました。

それから広島土砂災害、台風や大雪、地震の驚異は、今まで体験した事がない規模が続いています。2、3年前名古屋では洪水で100万人に避難勧告が出されました。火山の噴火も活発です。

マスコミもいつ起きても不思議ではない「関東大震災」や「南海トラフ大地震」の警戒を定期的に呼びかけるようになりました。

福島原発は、まだ危険な状況です。放射能汚染された水は海に流れています。
海の生き物たちが汚染される心配があります。

世界でも自称イスラム国が、今年「日本の悪夢の始まりだ!」と宣言しました。
自称イスラム国を慕うテロ集団と連携し、テロ行為は凶悪になり拡大しています。

ギリシャ危機や、中国の株が下落して、経済にも大きな不安が起きています。
世界でも火山噴火や大地震、巨大台風などの被害は深刻です。

聖書に書かれている「世の終わりの前兆」と思える事態になっています。
クリスチャンでない人たちでも、危機感を感じて、立ち上がったり、何かを求める人たちが増加しています。

それでも「なまぬるいクリスチャン」と言われる人たちは、なまぬるいままなのですから、
それを携挙を指定する事によって、目覚めさせても、その携挙指定日が過ぎると、絶望して、以前より悪い信仰に陥るのです。

信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはいけません(ローマ14章1節)ともありますし、
「神は彼らに惑わす力を送られ、その人たちは偽りを信じるようになります(第二テサロニケ2章11節)ともあります。
悪に負けることなく、「善」によって「悪」に打ち勝つしかないと思います。(ローマ12章21節)

これからは聖書を調べて、惑わす者、偽りを教える者たちの教えに従わないことが大切になっていると思います。