しかし後半から温存していた司令塔のロドリゲスが登場すると状況は一変しました。
ロドリゲスが日本DFを翻弄し、シュートを放つと思いきや日本DF2、3人が阻止しに来ると、ノーマークになったFWマルティネスに素早くパスをしてゴールを決めました。
またDFを翻弄しかわして自分がシュートを放ちゴールを決めます。そしてパスが来るとすぐにシュートを放つなど、全て「自分」で一瞬で判断して「的確な答え」を出し続けます。
ロドリゲスが登場した後半は「世界の差」が歴然として「3点差」になりました。
その反対に日本の選手はシュートを23本も放ちますが、ただ「マニュアル通り」のようにただ蹴るだけの感じで、半分以上はゴールの外、残りはキーパーのほぼ正面か、相手DFに阻止されるかで話になりません。「ロドリゲス一人に負けた」とも言われています。
クリスチャンでも同じようです。自分の悩み苦しみを多くのクリスチャンたちに相談しても、それぞれが持つ「マニュアル通り」のような御言葉や励ましの言葉をたくさん頂きます。
「いったい人の心のことは、その人の内にある霊のほかに誰が知っているでしょう。」第一コリント2章11節に書いてある通りです。
「マニュアル通り」のような励ましをたくさん伝えても、日本の23本のシュートのように、このままでは通用しないと思います。
しかしながら別の見方をしますと、日本はよく攻めた!感動した!と思うように、クリスチャンたちが一生懸命に苦しんでいる人を励まし慰める愛の行ないは感動します。
苦しんでいた人は「感激と感動」で胸がいっぱいになり「皆さんのお陰で癒されました!」と元気になります。
求道中の学生たちが、その様子を見て、こちらは「神の愛」が伝わったと思い感想を聞くと、何人かは感動した!と言ってくれましたが、ある男子は「俺たちの仲間たちの方が愛充満すよ!」と言い、ある女子からは「キスマイの方が感動しますよ♡」と言われ、
ある男子は「仲間による励まし慰めなら、こないだテレビで見たAKBの熱い愛情と仲間の絆めっちゃ感動しましたよ!」と意見されました。
クリスチャンたちが励ます姿を見聞きすると「感動」しますが、確かにテレビのドキュメンタリーやドラマでも「仲間たちの励まし慰める感動」は満ち溢れています。また愛で溢れている仲間たちを持つ人たちもいます。
サッカーで言えば世界で通用するシュートを放つロドリゲスのように、クリスチャンで言えば「神様による励まし・癒し」によって「世界の光」「地の塩」になることが神様の御心だと痛感しました。
まさしく聖書に書かれてある通りです「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださるものはみなそうである。神はこれを御霊によって私たちに啓示されたのです。
いったい人の心のことは、その人の内にある霊のほかに誰が知っているでしょう。この賜物について話すには、人の知恵に教えられた言葉を用いずに、御霊に教えられた言葉を用います。私たちには「キリストの心があるのです」第一コリント2章1~17節を抜粋
クリスチャンは一人一人に「キリストの心=神の霊」が内にあります。悩み苦しみをキリストに打ち明ける時に、神が備えてくださっている道へと導かれます。
サッカーで例えるなら、パスが来てすぐにシュートを放つべきか、相手DFを翻弄してかわしてシュートを放つのか、何人もの相手DFを引きつけて素早くFWにパスを送るか、マニュアル通りではなく、誰かの指示でもなく、自分で判断出来るようになるということでしょうか。
ゼカリヤ書には、イスラエルの民がバビロンによって滅ぼされた神殿再建の工事に取り掛かりました。ところがスタートしてすぐに迫害があり、絶望してあきらめるのです。
15年後、預言者ゼカリヤに神様は幻によって励ましました「権勢によらず、能力によらず、ただ神の霊によるのです!」
ゼカリヤは、この神殿を再建するのは、人の数の勢いによらず、誰かの能力によらず、神の霊によって成し遂げられて完成される!と「キリストの心」によって確信したのです。
ゼカリヤ自身もイスラエルの民たちと同じようにあきらめていました。
しかし神様から励ましと御心を受け取って、信じて聞き従うと、神殿は完成しました。
クリスチャンの励ましは、この世と同じ感動ではありません!それぞれに備えられている「神の霊」によって励まされ癒され、勇気が与えられ、そして成し遂げられます!
その「神の霊」によって!ということを思い起こさせることが、クリスチャンたちの励ましだと思います。御心に叶う祈りをした時に「神の霊」によって、そのへりくだった信仰者を通して、悲しみの人に神様と一致した御言葉が与えられることがあるのです。
そこでパロ王は家臣に言った「神の霊の宿っている人を他に見つけることができようか!」と感動して、囚人ヨセフを国を治める大臣に任命しました(創世記41章38~41節)
ダニエルが私の前に来た。彼には聖なる神の霊があった(ダニエル4章8節)
『神は霊です!』ヨハネ4章24節