愛することと赦すこと。人間関係の中で最も重要になるテーマです。
しかし、それぞれの人は価値観も違うし、思考も違います。
自分は精一杯、愛していても、相手はそんなに愛されていないと思うこともあります。
ラブラブのカップルでも、別れてしまうことも多くありますし、離婚も多いです。
人を愛することと、また人を赦すことの難しさを痛感するのです。
聖書ではイエスキリストが全人類の罪をすべて購った「十字架」にかけられ、死にて葬られ、3日後に復活されて、天の神様の右の座に着かれた。御業により、人の罪が赦された。神と和解することが出来たのです。
「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
神が御子キリストを世に遣わされたのは、世を裁くためでなく、御子によって世が救われるためである。と教えています。
その信仰を持たれたクリスチャンたちの中で、やはりマザーテレサの信仰の言葉を紹介しましょう。
「赦すためには愛が必要です。そして赦しを乞うには謙虚な心が必要です。
愛することの歓びを皆で分かち合いましょう。十字架はイエスの愛の現れです。
そして聖書を読めば「愛すること」「赦すこと」の具体例が記されています。
創世記42・43章ですが、ヨセフは、将来はお父さんや10人のお兄さんがお辞儀をするほど偉い地位に就く夢を見たと伝えます。
するとお父さんから溺愛されていたこともあり、10人の兄たちは激怒して、当時17才のヨセフを殺そうとしたり、最後は奴隷として売り飛ばします。
それからヨセフは無実の罪で牢獄にいれられます、奴隷で囚人の最悪な身分となったヨセフが偉い地位に就くことは不可能です。しかしヨセフは神からの約束の夢を信じて、神様に感謝し賛美し礼拝し祈り、神様と隣人を愛して過ごします。
13年経った30才の時に神様の約束が実現します。ヨセフが神様を信じて従い続けたからです。
その時に、干ばつで飢え死にしそうになった10人の兄さんたちがヨセフの所にへりくだってやって来ます。
ヨセフは10人のお兄さんだとわかり、荒々しく「スパイだ!」と決めつけ何度も苦しめて試します。
その試された期間を通して、本当に罪を悔い改めているかがわかるのです。
神様は人の心の奥底を知るために、しばらく捨て置かれる時があるのです。
そして本当に悔い改めている10人の兄さんたちを赦して、「あなた方は私に悪を行いましたが、神様はそれを良いことへと変えて下さいました」と愛と赦しが現されました。
愛する、赦すと人々は簡単に口にする時があります。
それで簡単に信用して、また裏切られたと争うことが多くあるのです。
また謝っているのに、赦さないという態度に逆ギレすることも多くあります。
愛する、赦すには謙虚な心が現されます。悔い改めても、相手が赦してくれない、冷たい態度の時に謙虚な心で、その冷たい態度さえも、全てを信じて忍び、全てを望んで耐える愛を現していくなら、
愛と赦しが実現されるでしょう。