実を結ぶ「愛」の行いとは | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

人は同じ愛の善意を行っても、周りへの伝わり方は様々です。なぜなら、人それぞれ持っているもの(心、思考、信仰など)が違うからです。


クリスチャンでも同じです。東日本大震災の被災者支援を続けておられる(福島県)郡山グレースガーデンチャペルの三箇牧師の証が昨年のRevival japanという雑誌1月号に掲載されました。その記事を抜粋しますと、


「震災後、私たちの教会(福島県)を訪ねて下さり、支援物質や励ましを頂きました。でも同時に「神様がすべてを益にしてくださるから」とか「今が伝道のチャンスだ」という言葉は聞くだけで苦しくなりました。

ある国の牧師たちが来られて「日本は神様に裁かれたんだから、あなたはもっとハッキリ悔い改めを語り続けないといけない」とおっしゃいました。


私は腹が立って「そうかもしれない。だけどあなたは、家族を突然失った人のところに行って、あなたの罪がそうさせたのだと言えますか?」と怒鳴りたい気持ちをぐっとこらえました。


私たち自身、今でも被災者ですから。被災者感情を傷つけられると、やたら腹を立てていました。

ほとんど毎日ビッグパレットを訪れては。。。悲しみや怒りを受け止める日々でした。

家に帰ってくると、もうくたくた。。。自分がうつになりそうでした。」


この記事を読んだ時に、被災者の方たちの支援に、それぞれの信仰の行いがあることがわかりました。

また個人的にも被災地に行き、支援を行った時に、ある教会では「キリスト教の教えを述べ伝えることは、被災者の方たちの心情を逆なでする(人の不幸につけこんで信者を増やそうとしているような)ことになるので、キリスト教の教えを伝えたりすることはしないと決めていました。


またその反対に「被災地だからこそキリスト教を伝える使命がある!」と熱心に伝道している牧師とクリスチャンたちもいました。それぞれが神様に従っている愛の行いと確信をもっています。


しかし、ある一つの信仰は見聞きすることがありませんでした。

聖書では、その地方で苦しみにある「盲人、足なえ、らい病人、愛する子供を失った親たち、医者から見捨てられた難病の人たち、悪霊に取り憑かれた人たち、貧しい人たちなどの」人々を救い続けているイエスキリストと弟子たちは有名でした。


ですからその当時、親からも世間からも見捨てられた盲人たちはイエスキリストを待ち続けました。

そしてイエスキリストが自分の処に来たならば、喜び!平安と希望と癒しが与えられました。

このような信仰のクリスチャンを現在の日本では見聞きしたことがないのです。


2011年の3・11以後、テレビで被災地のニュースが連日ありました。

その中で有名人たちの行動も話題となりました。

SMAPの中居君は「もう売名行為と言われようが、行くしかない!」と被災地に行きました。

お笑い芸人のコロッケさんも、とにかく被災地に行ったら、あるご婦人がコロッケさんを見た時に泣き崩れていました。理由は「家も住んでた街も津波で流された。知っている人が誰もいなくなってしまったから、もう不安で不安でたまらなかった。そんな時に、テレビで知っているコロッケさんが側に来てくれたので嬉しかった」ということでした。


また上戸彩さんは震災後の貴重な休みの時に、被災地に行きたい!とすっぴんで電車に飛び乗って被災地に来て、石原軍団の炊き出しを手伝いました。

その時に、彩ちゃんが来た!とみんなは喜び、その中でお姉ちゃんを津波でさらわれてから笑わなくなった5才位の女の子をそのお母さんが彩ちゃんの処に連れて来て、事情を説明しました。

すると彩ちゃんはその子を抱いて慰めと励ましの言葉をかけました。


するとその女の子は癒されたような表情を見せて、そのお母さんや周りの人たちが感動していました。


その場面を見て、こちらも感動しました。

クリスチャンで言えばマザーテレサがインドで行った信仰は、謙虚でした。地位や名誉は一切望みませんでした。ただ神に従い「飢えで苦しむ人たちはキリストなのです」と愛の行いを喜んで行っただけなのです。

その謙虚さの証人を神様は大きく用いられたのです。

その結果、マザーは世界的に有名になりましたが、それは聖書のイエスキリストと弟子たちが有名になったことと同じです。


これから日本で謙虚で愛の行いの信仰者の証が成される時があるでしょう。