元のもくあみ
早速ですが、CMA日本ツアーが終わった今、見事にもとの気分に戻りつつある。所詮俺の信仰だの精神はこの程度である。
仕事がない。金がない。・・・困るのだ、これでは。誰も好きで無職なわけではないのだ。きちんと面接だって受けにいってる、新しい派遣会社の登録にだって今から行くぞ。こないだなんぞ、せっかく面接受けたのに、「プロジェクトがお流れになりました、スミマセン」・・・ってそりゃねえだろ、流れるようなプロジェクトを紹介しようとするな、非常識だろう。こっちだって交通費もかかれば、貴重な時間を費やして面接に向かってんだ。ふざけるな。
他にもえんえん、確かに6月の仕事をすぐに辞めてしまったことだけは、俺が悪かったと思う。でもあれだって、就業前に知らされてなかったことが多すぎたし・・・いい加減にしてくれ。そいでここ最近は独立または在宅勤務を考え、いろんな企業に打診しているが・・・ほんとにろくなところがない。SOHOだからって、直接会ったことがないからって、常識があるだろ。メールくらいきちんと返せよ、応募の返答ぐらいしろよ、募集が終わってるんなら終わったって言えよ。馬鹿ばっかだ。みんな氏ね。
そいでこんな苦しい就職状況の中、「仕事やってもらえませんか」つってきたのが風俗店の検索サイトときたもんだ。俺は飛びつこうと思ったが、牧師はじめ周りのクリスチャンは「そんなこと絶対やるな」とぬかしやがる。お前たちは俺の立場がわかるかね?相談なんかしたのが馬鹿だった。答えは当然見えていたのだ。ア゙ー馬鹿馬鹿しい。飢え死にしそうなときに、仕事を選んでいられる人間がいるかね?神とやら、てめぇは俺に金をくれるのかね?人間が困っているのに何も与えないつもりかね。一生懸命やっているのに。すべて糞だ。
あとずっと前から一緒に大学祭でバンドやらないか?って誘い続けてたのに、いつの間にか俺に内緒で違う奴っていうか俺を踏みにじった糞女とバンド組んでるんじゃないよ。どうして誰も彼もが俺を馬鹿にするんだ。どいつもこいつも。そんなに俺が悪いかね。アア悪いだろう。みんな氏ね。世界は滅びろ。それが駄目なら俺が氏ね。アア死ぬのは怖いが早く死にたい。
留学してMI行ったところで、無意味。自分のやろうとしたことは全て無駄。就職ゼロ、将来ゼロ、希望ゼロ。愛もゼロ。そんな椰子は死んだらよろしい。というわけで、またどうやったら具体的に死ねるのかを考える毎日が始まります。今日の派遣登録の帰りにホームセンターで練炭でも買ってこようかしら。もっと強い動機が必要だ。死ぬにはエネルギーが必要だ。アアみんな憎い。神が憎い。
心の平安
けっきょく、先週の火曜木曜を除いて昨日まで、毎日CMAのお手伝いをさせていただいた。他のスタッフ達はほぼ日替わりで交代していたので、もしかしたら自分がいちばん彼女たちと一緒にいる時間が多かったかもしれない、というくらいだ。公式なスタッフとしての僕の仕事は、昨日で完全に終了したので、週末の東京公演に行きたいならば、自費でお客さんとしての参加となる。無職でお金がないので、正直決めかねている。
それにしてもこの数日間は、とっても楽しかった。CMAダンサーは皆、とても良い子たちで、明るく、にぎやかで、ずいぶんと元気を分けてもらった。通常、一週間も団体の手伝いをしていると、困ったことにも幾度か直面しそうなものだが、今回そんなことは一度もなかった。じつに快適に一緒に過ごすことができ、この僕の、長く淀んでいた心も、相当に方向転換できた気分だ。でも、長く居すぎた分、これから寂しくなるなぁ・・・
週末の関東での公演を見に行こうとするなら、経済的にはちょっと厳しい。今日はこれから仕事の面接なので、それがうまくいけば、予定収入が見込まれるわけで、関東にもぜひ行きたいと思っている。これ見ているクリスチャンの方はどうぞお祈りください(個人的なことですけど)。また、CMAでの働きが終わって、もとの生活に戻っても、以前のように荒んだ気持ちになりませんように。
今回、CMAのため、ひいては神様のためにしばらく働かせていただき、それは、多くの人に神様について証ししよう、福音を伝えよう、というのが本来の目的であったけど、実際のところ、自分自身にも良い祝福が与えられたように思う。一人きりで魂の荒んだ暮らしをしているのではなく、温かい人たちに囲まれていると、自分も癒されるものだなぁ、と思いますた。感謝です。ヽ(´ー`)ノ
苦しき中にも希望あれ
もはや日常茶飯事になった失望なんですが、案の定、先日期待していた「8月から始まる予定の派遣の仕事」がキャンセルされた。これでまるまる3ヶ月も働いていないことになる。ひでぇなぁ。仕事もお金もありません。だれか、でーひー基金を設立してください。あなたの愛の募金を受付ます。仕事をくれ、金をくれ、愛をくれ。
まぁ、こういう状況にあっても、CMAの元気な子たちや、他のスタッフ=クリスチャンな人たちと一緒に過ごしているためか、思ったほど絶望的な気分にはなっていません。・・・というのは今の文章を見ても明らかだと思いますが。不思議なもので。ただ、そんでも実際、不安は不安だよ。
私は留学のために国からローンを借りたので、毎月の返済があり、もう仕事に就かないと、次の月の分が間に合いません。そして家族は「実家にいるのだから家賃を入れろ」と、失業者に重圧をかけてきます。おまけに体調が悪く、今日は朝から下痢ですた。心身ともに、苦しい状況です。だので、これを見ているクリスチャン兄弟姉妹がいたら、私を哀れんでください。ぜひ祈りで支えてくださいませ。このような状況にあっても、自棄になりませぬよう・・・
まず神の国を第一に求めなさい、そうすれば生活に必要なものはすべて与えられますよ、という神の約束を、(((((;゜Д゜)))))ガクガクブル...しながら信じるしかないのですな。もうさすがに動揺状態にも慣れて、どうにでもなってくださいという気分になってきますた。CMAでのお手伝いが落ち着いたら、アルバイトでも始めるしかないか29歳、といった具合でございます。
私は真面目で勤勉で向上心があって、きっちり仕事をこなす(自賛しすぎ)人間です。仕事も人より要領がよくて飲み込みも速いって上司が言ってくれましたよ(笑)まじで。アピールですが・・・ですからこれをご覧の方、WEB系また業務計プログラマ・SEが必要でしたら私を哀れんでください。仕事ください。おながいします。まじで(笑)遠方での在宅勤務もお受けいたします。
すぃーえむえぃ
ここ最近は、ほぼ一日おきにCMAダンサァ達のお手伝いをさせて頂いている。CMAとは:
http://cmajapan.org/site/index.php?cat=16
日曜は朝のピックアップ。月曜は料理の手伝い、と思ったら最終的にはひとりで調理。ひでカレーはほんとに美味かったのかね、みんな?・・・そして水曜にはまた、運転手として一日付き添い。
キャピキャピの(死語)アメリカンギャル(これも死語か!?)達のハッスルパワー(死語の世界)に、「若く見えてももうじき30」な私は圧倒された。でも、若い娘さんたちと過ごすのは、にぎやかで楽しいな。
いかんせん残念なのは、我が英語力の力不足だ。1対1の面と向かっての会話は、かろうじて身振りや推測も交えて何とかなるんだが、やはり母国語の6~7割くらいでしか、言いたいことを表現しきれていない気がする。また、運転中に話しかけられた場合、英語の頭脳と運転の頭脳で両方とも片手間になり、えらいことだ。ものっそい集中力が必要である。そして、英語ネィティブで、しかも若さいっぱいで、エキサイトしている彼女たち同士のキャアキャアまくしたてる早口会話を聞き取ろうとなると、もう1%も理解不能である。僕よりもヒアリングが得意な、周りの日本人スタッフたちが、正直うまやらしい。
なので、僕の相手はもっぱら、ダンサァ達のコーディネーターであるCharが努めてくれた。彼女もネイティブ同士になれば当然早口(というか普通の英会話の速度なのかしら)だが、さすがに年の功、僕の英語力にも配慮して、ゆっくりわかりやすく話してくれる。優しい人だ。とても配慮があり、人を大切にしてくれる。好きだなぁ。・・・けっきょく若年寄な僕は、娘さんより、おじさん・おばさん世代の人と話すのが、いちばん落ち着くのだ(笑)
もちろんダンサーの子たちもみんなフレンドリーでいい子たちばかりですよ。目が合うとみんな美しいスマイルを¥0で提供してくれるので、ドキがムネムネしますたよ。ヽ(´ー`)ノ
というわけで、CMA Japan、ダンスを通じて神を賛美するミニストリーです。素晴らしい働きをしているので、お近くでの公演があれば、ぜひ足を運んでみてください。ツアー日程はこちら:http://cmajapan.org/site/index.php?cat=26
空桶-からをけ
教会のみんなと、久しぶりのカラオケに行った。みんな明るいなぁ。
自分の拙い歌を褒められて調子にのっていたが、さもありなん。しばらくぶりの歌だったので、レコーダでコソーリ録音していたのだ。帰り道、それを聴いてみてガクゼン・・・
音程がきもい。フラットしまくりである。よくよく考えてみたら、帰国してからというもの、特別にきっちりしたトレーニングを続けているわけでもないので、当たり前なんだが。全然向上してない。イヤァ、何もしてなくて上手くなるわけがないんだが、ほんとにもう、弱点てのはなかなか直らんものだなぁ。録音してみてよかった。
音楽をやっている人、自分のプレイ(歌)は、必ず毎回録音してみましょう。客観的に聴いてみましょう。想像以上に下手だと痛感するはずですよ。・・・というわけで、いい加減、ICレコーダを買うべきだなぁと痛感しますた。前から欲しいと思っているが、MP3プレーヤの付加機能録音では、なにかと不自由だ。録音専用機を手に入れるべきだなぁ。
ま、たかがからをけ、されどからをけ。まかりなりにも自称「ヴォーカリスト」を志す者なら、音程はきちんとしてなきゃいけませんな。私の音程は甘アマですた。アマー(゚д゚)
練習の大切さを痛感したのでありますッ! 以上。
生き地獄
生きるのも苦痛、死ぬるのも苦痛の地獄でございます。
私はなぜこの世に落とされたのか。ただ苦しむため。一体誰が、何のために?
両親が望んで子供ができたのか。だが、ただ人間が望んだとおり、生命が生まれるのか。そしてそれが「私」という存在になったのは。では誰が?
善良で明朗な、素晴らしい、別の子でなく、なぜ「私」が。
泥酔し、刃物で体を傷つけ、血を流す。猛烈な吐き気で後悔しても遅い。肉体的にも、精神的にも、苦痛を生み出すのはいとも容易い。だが、その反対は困難を極める。苦痛から逃れるのも、喜びに生きるのも。
「死」が、それらを全て解決する答えなら、真っ先にそれを選ぼう。だが、果たして「死」が、そうなのか。死んだ者に訊いてみない限り、確証は得られない。果たして死は本当に、「永遠の眠り」なのか。眠っているような状態だろうか。死は、恐ろしい。
もう15年以上も、地獄にいる。短い生涯の半分か。否、もっと以前にも、既にその種は蒔かれていたのだ。子供の頃から、異常な心だったのだ。「ふつう」だったのは、せいぜい10歳以前くらいのもの。すると3分の2が、地獄、か。
あと何年、地獄を見る?希望なんてない。
しばらくぶりの。
イヤァ、金も仕事もバンドも目的もないが、よく毎日ごまかしごまかし生きているもんだねぇ。イヤハヤ、生かされていますなぁ。・・・一日に何度も、具体的な死ぬ方法を考えている私です。病気です。少しはマシになってほしいもんだ。
しかしどこへ行っても人間関係はつきもの。他人とは、理解しあうまでにどうしたって時間がかかるもの。歴史が必要なのだ。特に俺みたいなのは、仕様がちょこっと難しくできとるもんだから、へんなとこでこわれやすい。すぐに打ち解けるような人間もいるんだろうが・・・俺の場合は時間がかかるなぁ。困ったもんだ。でも、通じた場合には、その分深いわけだがね。難しいね。
俺は、自分がイヤだと思うことに対して過敏すぎるくらい過敏だが、その割に、自分のほうがたくさん他人を傷つけているんだろうなぁ。愛を与えたこともないのに、奪ってばかりいるんだろうなぁ。求めてばかりいるんだろうなぁ。わかっていても、ぜんぜん上手にできないのが、「ありのままの」私。こんなの受け入れたって、ろくなもんじゃねぇ。生まれてきたのが欠陥だったって、言いたくなるだろ?人生無意味なほうが、ましだぜ。意味を見出そうとするから、苦しいんだ。
ただ反射的に、したいことして、したくないことから逃げて、食って、寝て。そういうふうで、簡単で、無意味がいい。世界は複雑になりすぎだ。そしてその複雑な世界をコントロールするする一環になるような仕事に、俺は携わってきた。PCなんて、この世にいちばん不要なものだ。世界は広いままがいい。便利なんて本当は不便だ。けっきょく、農民が最強!下克上!
明日は出征だな。
傷の付け合い
最近は、いつにも増して情緒不安定だよ。輝いていた俺はどこへ行ったのかしらね。
だが、これを抜けたら、より輝けるかもしれない。今は待つしかないな。今年はきっと、大きな変化の年なのだ。昨年以上に。
というわけで、せっかく楽しみにしていた、始まったばかりのバンド活動も、突然の解雇を受けて非常にがっかりしました。在宅での仕事がもらえそうな話も、お流れになってがっかりしました。そういうことは、「よくあること」ですが、何よりも、自分は「バンドでライブがしたい」という人間であることを、痛感したのでありました。なぜなら、バンドを持っているときの自分が、どれほど生き生きとしているのかを、短いながらも思い出したからであります。
ということで、ささいなことでも、人間関係はつきものでございます。ぼかぁ生来、プライドが高く高慢で、高圧的で、その上ほんとの自信なんてこれっぽっちもない割に尊大な人間なので、不器用この上ないのです。その割に寂しがりで、人間が大好きなくせに、他人が苦手ですから、なかなか打ち解けることができないのであります。したがって、とくに新しい関係ができようとすると、非常に困難を要するのです。そして最終的にそれが失敗したりすると、この世の終わりのごとく落胆し、自分を責め、酒を飲んで自虐にふけり、また、相手に対しても、「ネガティブな攻撃」すなわち、攻撃的ではないのだが「僕が悪いのです」と繰り返して相手にも自責の念を植え付ける、というたちの悪い人間です。
こんなわけで、そういう自分が余計にいやになるのですが、関係者の方々どうもごめんなさい。悪気があってやっているわけじゃないので。やっていいことと悪いことはわかるけど、そっちだって悪いことすんなよ。俺が怒ったり泣いたり絶望するのだって理由があるんだ。人より繊細すぎるだけだ。開き直るわけじゃないけど、こういう人間だっているってことを、少しだけわかってください。そんで嫌いなら付き合うな。こういう人間だからこそ、人の心に響く(って言われたのでうれしい)歌が歌えることだってあるんだ。嘘だと思ったらライブにきてくれ。ただしいつになるかは未定だ。楽しみにしろ。どうぞよのしく。
賛美する≒受け入れる、ということ
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそキリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。(新約聖書 テサロニケへの手紙Ⅰ 5:16-18)」
先日、ブックオフめぐりにて、¥100で「賛美の力」なる本を入手した。僕はケチなので、よく100円古本を見つけに古本屋巡回する。で、昨日のうちにそれを読破。素晴らしい本であった。非常にわかりやすく、今の自分の持つ疑問や問題点を例示、またそれに対する、理に適った回答が書いてあった。
僕はものごとが「自分の」思い通りにならなかったり、予想してなかった困難に直面すると、すぐに運命(というかそれを定めた)神に怒り狂い、やけくそになって反抗する。それが正しいことでないことは、ようくわかっているのだが、感情がコントロールできないほどの癇癪持ちなので、そういう性格であること自体が余計に自分を苦しめるのだ。だから、いつも「わかっちゃいるけど脱出できない」というジレンマに陥っていた。そんな自分の苦悩にピッタリのこの本、「知性」や「心の傷」が「信仰」の邪魔になっている僕にはまさに、神様が与えてくださった一冊に思えた。
僕は既に「神は全知全能であり、あらゆることが可能でかつ、常に絶対的に正しいお方である」ということを、頭脳では理解している。でも、「ならばナゼこんなひどい目にあわなければならぬのか」という、まるで「自分だけは例外にされている」ような思いに苦しめられてきた。ようするにまだ、「実感としては」信頼しきれてないのだ。神の全能さを。
でも「神を愛する人々、すなわち神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのこ
とを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。」 (新訳聖書 ローマ人への手紙8:28)なのだ。「人間の目に」見える悪いこと、不都合なことも、「神の目」には、何らかの、愛する子ら(僕たち)に益となる、素晴らしい計画があるのだ。だから、一見、苦しいことも悪いことも、不都合なことも、期待して感謝するんだよ、それが神に信頼することだよ。というわけなのだ。今までも、何となく頭でわかっていそうなことだったが、不思議とこの本を読んでから、さらに確信が増してきつつあり、非常に嬉しい。そういう説得力のある本なのだ。
否、まさに、「自分の力だけで」いろんなことを何とかしようとふんばってきて、ボロボロにたたきのめされた、今の僕だからこそ、この本を裏づけとして、やっと自分を神の御手に委ねよう、という気持ちになれたのかもしれない。僕のようにプライドの高い人間には、非常に困難でかつ、理解するにもパラドックスなのだが、「自分(の力に頼ること)をあきらめる」ことがまさに、「受け入れる」ことなのかもしれない。やっと、もう一歩のところまで近づいてきたようだ・・・。
ただ恐ろしいのは、ここでもう一撃、ダメージを受けたとき、また感情的にやけくそになることだ。感情に負けない「意思」を持ち続けなくては・・・これを読んでくれた方、僕はあなたの力が必要です。お祈りください。感謝します。
主の御名を賛美いたします。
ごっつぁんです!
しばらくぶりの友に再会。やはり持つべきは良い友である。赤ちゃんが生まれたということで、お祝いに。プレゼントも喜んでもらえてよかった。いつもみんなに与えてもらいっぱなしなひでですから、あまり人に何かをするのは慣れてないのだけど、喜んでもらえるのはうれしいものだな。「与える者は幸いです」というのはそういうことらしい。
いろんな人やものごとから、どれだけか恩恵を受けている。計り知れぬほど。そろそろ、自分も与えることができる存在になれたらな、と思うのはおこがましいかしら。でも、意図しないところでも、僕の存在が誰かに喜びをもたらしていたら、うれしいなぁ。
僕にも幸せな家庭を持てる日が、いつかはやってくるのだろうか。
自分の、自分たちの、愛は、見つかるのだろうか。愛されてばかりで、愛することが上手じゃあないな、おれは。いつか愛せるのだろうか、奪い合いことなく・・・