Searching for Love and True Happiness -2ページ目

日本という国でクリスチャンというアイデンティティを保つことの難しさ。

なんか「ぽい」タイトルになってしまったけど、ずばり文字通り。この国で「クリスチャン」をキープするのって、すごく難しいんじゃないか、って、アメリカの友達にメール書いてたら突然そんなことに気づいた。


言い訳めいたところもあるかもしれないけど、確かに、「家族の中の初代クリスチャン」であること、そしてその信仰を保つことは、この国では非常に難しいことなんじゃあないだろうか?(今の俺は自分がクリスチャンと呼べるのかどうかすら怪しいものだが、ここではおいといて・・・)


アメリカ生活や、CMAの働き(米国ダンサーチームを帰国子女クリスチャンが助ける活動)を通して知ったのは、どうやら海外生活で信仰を持つに至る若者が多いらしい、ということだ。僕のように、クリスチャンホームでない普通の日本人家庭に生まれ育って、日本で個人で(配偶者や友達とかによらず)信仰を持つに至るケースっていうのは珍しいほうらしい。んで、海外でせっかく信仰を持っても、日本に戻ってからその良い環境をキープすることが案外難しい、とも聞いたような、聞かないような。


でも実際、アメリカの友達にメールを書いていて、自分はこんな風に思った。確かにこの国の環境は、あまりにクリスチャンに厳しい。生活のあらゆるところに、得体の知れない(・・・言葉は悪いが的を得た表現ではないだろうか)「ごっちゃ煮宗教風土」の影響が根付いているのだ。多分、基本的には仏教ぽい方向性なんだろうが、まさしく何でもあり、の風土が。だって、夏祭りは祖先とか、八百万の神?かなんかを祭ったりするんでしょ?そんでTVをつければ悪霊だの祟りだのでしょ(これって何教に基づいてるの?)漫画を見たって神社やお寺の神様・仏様・お地蔵さん(これも何教なのか俺には正確に把握できん)のミクスチャーの影響が。もっともよく読む漫画ってのは時代劇ものだったりするが。・・・よくよく考えたら、日本の文化そのものが、ほとんどアンチクライストの上に成り立ってるんじゃないか?


食事の時にレストランで祈りを捧げることなんて俺はできない。なんか人目を気にしてしまってこっぱずかしい。それからTVも映画も漫画もネットも、どこを見たってセックス無法地帯。社会人男性で風俗に行ったことがないほうが珍しいくらいだろ。男女交際したらセックスしてない方がレア。金と暇がありゃあパチンコ?公共の場所で飲酒・喫煙OK?・・・これが日本のデファクトスタンダードじゃなかろうか。こういう世界で、誘惑と戦いながら生きるってのは、なかなか難しいもんなんじゃないか。これって、俺だけじゃなくって、けっこう同じように苦闘してる、クリスチャンのひとも少なくないのでは?と急に思ったのであります。


「クリスチャンらしく」というか、神に好まれるような生活をしていたら、むしろ白眼視されたり「まっじめ~」と小ばかにされるような風潮が、この国にはないだろうか!?信仰を持っている者は弱いのだ、進化論が正しいのだ、神は無数にいるのだ、あるいは全くいないのだ、という考えは、世界中で通用するものなのだろうか?・・・もっともキリスト教国ですら、ある意味しっかりした信仰を持つ者は少ないときくが・・・でもアメリカに居たときのほうが、よほど「クリスチャンとして」生きやすかったのは否めない。日本は生き苦しい。


洗礼を受けて10年、その割には全然生き方に変化がない、むしろ悪くなってんじゃないか?なんてずっと悩んでいたが、それは一体、俺だけのせいだろうか?(ここで自分の信仰の弱さを責任転嫁をしたいわけではないけれど)親兄弟ですら、まことの神を知りはしない、親戚にもひとりも信仰ある人はいない。そして国民の99%以上が神を知らないこの国で、神を追求しつつ生きるということは、よく考えたら、相当に過酷なことなのではないだろうか・・・


クリスチャンの人たちや、教会の中で過ごすと、とても快適だ(もちろん、いつも絶対ではないし、他のことを全部否定するつもりではないけど、経験上、比較してみると、の話で。)でも、その枠から一歩出てしまうと、自分はまるで二重生活をしているような気がする。というか、実際にそうなのだ。「日曜クリスチャン」、教会を離れるとすぐもとの「たんなる日本人としての自分」になってしまう自分。日本人、というか、信仰の薄い生き方に戻ってしまう自分。もちろん自分自身にも責任があることは否めないのだが・・・けっこう難しい問題じゃないかなぁ、と思ったのでありました。共感する人ご意見ください。


(p.s.俺って文章下手だな。何が言いたいかわかるんだろうか)

いよいよ明日かね。

もう今日あたり俺の向後1年は、運命づけられている頃かしら。それとも明日の朝までかな・・・?

ということで、面接の結果がそろそろ連絡いただけるはず。今回は珍しく期待しているだけに、どう転ぶか、ドキがムネムネするよ。


ところで最近はJavaを少しずつ勉強しているんだけど、C++の基礎を身につけてるから、比較的、文法・構文とかオブジェクト指向的な概念は理解が進んでいる。勉強なんて、ホント久しぶりだなぁ。頭つかうと腹がへる。


あと、何か熱中したいと思って、ひとり多重録音にも精を出しているよ。今やっているのはXのWeekEndだ。先日の外出で、久しぶりにいろいろ聴いてたんだけど、やっぱしXは素晴らしいなぁ。なかなか同じレベルのバンドを見ない気がするなぁ。やっぱり革命児だったんだ、と自分としては思う。そんで超しばらくぶりに、Baを弾いてみたりしてると、楽しいこと、難しいこと。レコーディングって、ホントたいへんだな。そりゃあ普段楽器にどれだけ触ってないか、ってことだよな。いかんいかん。・・・やっと音楽家らしくなってきたな。


ここんとこ霊なんとかってTVが流行ってるけど、やはり日本に住むことって大変だなぁ、っていろんな意味で思わされますな。興味本位でツイ見てしまうんだけど、子供の頃と違ってつまらなくなった。でも友近はおもろい女だな。ユンソナは可愛いけどもうひとつだな。あとトリビアで秋葉系をからかった企画やってたけど、なんか駄目な椰子も勇気ある椰子もいて、少しほっとしたような。・・・ところでこの日記読んでる椰子いるのかしら。俺は大須系・・・?でもないなぁ。何者なんだろ最近は。


そんなこんなで日が暮れます。ちょっと英語に力が入ってきた。リスニングもっと鍛えなきゃ!

部屋と面接と私

今日は新しい仕事の面接に行ってきますた。なかなか自由な雰囲気のする会社のようで、正直「こんな楽しそうな会社もあるのかね」と驚いている。まぁ実際の職場を見たわけではないので、あくまで伝聞なのだが。・・・基本的に、楽しい雰囲気の職場、というものに出くわすことは、滅多にないものと考えて生きてきたので、今回の就職活動にはけっこう期待している。週末には結果が出るそうで、サテどうなることやら。


面接とは全く関係ないが、ここんとこ毎日のように、この部屋に御器鰤の子供が出没する。見つけるたびにティシューを出してひねりつぶしているのだが、ほんとうに気づくと新しいやつが現れる。どうなっているんだ?2度もバルサンを炊いたというのに。しかもバルサンってけっこう高いらしいじゃないか。いったいどこに卵を産みつけたんだろう。(((((;゜Д゜)))))ガクガクブル...正直きもい。


たしかにこの部屋は清潔じゃあないな、と反省はしているが、毎日御器の子供が出るのはあんまりだ。少しは気を遣って欲しい。あと、土曜の夜中に蚊に刺されて、いくらキンカソぬっても治らない。腕は腫れるわ、くるぶしは歩くとスレるたびに痒いわで、うれしい悲鳴だ。・・・御器といい、蚊といい、なんのためにあんな奇怪な生き物がいるのかしら?でもそれは自分自身にも言えることだ。なぜおれがいるのかしら。

というわけで、夏の薄着の女性にツイ目がいってしまって困ってしまってわんわんわわーんな私ですた。

乙。

不眠・・・体が痛いよ

ここんとこ、不規則な生活のせいか、夏のせいか、何だかしらんがとんでもなく体じゅうが痛い。とくに首から背中にかけて、ひどいことになっていて、なかなか普通に起きているのも苦痛なくらいだ。どうしようもねぇな。


そんなんですから、夜もよく眠れないし、変な夢ばかり見ますよ。いつまでたってもろくな生活ができず、なんだか蛆虫みたいに生きながらえているのは、どうしてなのかしら?俺はこんなヒドイ人生を送るために生まれてきたのかしら?だったら生まれてこなきゃあいいのになぁ、って恨み言ばっかり言っているから神さまに愛想を尽かされているのかしら?


もう少し、更正のチャンスとか、道がもらえたらなぁ、といつも思うのであります。私だって、何も好きこのんでこんな暮らしをしているわけではないのであります。挫折だけの人生、どうしたらいいのかしら。アア困った、困った・・・というわけで、今日もやっと一日が終わろうとしています。


苦しいので明日は礼拝に行こうと思っています。こういう態度だからいけないのだろうか。困った、困った。

反省・・・誰かが祈ってくれているのだろうか?

僕は感情にまかせてものを言ったり、文章を書いてしまうことが、通常の同年代の人よりも多すぎる気がする。自分で恥ずかしいのだが、自分が自分でなくなるわけにもいかないので、いかんともしがたい。そのことで、一生ぬぐえない失敗なんかもしてきたが、まだまだこんな性分を直すには時間がかかりそうだ。


とはいえ、ここ最近、不思議と激情や絶望は少しやわらぎ、自省の念が生まれつつある。・・・といっても生活そのものが、急によくなったわけでもないのだが。なんだか信仰書を読んでみたり、あとは、とくに、三浦綾子先生のエッセイを読んだりして、ずいぶんと励まされている。なぜ彼女はあれほど謙遜なのだろう。自伝小説を読んだ限りは、幼い頃からそういう性分だった様子だが。僕は小さなころから傲岸不遜きわまりないイヤな子供だった。やはり生まれ育ちというよりは、天性の性分がものを言うのだろうか。


できることなら、できることなら、人生、謙遜に、幸せに、人を、神を、大切に生きていきたいものだ。だが、どうしても、それができない自分がいるのだ。したいと願うことができない、これほど苦しいことはないのだ。


と、いつもながら自分で何が言いたいのか、文章力のまずさが目に余るが、ともかく、こんな自分にも、祈ってくれている人がいるらしい。・・・そんな気がするのは、やはり、やけくそな日々の中にあって、不思議と少しずつだが、「このままではいけないんじゃないのか」という思いが生まれつつあるからだろう。


でも、自分のことは自分がいちばんよく知っているが、問題は、この気持ちがどこまで続くのか、ということだ。少し反省しては、また同じ馬鹿を繰り返す、この愚かな無限ループに、今までどれだけ苦しめられてきたことか。いつまでこれが続くのか・・・

苦悩続き

行いにはよらず、信仰によるのです、とは言うものの、話がおかしいじゃないか。信仰とは一体何なんだね?「信じる」ということは、確かに行為ではないものの、そう簡単にできるものではありますまい。神の側から無償で救いをくれた、というものの、それを信じたつもりになったところで、こんなに人生ろくでもないなら、救われたなぞと誰が信じられるものかね。ふざけるんじゃないよ。何だね信仰とはまったく。


善行とか努力によらないのだ、そのままの自分でいいのだ、というなら、このまま何もしないで寝てばかりいても、生活に必要なものが全て手に入るかね?神が人間は雀よりはるかに大切なものだ、だから信頼してりゃあ何でも養ってくれる、というが、俺のことなんぞ養ってくれないじゃあないか。ぜんぜん大切になんぞされてないじゃあないか。嘘吐きめ。嘘吐きが信頼できるものか。嘘ばかりじゃあないか。どいつもこいつも。


ありのままで愛されるというなら、ありのままの殺人者も強盗犯も、みんな愛されて野放しかね?神が愛だというのなら、その愛とやらをはっきり見せてみたらどうかね。所詮、人間がこのうっとおしい世の中に生きていく以上、したくもない努力をして、一生懸命やみくもに、働きつづけるしか道はないではないかね。ぜんぶ努力して苦労させられるしかないじゃあないか。そもそも頼んで生まれてきたわけでもないのに。だからといって死ぬのは恐ろしく、その恐怖だけで仕方なしに生き続けさせられ、そのための暇つぶしと資金稼ぎのために労働を強制させられる、こんな不愉快で馬鹿げた話はないものだ。これが我が人生だ。素晴らしきかな人生。そしてこうやって毎日生きていることを呪い生まれさせられたことを憎みながら、死ぬまで苦悩させられるわけだ。なんと迷惑な話かね。これのどこに神がいて、愛してくれているものか。憎い。


神は素晴らしいという人々のなんとうらやましいことか。神は自分を大事にする奴だけ、えこひいきしているではないか。どこが愛なものか。卑怯だ。神を愛したくても、いろんな事情でそれができぬ人間だっているのだ。そういう人間を徹底的に叩きのめして、どこが愛の神だ。鬼め。どこが無償の愛だ。条件を要求しているではないか。弱い心の人間を、いじめているではないか。鬼め。アア憎いな、ちくしょう。これだけ苦しめられてもなお、神は俺なんぞ、相手にもしていないんだから情けない。アア死にたい。死にたい。

葛藤とかいろんな思い

ほんと疑問なんだけどさぁ、俺ってそんなに迷惑かね?そんなに悪いかね?そんなに嫌いかね?・・・何も、そこまで皆でこぞって、意地悪して、はばにして、苛めて、そんなにすることないじゃねぇか。何も無理にイヤイヤ手伝ってくれなんて言ってないじゃねぇか。イヤなら最初から言やぁいいじゃねぇか。黙って無視するこたねぇじゃねぇか。最後までつきあえねぇなら最初っから係わり合いにならなきゃいいじゃねぇか。棄てて傷つけまくるなら自分からキスなんてしてこなきゃいいじゃねぇか。てめぇら何様のつもりだよ。俺を愛さないのに俺を馬鹿にするつもりかおまえ矛盾している・・・とは、かの天才、大槻ケンヂ大センセの言葉だが、まったく言いえて妙だぜ。どいつもこいつもよぉ。


ようするに、俺みたいな異常な人間は死ねばよし、ってことだろう?俺みたくトラウマ人生ひきずってる奴は、アンタたちみたくお強くて、見た目もお美しくて、頭もおよろしくて、お金があって、自分勝手で、無神経で、鈍感で、人の気持ちもわからない図太い方々に、虫けらみたいに踏みにじられて、最後はゴミ箱に行けばいいってことだろう?なぁ。答えてみろよ。・・・俺もあんたらを傷つけまくってるかね。同じくらいに。


誰が好き好んでこんな人生を歩んでるってんですか。誰が好き好んで俺という人間として生まれたんですか。誰がわざわざこのような問題ある家庭に生まれ落ちたわけですか。俺が選んでこうなったんだとお思いですか?・・・だったら私を責めるがよい。「他人や周りの環境のせいにするな」だって?偉そうに。何様のつもりだね。そういうことが言えるのは、何の罪も咎もない者だけだ。てめぇにそんなこと言う資格はねぇんだよ。消え失せろよ。てめぇらみてぇな無神経が、我自由なり、って顔でのうのうと生きてんのが反吐が出る。


・・・って怒りをぶつけまくったところで、自分の憎しみが増幅するばかりで、べつに同情されたいわけじゃなし、誰にも癒せるものじゃなし。アア、虚しいね。わかっちゃいるけど、世の中不公平。この世でヒドイ目に遭った椰子は、天の御国に入ったならば、素晴らしい報酬が与えられると聞くが・・・本当だといいもんだね。でも、やっぱりこんなに怒ってばかりで、人を呪ってばかりの俺が、天の御国に逝くわけもなし、で。

アア、生きても死んでも、地獄だなぁ。素晴らしき、我が人生。一点の悔いなし。生まれてきたのが罪か。


いつまでも、こんな馬鹿なこと考えて、公に書いて、そいでまた、ここに書いてあるところの、裏側の心情を読みとれないで、直情的に反応する単純な奴が、「俺も同じように怒っている」って勘違いしたり、「アンタ自分ばっかりみじめがってんじゃないわよ」って素っ頓狂なハッパかけたり、どうしようもねぇよな。そんなん期待してねぇって。こんな日記が建設的な行動じゃないのは、わかっちゃいるけど、やめられないよ。間違っても、ここに書いてある怒りの言動全てが、俺の全部ではない。時と場合と状況によっちゃ、もう少しマシな俺だって存在するのだ。俺だって根は優しいとこもあるんだ。だけど腹が立つものなんだ。でも、「・・・さえxxならば」って言って、口だけ言ってても意味ないしな。無理なもんは無理なんだよな。ア゙ー腹立つ。


29歳ってのは通常、もう少し大人なんだろうけど、俺ばっかりは、感情が制御できねぇんだよな。もうちょいまともな人間になりたいな、っていっつも願っても、なれやしねぇ。つらいな。自分なんて、受け入れられねぇよ。それができりゃあ、苦労しねんだよ、敬虔なクリスチャンさんよ。無理に受け入れろ、って言うほうがよっぽど受け入れてねぇじゃねぇか。受け入れられない俺をわかれよ馬鹿。

驚いたぜ・・・少し反省

この日記はあくまで一時的な激情の吐露の場であって、感情的でいい歳こいても自分の感情をうまくコントロールできない私が、怒りの勢いにまかせて好き放題言いたいことを激白する、ということなど、注意書きでも書かないと分からないらしいな。当たり前か。


というわけで、ここに書いてあることを字面だけ読んでもらって、書いてあるそのままを文字通り本気で私が常に思っているかというと、そうでもない部分もあるので悪しからず。字面そのまま捕らえてしまう人は、行間を読むのが苦手か人間というものをあまり分かっていないかのどちらかと思われ。


人間というのは、感情によって大きく支配されやすいものだと思います。ですから、あまり苦しい目にあったときに、「自分ばかり不幸だ」と、ありもしないことを思い込んだり、本気で死にたいわけでもないのに「死んでしまいたい」と言ってみたり、そんなこと願ってもないのに「世界が滅んだらいいのに」などと口にしてしまう哀れで弱い生き物だと私は思う。でも、そんなひでぇこと考えるのは俺だけか。


・・・というわけで、私が怒りに任せて書いた文章を字面どおりとらえて、本気でその怒りに同調する、というか、もっと激しい怒りを吐露した書き込みをされたのにはさすがの私も、少し引いた。っていうか反省した。無責任な文章を書いたから、人の怒りも誘発してしまったらしいな。同調した人の気持ちもわからんではないが、私はそこまで言ってない。私は自分が書いたことは、ある程度は自分の立場としては自分の正直な心情を書いているつもりではあるが、だからと言って、自分が全部正しいとは思って書いてないし、「いけないなぁこんなこと言ったら」とも思いつつ、でも人間なので、感情があるので、それを吐き出す場所として、誰が見るとも知れないここに書いている。


でも、事情を知らない教会に何らかの恨みを持った人が、僕の怒りに同調して、自身の怒りをさらに増幅させてしまったんだとしたら、それはちょっと我ながらあかんなぁ。何となく、心当たりのある人のような、そうでなければ、と願いつつ・・・もしその人ならば、普段の様子より、恐ろしい姿を垣間見てしまったような。人間は、慈愛に満ちることも、悪鬼になることも、できるからな。ちなみに俺は悪鬼のような存在だ。早く死にたい。

再三クリスチャンの人でイヤなこと

本当に、俺から見て「信仰がしっかりある」クリスチャンの人で、ものすごいイヤなこと!


「神様は素晴らしい!」・・・あんたにとってはそうだろう、それは素敵なことだよ、正直うらやましい。俺もそう言えるようになれたらどんなに幸せだろう。だがね、俺はそんなたわごとは言えないの。だから強制すんじゃねぇよ。素晴らしいと言えないものは、言えないんだよ。そう実感してないんだから、できないんだよ。そうなりたい、と思ってもそうなれないことが、どれだけ苦しいのか、わかって人に強制するのか?それはエゴだろうが。できなくて苦しんでいることを、自分の言葉で無理にできさせようとするんじゃねぇよ。


人間が、自分の力で自分を変えることなんて、できねぇんだよ。他人が他人を変えることなんて、できっこねぇんだよ。自分にできないことを、人間ごときが、他人ごときが、できると思っているのか?ふざけるんじゃねぇってんだよ。神がオールマイティだってんだったら、全部、神の責任だろうが。神こそに人間を変える力があるんだろうがよ?神が人間を造ったっていうんならよぉ。俺を責めるんじゃねぇってんだよ。どいつもこいつも、馬鹿にしやがって!


「信仰を持って」ってさ、持てないんだよ、神が俺に一体何をしてくれたよ?何か素晴らしいことが、この人生にはありましたか?私の苦悩がわかりますか?自殺するほど苦しい目にあったことありますか?自殺する者は弱いですか。生まれてきたことが間違いですか。じゃあ、そういう人は「強い」皆様方が、ぜんぶ「屠殺」でもなさって「処分」したらいいじゃないですか。両親に「お前が生まれてきて迷惑だ」と言われたことありますか?ずっとそう思われてきたことありますか。「自分ばっかり可哀想ぶるな」だぁ?自分だけだなんて思ってねぇんだよ。そういう言葉は、解決できる人間だけが口にしろよ。他人を受け入れられる心を持っていない人間が、偉そうに分かったふうな口きくんじゃねぇってんだよ。死ねよ。


ああ、クリスチャンじゃない奴の悪口まで書いてしまったな。まぁ、別に「敬虔な」クリスチャンの人が悪いわけじゃねぇけどさ、ようするに「嫉妬」すんだよ。なんでそれほど「神様」とやらと「仲良し」なのかってのが。憎たらしいぐらい、うらやましいぜ。神とやらにそれほど盲目的に信頼を寄せられる方々が、正直。毎日具体的に、どうやって死のうか、って考えるほどイヤな思いしている人間がさ、「神は信頼すべき方だ」って言われて、信頼できると思うのか?そんなわけねぇだろう。いろんな奴に馬鹿にされて、みんなにいじめ尽くされて、世の中に傷つけられて、金も力も何にもない人間が、「今生きていることに感謝します」って、言えるわけがないだろう?ふざけるんじゃあないよ。神が素晴らしいっていうなら、その素晴らしさとやらを見せるべきだろうが。


・・・ってネットで怒ってみたところで、どうしようもねぇやな。虚しいわ。乙。

憎しみの詩(文句のある者は読むべからず)

金はないが時間だけがあり余っている。この生命は不要だ。頼みもしないのに生まれさせられるとは。全く憎い。この世界において、自分の希望どおりになることが、一体どれだけあるのだろう?否、皆無だ。希望なんてない。俺は自分が存在することを希望しなかった。こんな糞になることも希望しなかった。生きることはすなわち苦しむことだ。そうでない奴らは幸せ者だと呼べるだろう。上を見たらきりがなく、下を見てもきりがない。


基本的には、愛すべき相手がいる者は幸せなんじゃないかと思う。配偶者があったり、子供があったり、愛すべき存在を持つものは、その相手のことで文句を言うな。そういう相手があるだけで幸いと思え。文句を言うなど贅沢だ。ふざけるな。愛すべき相手があるなら愛し尽くせ。俺は孤独だ。愛などない。生まれてきたのが間違いなのだ。かといって今死ぬのは面倒だ。それに恐ろしい。生命は邪魔だ。


無駄に退屈な時間だけが延々と続くのを、無理やり過ごさせられる。そして、肉体は無駄に痛み、魂を苦しめる。心は、心無き者たちによって傷つけられ、また魂を苦しめる。一生懸命に生きようとするほど、真面目にやろうと願うほど、無神経な愚者どもにののしられ、あざけられ、馬鹿にされ、そしてまた他人が嫌いになる。人間なんて糞だ。良い奴もいるがほとんどは糞だ。「あなたは他人にもっと受け入れられること学ぶべきだ」と言いながら、俺を受け入れるどころか拒絶することで、他人を余計憎むように仕向けた奴はもっとも忌むべき糞だ。嘘吐きめ。そのような者がのうのうと生きるな。


正直で懸命で、正しくありたいと願い、それを守ろうとするほど、損をして、馬鹿を見る。それがこの世のルールだろう、神とやら。貴様が全てを管理しているというなら、そんなことが許されるものか。だれがそんな存在を信頼できるか。すべては糞だ。自分が全く正しいとは思わない。だが、正しくありたいと、常に願う人間こそが、大きく傷つき馬鹿を見る。失敗ばかりする。世の中、無神経で思いやりがなく、自分のことだけ考えている人間が楽をして生きている。のさばっている。人を傷つけて平気な顔をしている。そんなこの世には、一刻も早くサヨナラだ。そんな神など、糞食らえだ。俺も洗礼なんて受けなきゃよかったぜ。馬鹿馬鹿しい。


みんな死ね、といいたいとこだが、俺が死んだらいちばんいいと思う。他人の生命は他人の勝手だし、この多数決が正しい世の中、俺の方が間違いで、しかも俺なんぞ、存在するに値しないからだ。愛されるために生まれたというのは嘘っぱちだ。そういうのは恵まれた奴にだけ適応される。俺は苦痛を与えられるために、生まれさせられた。アア、なんて憎いんだろう。