嘘つきと丘 -5ページ目
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浮気(05/01/19)


 テレビを見ていて、だんなの浮気を見破れというテーマの番組で再現VTRが流されている。男性は大変だと思うのはこういう瞬間だと思う。

 相手に疑念を持ったとき、女は携帯電話を覗くが、男は割とフェアに正直に相手に伝える。
彼ら男性が内面をこっそり覗こうとすることをあんまりしないのは、良くも悪くもプライドがあると人づてに聞いたので、だから馴れ合いも本当は好きじゃないんだろうと思う。常にかっこよく正義のヒーローでありたいのである。
 女がつるむのは誰かが一緒にいた方が楽だからだ。さて何をしようかどうすればいいだろうか、そんなとき隣に同じ体温をもつ人がいたら、楽だ。その人に決めてもらえばいい。その時あまり自分を殺すということに気付かない。そして悩んだ挙句に相手の意見をないがしろにすることだってある。なんだ、どっちなんだよ、と。
 女はその時形になっているものを信じる。口先だけの社交辞令だって満足できる。だから、下手に彼に浮気されたとき真正面に向かって訊けないのだ。形になってしまうのが怖いのだ。本当になってしまうのが怖いのだ。いつも傍らにいて、どうしよう?の矛先だった人を失うのが嫌なのだ。だからできるだけショックを先延ばしにしようとする。裏づけしようとするその実、彼の潔白を証明しようと必死なのだ。そして傷ついたときだけ友達を呼んで無礼講、呑めや歌えの大騒ぎ、やっぱり持つべきものは友達だね、と軽口を叩く。うん、その気持ちについて否定はしない。

 どちらにしろ、束縛するのが愛ならばあんなに辛そうな苦しそうな顔はしないだろうと思う。正直、浮気でも不倫でも勝手にどうぞ、という気分なのだ。自由にやってくれればいい。なにしろわたしの立ち位置はたとえ彼女というポジションであったとしても友人というポジションであったとしても、その時は彼にとっても彼女にとっても部外者であるのだし、人間一人が誰かの範疇の中に入るだなんて真っ平だし、そんなのつまらない。みんな野を駆け回るから楽しい。縛られていないから心の底から笑える。臨界点を超えるからこそ、生き物は面白い。だから尊重するし、されることだってできるのだろう。
 ただ浮気をされたらこちらも浮気しますよというそういうスタンスなのだ。これでこそフェアだとわたしは思う。浮気は相手を不安にさせている時点でいただけない。というか、恋人が何人もいると疲れないか、と思う。一人を心の中に住まわせるだけで精一杯なのだ。これはただ単にわたしは許容範囲が極端に狭いのだと言えるが。
 考えなければならないことは目の前に漠然と散在している。

 時折、あなたは他人に対する関心が薄いですね、と言われることがある。たまに本当に反省する。軽くへこむ。
 でも正直、人間のみに関心があるとは言いがたいところがわたしにはある。歩くときもまともに前を向いているときが少ない、たとえ一人だったとしても。他所の庭先に咲く山茶花の美しさ、空を渡る鳥の強かさも、瞬く星の光も、西日も月もわたしのとってはかけがえのないものの一部だ。大事なのだ。一番なんてとてもじゃないが決められない。そういう意味では恋をしているのかもしれない。
 その内世捨て人のような生活を始めるかもしれない。そうしたら、憧れの長野の山村に行って大根とかぼちゃときゅうりとナスの種苗を植えて、狸とか兎とかそういうものを見かけて嬉しくなったり、むかでから叫びながら逃げたり、そういうことをするかもしれない。というか、したい。今からでも。
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