嘘つきと丘 -2ページ目

強さ

 引越ししてきました。以下のものは旧サイトにて書いたものです。
 これからどうぞよしなに。

 戦争の作品といえば井伏鱒二の黒い雨や大岡昇平の俘虜記、林京子のギヤマンビードロや中沢啓次のはだしのゲンなど、挙げれば限がないほど数多の本があるが、友人のすすめでこの本を読んでみた。

著者: こうの 史代
タイトル: 夕凪の街桜の国

 庶民に残した傷が静かに、それでもありありと浮かんできた。
 「誰もあの事を言わない。いまだにわけが わからないのだ。わかっているのは「死ねばいい」と誰かに思われたということ。思われたのに生き延びていること。そしていちばん怖いのは、あれ以来、本当にそう思われても仕方のない人間に、自分がなってしまったことに、自分で時々気付いてしまうことだ」(「夕凪の街」より抜粋)
 民間のひと一人にこんな意識が植え付けられてしまうのだ。

 以前祖父の行ったインドネシアについて書いたことがあるが、あの時も祖父は多くを語らなかった。覚えていないというのもあるが、やはり思い出したくないのだろうと思う。
 祖母はその頃東京の方の軍事工場で働いていたと聞く。ちょうど東京大空襲の前にはこちら(想像を絶する田舎)に戻ってきていたらしい。
 祖父と祖母が出会ったのは終戦後で、その頃は少年が少なかったがために、祖父との縁談を持ちかけられた祖母は写真を見るなり小さくガッツをしたらしい(父談)
 実際、曽祖父の部屋を片付けていたときに出てきたモノクロの写真に写る祖父は結構な男前だった。

 何度も打ちのめされて悩んだあと、救われる思いがするのはこういう瞬間だ。人間の美しさも醜さも尊さも強さも、そのどれもわたしにはいつも眩しい。

恋(05/03/14)


 また随分日数があいてしまいました…。

 よく友人や家族には「好きな人いないの?」と心配される。残念ながら今はいないのだ。心配ばかりかけてすみません、みんな。
 どうしてなのかと考えてみたとき、中学一年の頃のわたしが鎌首をもたげた。

 その頃わたしには一丁前に好きな人がいて、そしてなかなかいい線まで行っていた。(というと自意識過剰でやな女ですね。笑)親友だったマリにたくさん相談したりもしていた。
 学年が上がって、彼とはクラスが離れてしまって接点がなくなってほとんど自然消滅。マリともクラスが離れてしまったものの、相変わらず仲が良かった。
 ある日わたしのクラスに遊びに来たマリは、わたしの手を引いて、「ちょっとついて来て」と一番隅のクラスへ向かった。マリはなにか手紙のような者を持っていた。1組は彼がいるクラスだった。何となく顔をあわせ難くてドアのところで背を向けていた。マリはクラスの中に入っていく。
 マリは何をするのだろうと気になって、ちらっとクラスを覗いて見た。すると、マリは手紙を彼に渡した後、なにやら親しげに話をしているのだった。あれ?とわたしは思った。けれどもわたしは今も昔も変わらぬ小心者なので、マリが帰ってきても何も見ていない振りをし、何も訊かなかった。
 後日、違う友人から聞かされたことによると、二人は付き合っているのだそうだ。

 ショックだった。何がショックだったかといえば、マリがわたしに何の相談もしてくれなかったことだった。
 でも、その時本当に誰に対しても恨みはしなかった。ただ申し訳ないという気持ちが心の中にあった。
 マリはきっと言い出せなかったのだ。親友とさえ呼べる人と好きな人が同じだということが言えなかったのだ。わたしは自分の甘えを深く恥じて、本当に申し訳なく思った。合わす顔がなかった。
 マリも少しずるいところがあったかもしれない。でも、彼女の意見を言い出せなくしていたのはおそらくわたしなのだ。
 ぱっと諦めるあたり、本当は彼のことを好きではなかったんだろうと詰問されれば、きっとそうだったのだろうと思う。世に言う「恋に恋をしていた」のだ。
 その頃からだろうか、恋心をやたらに他人に話すことをしなくなった。それ以前は味方は多い方がいいという姑息な手口でいろいろ相談していたけれども、ぱったりとなくなった。

 こういったものの幸せはふと手に入る類のものではない。誰かから搾取したり削り取る類のものなのだ。それは得てしてひどく暴力的だ。幸せなのに、誰かを殴っている。
 だから、もう色々と本当に面倒くさくなってしまった。
 幸福にはある種の犠牲が付き物だと誰かが言っていた。本当にそうだと思う。そしてそういった辛い道のりの果てに、自分の幸福があるのだろう。誰かを踏みつけにしながら。
 だからもううんざりなのだ。こうすれば相手を落とせる、自分が一番目立つようにできる。だから?という感じなのだ。わたしはわがままで横暴で、自分が幸せなのだったら周りの人も幸せで、満ちたりていなければ嫌だ。
 禍福は糾える縄の如しと皆はいう。もちろん間違ってない。どれが正しいのだとも今のわたしには到底わからない。でも、わたしは今も恋をしていない。

 好きな人に宛てたメールが七回送っても七回返信がない、という相談を持ちかけた友人に、わたしは正直にもう諦めろと言った。
 彼女は一度彼に告白したのだが、好きな人がいるからと断られたそうだ。
 常套句だね、と言えば、でもわからないと彼女は言った。彼を見なければいい、そうすれば忘れられると言った。でもクラスが隣だから嫌でも休み時間などには見てしまう。それが辛いと言った。彼女はもう諦めると言った。携帯のメモリももう削除したと言っていた。
 相手が見えないのは友達も同じだ。どんなに腹を割っても分かり合えることなどない。
 諦めるな、頑張れというのはとても簡単だ。甘い嘘は自分だけでなく相手も甘やかす。
 わたしはいつも直球勝負なのだ。カーブやフォークは投げられない。だから正直に、退くことも勇気だと伝えた。
 自分がされたら嫌なことは、極力相手にしない、させない。
 友人は、わたしの感想を、下手に夢を見させてくれるような返事よりはよっぽどいいと言った。本心なのかはわからない。でも彼女はきっとうまくやっていけるだろう。反対意見もきちんと飲み込んでくれる子だから。

 激しい愛だなあ、と思う。もうわたしはそんな恋をすることは多分ないだろう。ホワイトデーにこんな話をするのもどうかとは思いますが(笑)
 恋する乙女達よ、永遠なれ。彼女らのたゆみない努力と苦悩と幸福を、心より応援したい。

雪のおもしろう降りたりし朝(05/02/23)


 雪のおもしろう降りたりし朝、人のがり言ふべきことありて、文をやるとて、雪のことを何とも言はざりし返り事に、「この雪いかが見ると一筆のたまはせぬほどの、ひがひがしからん人の仰せらるること、聞き入るべきかは。かへすがへす口惜しき御心なり。」と言ひたりしこそ、をかしかりしか。
 今は亡き人なれば、かばかりのことも忘れがたし。
(吉田兼好「徒然草」第三十一段)

 ゆきのおもしろうふりたりしあした、というのが何だか素敵な響きを持つ日本語だが、以上は有名な吉田兼好(兼好法師)の徒然草の有名な段である。
 学校で習う訳は何だか小難しくて感情移入できないし、先生はなんだかしっくりこない訳し方をなさるので、自分で勝手に訳してみることにした。(※大方の意味は辞書などで引いたりもしましたが、あまり詳細にはやってません。笑。どうぞ戯れだとお思いになって大目に見てやってください)

 雪がすごく綺麗に降り積もった朝のことだった。私はある人のところへ言うべきことがあって、手紙を出した。そのときに、雪のことなんか何にも書かずに送ったのだが、その返事に、「この雪をどんな風に感じたかと一言もお書きにならないような情緒も解さない方の仰ることなど、聞き入れることができようか。まったくあなたは残念な心をお持ちだ。」と書いて寄越されたことは、ちょっとショックだった。
 今はもう亡くなった方なので、こんな些細なことも私は忘れられないでいる。

 故人を偲ぶ思いは、今も昔も変わらないのだなあとつくづく感じさせられる。