学問というのは、博学な教える側と、情熱を持った教わる側の出会いと、学術内容・技法の伝承を特色とする。だから、何かを学んで極めた人は、大学名には余りこだわらない。大学名というのは、大学の理事や学長には、意味がある。つまり、学問の財政的な面、雑事面において大学名という看板を背負うのである。学問内容では、制度面の研究では、誰々先生、歴史面では誰々先生という具合で、大学名は事務手続きの際の必要事項に過ぎないだろう。研究内容は学者個人の問題意識を離れてはあり得ないし、大学として、学部として学科としての大まかな方針は決められたとしても、具体的な研究は研究者が行う。これは、住所表示の例えで考えれば解りやすい。西北大学・文学部・英米文学科・イギリスロマン主義文学は、実践的では、ない。

イギリスロマン主義文学・英米文学科・文学部・西北大学であれば、フランスロマン主義文学や日本浪漫主義との関係がすぐに問われるし実践的である。

 

日本太郎の国立大学偏執症については、「受験生」(11/18)で触れたが、これは、家計の経済的問題が国立大学神話を生みだしている事を考えた。今回は実際に学問研究をしていない人々が大学名神話を生み出している事を考察した。神話は古代社会においては、有効だったと思うが、このような神話は、現代社会においては無価値である。

 

 

 

 

ノーベル賞賞受賞者数から考えると、

自然科学   4 又は5
人文科学   3
社会科学   2
 
長所を伸ばし、欠点を補おう。
 

僕は、清涼飲料水に深い関心がある訳ではない。例として出しただけである。ビット・コインとイーサリウム、リップル等が現在脚光を浴びている。発行枚数が決まった新世界通貨(仮想通貨、暗号通貨と言われる)として認知されつつある。これは現在の通貨が財政赤字の温床と考えられて、その欠点を克服する為に登場した側面を有する私的なネット上の通貨である。「ドルをドンドン刷って、あるいは円をドンドン刷って」膨らんだ財政赤字問題は高い確率で解決しない。これは、これとして。民間貨幣を流通させて新たな経済の流れを加速させようと言うのである。例えば、社会保障は「政策」であり、「制度」である。これは、立派なものである。だが、その財政基盤は危機的であり、問題の解決は極めて困難である。それは、それとして。要は、補助を受けたい人と補助したい人のマッチングの問題である。極端な話、制度依存を小さくしても社会保障が実現できればいいのである。この点に関して天羽君子「アメリカン・ドリームの光と影」178ページから179にかけて「アメリカ人は、税金でまかなわれる公的扶助にはえらく難色を示すのに、自分のポケットからだと実に気前よく慈善事業に協力する。」と書かれている。このような貨幣の流通を、電話通話と同程度の気軽さで実現しようとしている。新通貨・仮想通貨はチャットのやり取り並みに実現される通貨のやり取りである。近い将来、日本円を使う人とビット・コインを使う人が同じくらいになるかも知れない。その際にも表題のように、ビット・コイン、イーサリアム、リップルばかりではない。日本で多く使われる仮想通貨も登場するだろう。コークとペプシに対して「三ツ矢サイダー」があるように。私はある仮想通貨に期待している。それは、ネーミングが銭形平次と関係のある通貨である。