同期の中で最も自宅を訪ね議論をし合い、尊敬していたのは金沢翔だった。詩人なので詩集が何冊もある。小型のノートに鉛筆で書かれただけの詩集。「等差数列的に生きてゆく毎日と、等比数列的に遠ざかってゆく日常」そんな一節があった。確かに授業では数学教師が、「数列」の単元で、2種類の数列を説明し、一般項の式、初項や定数の解説もした。そして、初項やN番目の項から一般項を導きだす方法を例題を解く事で示した。例題の解法が実演されたのだから、後は練習問題をできるだけ多く解く事を考えて、明雄はセッセと問題を解いて行ったのだが、翔の場合は、数学教師の言葉を、誌的なインスピレーションの切っ掛けとして受け止めたのだ。クラスが別だったので、彼が練習問題を解いたかどうかは知る由もないが、高校で使われる基本的、初歩的な学術用語は、翔の誌的空間の誌的な言葉となっていったのだろう。教師が授業を行う、その言葉から啓発を受けて詩を作り続ける生徒がいる。答案の代わりに何冊もの詩集が生まれた。そして、一人で思想界を背負って立っているような評論が生徒会雑誌に掲載された。歴史・自然・人間の営み・主体性・止揚・現在・未来。16・17歳の高校生が、「僕の評論を読んで建設的で充実した毎日を生きよう。」と言っている。大人を含む全ての人間に向かって。
父からは直接言えない事を、伯父から明雄は説教された。伯父は東京で学んだ法律学に絶対的な自信を持っていたからだ。師範学校だけの経歴だと、経験上様々な事を考えたとしても、管理者として必要な知識を体系的に学んだ訳ではないから、管理職としては不利な点もあるだろう。その点、伯父には法律学に対する愛情のようなものを感じる。
「法律学はいいぞ。六法全書を聖書のように、御書のように、いつも肌身離さず持ち歩く。一生掛けて読み切る本だ。改廃も頻繁だから、基本的な法律を先ず身に付ける。憲法・民法・刑法あたりだ。基本的人権・信教の自由・学問の自由・表現の自由だ。楽しくなってくるだろう明雄!」

明雄が模試で新聞紙上に名前を載せた効果は、高一の1学期頃までは、あった。法律学派ばかりでなく、医学派からも誘いがあったのだ。自宅から4キロ程離れた医院を訪れた時、医師は診察後に書斎を見せてくれた。その意味を明雄はその時、正確には理解できなかったが、医学と法学という伝統的な学問が思考・価値観・行動・規範・指針等々、精神と身体と社会の基本を形づくっている思想の万民に認められた大系の核なのだと、おぼろげながら感じていた。